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逢魔が刻に(毎週ショートショートnote)

大通りから小路へ。さらに通に歩を進めると観光都市京都といえど、ありふれた、だけどどこか懐かしい街並みと人々が営む場所が現れる。
通の幅は狭く、行き交う人はまばら。
無理もない。この凍てつく古都を訪れる者は、雪に覆われた名称へと誘われる。
私もそうだった。急逝したと耳にした、あの人と共に訪れた名称を歩いていた。
その道中、住職と思われる老人に呼び止められ、その本堂で身体を温めながら、この地に築かれた巨大なかごめの中で、時折怪奇に遭遇するという話を聞かされた。
例えば、バスの車窓から、子どもたちが集い祭りを楽しんでいる様を見かけ、興味本位でその場所へと引き返したら何も行われていなかったという話。
通の奥に黒山の人だかりと賑やかな声に誘われて、通の奥へ進み行くと、奇妙な出で立ちの者らが、得体のしれない液体を振りまいていたという話。
住職が実際に遭遇したと語ったのは、志半ばで死去した者と出会うという話だった。
そして、そのような怪奇の始まりは、逢魔が刻という言葉が相応しい時間に起きると。
住職自身、建物の隙間から見知った姿が見え、思わず戻って確かめたら、そのような隙間自体なかったと。
あるときは、檀家から急の知らせを受け、そこに向かっているさなか、その方がタクシーに乗って、あるはずのない角を曲がっていくのを見送ったことがある。
卒業旅行で道に迷った学生らに雨宿りの場を提供したら、教科書の白黒写真の中に似た人と遭遇した話などなど。
住職の話に興味を覚え、逢魔が刻と呼ばれるに相応しい時刻、墨染めの羽織をまとい、京都の街の通という通を彷徨うようになった。
霊感などないに等しい私でも、未完の大作家、人気絶頂で事故死した歌手、先日急逝が伝えられた俳優…… 二十数回の一度のペースとはいえ遭遇した。
そして、そうした場所を書き留めて行くうちに、その遭遇したその人と何かしら縁だと知った。
私はその縁に従うことにした。亡くなったあの人に、もう一度逢いたいと。あの人が亡くなった凍てつく冬、あの人が確かにいた地を出発点に、大通りから小路へ、小路から通へ。あの人と過ごした時の記憶をたよりに彷徨い続ける。
凍てつく古都の逢魔が刻の住人になった今でも、あの人との再会を願って、私は彷徨い続けている。
 

お題はこちらの「雪和尚」と、
やおよろずの落選作品の改稿から。