肉親のこと「苦手」と言ったってよかったんだ
私は今まで、母のことが「苦手」だと言いたくなかった。
言ってしまうと、自分が親不孝者の烙印を押されてしまう気がしていたからだ。
そんな私と母、そして祖母の話。
祖母は、とても気の強い女だった。
祖父の運転が気に入らなければ隣で怒鳴る。相手がいれば車窓から「きっ」とにらみつける。後部座席の私はいつも「そこまでしなくていいのに」と思っていた。
近所の人とも、気に入らなければ玄関前で大喧嘩をする。
男尊女卑の考え方であり、母は大学に行かせてもらえなかった。小学生の頃から家事を仕込まれ、夕食はいつも母が作っていたそうだ。
祖母は、働いたことはない。ただし家庭という会社の中ではいつも社長だった。
そんな祖母の事を、母は嫌っていた。
母の就職先は、祖母が決めた。母が結婚して家を建てるときも、土地は近所にあった祖母の畑に指定された。施工会社も祖母の指定だった。
孫が生まれると、首が座るころから働き始めた母に代わって祖母が3歳まで育てた。もちろん小学校から帰宅する先は、祖母の家だった。
祖母との生活は、ちょっと古風で変わっていた。
おやつの定番は、チーズに海苔を巻いたやつかアーモンドフィッシュ。駄菓子屋に行ったことがなく、初めての遠足には大好きなぶっといカルパス1本を持っていった。そしたらどうだ?周りはちっさい袋菓子を何個も持ってきて、友達同士で交換しているではないか。私はそっとカルパスをかばんの中にしまった。
遠足帰りの「がんばったね」賞は、いつもリポビタンDだった。祖母は茶色い瓶に絶対的な信頼を置いていた。
春になると、つくしやフキノトウを一緒に取りに行くのが習慣だった(あれは誰の土地だったのか。真相は闇の中である…)。帰宅してダイニングテーブルに新聞紙を広げると、永遠に思われるつくしのはかま取りが待っていた。つくしのアクで真っ黒になった手を見ては、「これが食べれるのか…」と思っていた。
祖母は、モノをため込む性格だった。
おそらく冷凍庫は「タイムカプセル」という認識だったのだと思う。祖母が使用する肉類は、「食器棚の味」がした。食器棚の味ってなんだよ。食器棚食べたことあるのか?と言われそうだが本当に、あの観音開きの食器棚を開けたときにふわっと香る「食器棚の香り」が肉についているのだ。一体何か月経ったらそんな香りがつくんだといつも思っていた。
母は、そんな祖母の料理にいつも文句を言っていた。
そして整理整頓ができない人だった。
祖母が亡くなり、祖父母宅の遺品整理をするときのことだ。テレビ台の引き出しは、すべて無秩序にモノが詰められてパンパンだった。
なぜか給湯ポットが4つ出てきた。フライパンは10個ほど出てきた(鉄フライパンは私が引き取って使っている)。おびただしい量の未使用タオルが、様々なところから出てきた。
このままタンス貯金が出るのではないかと母と期待したが、出てきたのは金銀小判ではなく「段ボールいっぱいの小銭たち」だった。
社長の一存で、ありとあらゆるものが家屋に保管されていた。誰も、テコ入れできる人はいなかった。
母は、帰宅すると祖母の愚痴をよく言っていた。
そんな母の前では言えないが、私は祖母の事が割と好きだ。
私が見てきた祖母は、母が見てきた祖母のほんの一部を切り取ったものに違いない。それはおそらく晩年の、勢いが衰えてきた祖母の姿だ。
忘れもしない、我が家で初めて猫を飼い始めた日のこと。
無断で飼い始めたのが気に入らなかったのだろう。烈火のごとく怒って仕事中の母を電話で呼び出し、早退させて説教したらしい。
そんな祖母であったが、猫を一番愛していたのもおそらく祖母だった。
ことあるごとに猫を家に連れ込んではかわいがっていた。小さな猫を両手でそっと抱き上げ、目線を合わせて話しかけるときの表情は、まるで別人のように穏やかだった。膝の上に乗せた猫をなでるときの祖母は、今まで見たことがないくらい優しい目をしていた。
記憶にはないが、おそらく赤子の頃からあの目のもとで育てられてきたのだろう。あの目が忘れられない。
激しい祖母の気性の中に、「女」としての母性を垣間見たような気がする。
思えば孫の私自身を預かっていたのも、そんな祖母の母性があってのことだったのかもしれない。祖母から言い出したことらしいが、還暦を過ぎてからの赤子・幼児との生活は、体力勝負だったに違いない。
公園や夏祭りなど、近場にまつわる思い出には、母ではなく祖母の方がよく出てくる。私の幼少期の育て親として、母だけでなく祖母も重要なポジションを占めているようだ。
はじめ孫の性別が女とわかってがっかりしていたらしい祖母。
産まれた後は何度も「あんたは長女だから」といって私を甘やかした祖母。
そんな祖母が、人間らしくて私は好きだったのかもしれない。
平成初期。「寿退社」がメジャーだった世の中で当時珍しく育休を取得し、フルタイムのまま働き続けていたのが母である。
そんな両親のもとで育てられたため、ありがたいことにお金に苦労することはなかった。幼少期の家族カレンダーの土日は様々なイベントで埋め尽くされ、カレンダーの左右端だけ黒々としていた。
祖母の反面教師か、母はいい意味で束縛はせず様子を見守るタイプだった。
今振り返るとよく何も言わずに了承してくれたな、と思うことが数多くある。
環境も、育て方も、すべてが祖母と真逆にみえる子育て。いつも祖母の姿がちらついていたのかもしれない。
自宅に帰ると、母はいつも祖母の愚痴を言っていた。
思い通りにならなかった母の子ども時代の愚痴を、私は何度も聞いていた。
「そんなの耳タコだよ」と胸中うんざりしていたが、本音はなぜか言えなかった。愚痴を話す母は、私に話しつつも、私ではない誰かに向かって話しているようだった。そうなった時の母は、どれだけ話題を逸らそうと、自分が満足するまで話し切っていた。
何年か経つと、私は母の溢れた感情の受け皿になっているんだ、と気が付いた。自然と、愚痴につながる祖母の話題は避けるようになっていた。始まった時は早く終わってほしくて、聞き役に徹していた。
今でも親子関係は良好だ。
ただ本音を言うと、私は母のことが苦手である。歳を重ねるほどに、母といると彼女の一挙一動に目を配らせるようになってきた。
そんな母が絶対に認めないことがある。それは祖母と同様にモノをため込み、整理整頓ができない性格であることだ。
実家の階段下収納は、モノが溢れて何年も雪崩が起きたままだ。パントリーには、賞味期限を10年以上過ぎた食材がたくさん眠っている。
極めつけは、2人暮らしの実家に冷蔵庫が2台、冷凍庫が1台あることだ。日々せっせと食材をため込んでは賞味期限を切らしている。
そんな私の実家のことを、夫は「HUNTER×HUNTER」に出てくる暗殺一家になぞって「ゾルディック家」と呼んでいる。
古い食材を食べても腹を壊さない丈夫な胃を作るためには、幼少期からの訓練が必要らしい(夫よ、実家の何を食べて腹を下したんだ)。
歳をとるたびに、母の性質は祖母に似てきている。ふと実家に帰った時に見る母の背中は、なんだか祖母に似てきたような気がする。そんなこと、口が裂けても言えないのだが。母が認めなくても、逃れられない祖母との繋がりが、そこかしこにある。
そんな祖母が亡くなってから10年以上経った。母は、のびのびと生活している。今でも思い出したかのように祖母の愚痴を言うことがあるが、格段に頻度は減った。
そんな母だが今だに小さな仏壇にお米をお供えし、仏花を飾り、日々手入れをしている。
「あんなに嫌いだった祖母なんだから手入れしなくてもいいんじゃない?」と胸中思いつつ、手入れする母を横目で見ていた。
仏壇の中にいる祖母は、生前の気の強さとは打って変わった穏やかな笑顔で私たちを見ていた。
そんな2人の女の板挟みで育った私はというと、人の表情をうかがってばかりの大人になった。誰かの意見や考えの方が自分より圧倒的に正しくて、それに違和感を感じる自分の方がおかしいと思っていたのだ。
これをしたらあの人は嫌な気持ちになるだろうか?
皆がこうしてるから、私もこうした方がいいだろう。
ここでやっておいた方が、皆の心象もいいだろう。
相手の表情や会話のテンポが少しでも変わると怖くなる。「何か相手にとっておかしなこと言っただろうか?」と。
他人の軸ばかり考え、自分の軸が疲れてふにゃふにゃになっているのに気づいたのは自分も母になってからだ。
娘ができるまで、私は母と同じような人生を歩んでいくのが正解なのだと思っていた。しかし娘が大きくなるにつれ、母の考えと私の考えは違うことに気づいていった。
娘を産んでやっと、私と母は違う人間で、違う価値観で、違う人生を歩んでいるのだと気づいた。コバンザメはやっと、1人で大海を泳ぎ始めたのだ。
そんな私はというと、娘にくっつきすぎないよう気を付けて関わっている。油断すると、祖母と母のような関係性になりそうで怖いのだ。私と娘の人生は別物で、娘は娘の価値観をもって動いていることを忘れてはならない。そして娘には、自分の価値観を大事にして欲しい。
今でも誰かにくっついて泳ごうとしているのに気づくと、「またやってしまった!」と1人で反省する。長年沁みついた気質は、Tシャツについた絵の具汚れのようにしぶとく心の繊維に入り込んでいるらしい。
自分と娘のちょうどよい距離感はどこなのか。
今もまだわからない。一緒に生活する中で探している最中だ。
そして残念なことに、私もモノをため込む性格である。
特にひどいのはパントリーだ。
いつも夫に「これ、買いすぎじゃない?」とご指摘を受ける。
祖母や母と比べると全然マシじゃん!と思っているがそれは「ゾルディック家」の片鱗が出てきている証拠なのかもしれない。
さらには整理整頓が苦手である。1人で管理すると箱にぐっちゃぐちゃに入れこんで、まるで子どものおもちゃ箱のようになってしまう。そのため自宅の整理整頓はいつも夫が担当している。
箱のぐちゃぐちゃなモノたちを見ると、祖母宅の無秩序な引き出しの中身と、いつも雪崩が起きている実家の階段下収納を思い出す。
どのぐちゃぐちゃも、元をたどれば一本の線につながるような気がしている。
その線は祖母で終わりなのではなく脈々と受け継がれる遺伝子として、細く長く続いている線なのかもしれない。
年を経るにつれ、自分の中に母との共通点を見つけるたびに、私はがっかりしてしまう。母と同様に、逃れられない繋がりを認めたくない自分がいる。
何一つ不自由なく育ててもらっておいてこの感情なのか、と自分でもがっかりすることもあったがしょうがない。
馬が合わないものは、合わないのだ。
仮に母とクラスメイトになった場合、友人にはならなかっただろう。
このまま歳を取って、母のようになるのは嫌だなぁと考えることがある。
母のようになるということはすなわち、最終的には祖母のようになっていくということで。終わりが近づくにつれ、もともとの気質が先鋭化してくるのかもしれない。
母は、どんな気持ちで祖母の仏壇の手入れをしているんだろうか?
母の想い出の中の祖母は、どんな人だったんだろうか?祖母のあの優しい目は、きっと幼少期の母にも向けられていていたはずだ。いつから母は、1人で泳ぎ始めたんだろうか。
昔はシャウエッセンのようにパンパンだった母の背中や足が、だんだん細く小さく、皺が入るようになってきている。いつまでも元気だと思っていたが、母の後ろ姿からそれだけの月日が経っていたことに気づく。
年々歳をとってきて、小さくなってきた母だから。私は、愛されて育った自覚があるから。
実家のテーブルに隠すことなく置いてある、母の健康診断の結果が気になって見てしまう。
「実家の終活」という名の、途方もないモノの整理を一緒にやりたい。
母には、身体の動く間にどんどん旅行に行ってほしい。
母に、人生を楽しんでもらいたい。
親子関係は、カフェオレのようなものだ。
コーヒーのように黒い感情と、ミルクのように白い感情が入り混じっている。その割合が、人によって違うのかもしれない。
ほとんどミルクでできている人もいれば、私や母のようにコーヒー多めの人もいる。
でもそれでいいのだ。私と母は違う人間で、違う価値観で、違う人生を歩んでいるのだから。
今日も私は、夫に古くなったタッパーのおかずを捨ててもらい、机の上を整理してもらっている。
気を付けようと思って生活していても、私の身体をぐるぐると流れる血の性質には抗えないらしい。
そうやって、私も歳をとっていくのだろう。
ああ、娘は、私の事をどう思うようになるんだろうか。
どうか、ミルク多めのカフェオレでありますようにと願う。
