『霧の森食堂』ep.1「魔法であって魔法にあらず」
朝霧の立ちこめる奥深い森に、小さな木造りのカフェがある。
飛び疲れた魔女たちが、吸い寄せられるようにやってくる。
カランコロン……
くぐもった音。
ちょうど木と真鍮が穏やかに触れ合うようにドアチャイムが鳴る。
「……いらっしゃいませ。」
少しばかりずり落ちた小さめの眼鏡越しに客を見る。
「ゲホッゲホッ! やだ! ……あなたこれ、何?」
「やめてよ! 痛いじゃない! …ちょっと! 裾踏んでる!」
埃っぽいローブをポンポン叩きながら、
全く同じ甲高い声が、同じく文句を言っている。
トンットトンッ
タンッタタンッ
と2つの足音が忙しなくカウンターへ向かってくる。
「私いつもの! 今日は……バター3かけね!」
「私もいつもの! 今日は……」
「クリームチーズ、乳鉢に半月より少し太った月くらい、ね?」
「そっ、そうそう! んまあ、いつもは半月より少し痩せたくらいだけども!」
2人が席に着くよりも早く、藍色の皿の上で待っているのはこんがりと焼けたレーズン入りの小さな食パン2枚と、
殻付きのゆで卵がひとつ。
「まったくあの子ったら“魔女ってコウモリの血のスープ飲むんでしょう?”だって! あったまきちゃう!」
相変わらずの金切り声でキィキィしながら真っ赤なトマトスープを口へと運ぶ。
「あつ! あつ! ああ!」
「もう! 落ち着きなさいよね!」
依然として溶けきらない角切りバターをナイフでぐりぐり押し付けながら左耳に犬の乳歯のピアスをぶら下げた魔女がたしなめる。
パンの左端にバターの破片がめり込んでいる。
あまりにも慌てたものだから、木のスプーンが床にコトンと落っこちる。
2人の忙しなさとは反対に穏やかで、柔らかい音を奏でた。
「姉さんもね、ちょっとはバター控えなさいよ! ……またそうやって塊のまんま食べるんだから…見てられないわよ!」
右耳に犬の乳歯のピアスをぶら下げた魔女が落としたスプーンに手を伸ばしつつ、
右目の下をひきつらせている。
そんな2人をモカのほの甘く、ほろ苦い香りが包み込む。
細口のポットでふかふかの珈琲粉にお湯を注ぎ込めば、こぽこぽと心地の良い音が響く。
ぷくーっと膨れる粉の様子と、2人のむくれた顔とを見比べて
「おんなじね……」
ふふっと笑いを溢す。
キィキィ騒ぐ2人が途端にこちらを向く。
「ちょっと! キリコさん? 何がおもしろいのよ!」
一言一句、澱みなく同時に言い切る2人の魔女に
「はいはい、ごめんなさいね」と言いつつも
やはりふふっと笑いが溢れてしまう。
コーヒーも、溢れんばかりに大ぶりのカップに注ぐ。
このせっかちな2人には
濃い目に淹れたコーヒーと同量の冷たい牛乳を混ぜて出すことになっている。
片方はメープルシロップを、もう片方はミルクチョコレートをひとかけら。
2人は月桂樹の枝でできたマドラーでガラガラとカップの中をかき混ぜる。
「それにしたって人間の夢を壊さないように話をするって随分と骨が折れるものね、夢見がちなんだものあの子たち!」
「そうね、魔女がみんなハーブを使うと思ったら大間違いよ。
ローズマリーは……せいぜいお肉の匂い消しにしか使わないわね。」
カップに入りきらなかったコーヒーを拝借しつつ、
キリコも自分にとっての“魔女ならでは”の話を挟む。
「でもでも! 私はあの子の叶わぬ恋にダマスクローズとイランイランで薬こしらえたわ!」
とモミジが叫ぶ。
声に合わせ、左耳のピアスがぐるり一回転。
「……その匂いだったの? 香りが強すぎて鼻がもげるかと思った……それでどうなったのよ! その恋とやらは……」
鼻をつまんでみたり、顔の前で手を振ってみたり、
動きまでもがにぎやかである。
少しの静寂、店の天井でコウモリが大あくびをひとつ。
「……叶わぬものは叶わぬものね。」
ミルクチョコの溶けたカフェオレを一口、モミジは静かに答える。
「そりゃあそうよ! 魔法で万事解決なんて……」
「もってのほか! 言語道断!」
コンコンカンカンと乱暴に殻を割り、
ポイっと口にゆで卵を放り込む。
膨れっ面をさらに膨らませてカエデはむぐむぐと咀嚼している。
左耳のピアスが忙しなく揺れている。
「まあまあ、落ち着いて。」
キリコは2人の前に、
フリルレタスに紫玉ねぎ、その上に丸い葉と赤と黄色の花を乗せたサラダを差し出した。
丸い深めの皿に盛られたそれは、まるで花嫁のブーケの如く美しい。
「あらあ! かわいい!」
目を輝かせる2人はそう言い切るか言い切らないうちに、もうシャキシャキと音を立てている。
「……ええ! からい! からいわ!」
慌てふためく双子にキリコはレモン水を渡す。
ナスタチウムのサラダ。
その可愛らしい丸い葉と、鮮やかな花とは裏腹にピリリとからい。
2人は涙を流しながらレモン水を流し込んでいる。
「……現実の厳しさってやつね。」
キリコはコーヒーグラウンドをブリキのバケツにおとしながら呟いた。
叶えない優しさというものも必要なのだ。
叶わなかった恋や夢、そこに意味を与えるのが私たち魔女の使命なのだから。
魔法というのも、ご都合主義のおまじないではなくて一種の御守りというか教訓というか
その線引きは曖昧ではあるがどうにもきらめきを讃えたものではないようだ。
「……ところで“サンビロード”は手に入ったの?」
現実の厳しさを飲み込んだ2人はややトーンダウンしている。
とはいえ、にぎやかな双子の魔女の積もる話はまだまだしばらく続きそうである。
光の差し込まぬ森では、霧だけが時を教えてくれる。
窓の内側では、
木苺のジャムがヨーグルトをほんのり紅く染めている。
明日の朝もまた、飛び疲れた魔女たちが、においに誘われやってくるだろう。
すっかり朝霧が晴れた頃、
キリコはエプロンを締め直す。
「ちょっと、似合わないかしらね……?」
食器棚に映る自らを眺め、ぽつり。
肩と裾にはフリルがついており、ほんの少し灰色を帯びたエプロン。
よく見ると、青い薔薇の刺繍が施されている。
どこかいびつで、ところどころほつれている。
キリコはその刺繍を優しく撫でる。
ほつれたままの青い薔薇は、誇らしげに見える。
「よいしょ……」
膝の高さほどの貯蔵棚に入れたごろんと大きな玉ねぎを1つずつ取り出しては洗い場へと運んだ。
魔女の目にも涙、玉ねぎを切るときのあの現象は魔法でどうこうできるものではないようだ。
大鍋に角切りベーコンをゴロゴロと入れ、
強火で炒めていくキリコ。
パチパチと薪の燃える軽やかな音と鍋底でジュウジュウと音を立てながらベーコンの脂が静かに溶けていく。
「いい頃合いね。」
乳鉢で潰したにんにくを加え、香りを出していく。
ベーコンからじんわりと滲み出た油で香りを出すのが彼女の徹底したこだわりなのだ。
森中が目を覚ましそうなほどに香りは泳いでいくが、幸いこの森に眠る者はいない。
少し気の毒なのは、
焙煎所のじいさんが腹をぐうぐう鳴らすことくらいだろう。
見習い魔女が摘んできた、とっておきのきのこをどさどさと鍋の中へ滑り込ませる。
シュウシュウと音と香りを立てるたっぷりのきのこ。
鍋肌に当たると、柔らかいはずなのにほんの少しだけ金属っぽさを感じる炒め心地がまたキリコはたまらなく好きなのだ。
目を閉じて鼻から温かなきのこの香りと、冷たい森の空気とをすうっと吸い込む仄暗い台所。
冷たい牛乳を注ぎ込めば、じゅっと音を立てる鍋。
へこんだり、焦げついたりしている鍋にふたをすればことことと煮えるとっておきのきのこスープ。
真っ先に腹を鳴らすのは、誰だろう。
朝霧はいつ垂れ込めようかとうずうずしている。
霧の森の朝はもうすぐそこに。
「霧の森食堂」の看板がぼんやりとかすめば、それが開店の合図。
さあ、心の赴くままに。
いらっしゃいませ。
↑
製作経緯はこちら。
私が眠ったら夢を見たというだけのことです。
↑
有識者、山本蛇内氏によるレビュー。
「魔女+フード」というジャンルに分類してくださった。
なるほど…!
方向性が見えた瞬間である。
【参考資料】
◽︎CAFESIDE
コーヒー用語集
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お・ぬ・し