道なぞり──『水辺のつつじ』ep.47
僕は、ある小説家の過ごした十二月三十一日の記録を読んでいる。
それによれば彼は昼の十二時に起き、朝食兼昼食を食べたという。
もっとも、彼自身の食べたものは明かされていないのだけれども。
僕は彼より六時間早く起きて、朝食を食べている。
顔だってもう洗い終えている。
今日は十二月三十一日。
大晦日だ。
水仙の花はいよいよ頭だけになっていた。
年を越せるか否か──今夜が峠、といったところ。
僕は花瓶の水を新しくして、飲みかけのコーヒーの隣に置いた。
文字から目を離した途端、ひどく眠くなってきた。
かろうじて栞を挟み、本を閉じる。
僕はベッドに凭りかかり、狭まっていく視界に身を委ねた。
「あ、眠ったな」
久しぶりの感覚だった。
こういう時、僕は決まって夢を見ない。
目を覚ますと、ちょうど十二時を回ったところだった。
あの小説家が起き出してきて、朝食兼昼食を食べた時間だ。
朝食を済ませている僕はここで昼食を取りたいところだけれども、いかんせん眠っていただけだからちっともお腹が空かなかった。
結局は僕も彼と同じく、朝食兼昼食として一日の前半の食事を終えたのだった。
栞を手立てに本を開く。
彼の家にはこの後、二時を回るほんの手前に知り合いが訪ねてくることになっている。
そして二人は電車に乗って、お墓参りに向かうのだ。
なんの予定もない僕は、ぼんやり花を眺めた。
──仙人ですら霞は食べる。
人間の僕はもちろん霞では生きていけない。
しかしこの部屋には今、霞はおろかまともな食料がひとつもない。
冷蔵庫はものの見事に空っぽで、冷媒はただただ空しくなった空洞を冷やしている。
効かせすぎた暖房のせいか、冷蔵庫を開けると霞のようなものが部屋に垂れ込める。
近所のスーパーは三が日、休業するという。
ともすれば今日中に食糧を確保しなければ、霞でも霞らしきものでも生きられない僕は飢え死ぬかも知れない。
そんなことにでもなれば、時空が歪んであの小説家が僕の墓参りに来てしまう。
というよくわからない妄想でなんとか自分にコートを着せて、部屋から外へと連れ出した。
アパートを出て角を曲がり、いつもの猛犬ことチワワに吠えられた。
いつもは閑散としている蕎麦屋の前に長い列ができている。
「大晦日だね。」
すれ違う人が感慨深げに囁いた。
「食べてこっか。」
こうして列は無尽蔵に伸びていく。
僕は列に逆らって歩き続けた。
馴染みの古本屋の前に来た。
扉には「定休日」の札が掛けられている。
札に隠れるようにして貼り紙がしてあった。
「よいお年を!」
文字は心地よくかすれ、猫の柔毛のようで、僕は思わず触れそうになった。
空はいかにも冬らしい、鋭角の青さで窓硝子を突き刺している。
僕は癖で、店の窓から中を覗き込んだ。
人の気配はおろか、猫の気配すらない。
窓辺には、紋人さんお気に入りのスノウ・ドームが今もまだ飾られていた。
硝子張りの球体の街は相変わらず白く雪に覆われている。
スノウ・ドームの隣には鏡餅が鎮座している。
僕は些か違和感を覚えた。
鏡餅のてっぺんに乗っていたのが真っ赤なりんご──それもつい最近までもみの木を彩っていたオーナメントだったからだろうか。
それからもうひとつ。
そもそもが、スノウ・ドームの中の日付が明らかに過去を思い出させる。
いかにも紋人さんらしい……と思いかけたところで、僕の思考は立ち止まった。
「らしい」とは、なんなのだろう。
僕は紋人さんの何を知っているのだろう。
この店の経営者の一人で、ミルクティーとスルメイカの組み合わせに意を唱えない人。
でもそれとこれとは「らしい」なんてニアリーイコールで繋げられるのか?
季節だってそうだ。
東京で生まれ、東京で育った僕にとって冬はカラカラとした晴空の印象が強い。
だから僕はさっき、この青い空を眺めて「冬らしい」と言った。
けれど今朝、電話越しのゆうかの声は沈んでいた。
「冬は綺麗で、それでいて寂しいよ。」
新潟で育った彼女に取って冬は白くて低い空と高く積もる雪に覆われた季節なのだろう。
僕が知っている青い冬、彼女が過ごす白い冬。
そのどちらもが冬で、また別の冬もあるのかもしれない。
でも、本当のところはわからない。
そう、らしさなんて。
モノやコトやヒトを断片にとらえて、そこに言葉を当てがっていく。
極めて独りよがりなものかもしれない。
だとすればなぜ人は「自分らしさ」を求めるの?
僕は僕らしさがわからない。
「らしさ」そのものがわからない。
言葉狩りの自家中毒みたいに僕は大晦日らしくなさそうな顔で、灯りのない店の中を見つめていた。
そして、僕はまた歩き始めた。
一歩だけ間違えて、アパートへ向かいかけた足をスーパーへと向け直す。
終わりの日の昼下がり、今日という日はまだ続いていくのだった。
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ゆきお様・解説
裏も深も読んでくださった。
まだあるかしら。
そうだ、瑞樹が読んでいた本ね。
わかったらお声がけください。
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はーい!
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ポテトチップスよりも
お・ぬ・し