見出し画像

点Pと少年

「今から俺んち来ない?」

言い切るか言い切らないかのうちに、後悔の念が押し寄せてきた。
これじゃあまるで、「ワンチャン狙い」の大学生みたいじゃないか。
夏の太陽を味方につけて、「ワンチャンあるっしょ」なんて親指を立ててギラつく渋谷の大学生みたいじゃないか。
そもそもワンチャンってなんだよ。
チワワか?
それともティーカップ・プードルか?

吊り革が揺れている。
うつらうつらする子どもの抱いていたぬいぐるみが床に落ちた。
隣で忙しなくノートパソコンを叩いていたスーツ姿の男性が拾い上げ、子どもの腕の中に戻す。
平和だ。
小さな腕に抱かれ、みどり色の耳をした犬が笑っている。

「ええ、構いませんよ。」
「は?」
「ですから、うかがいます、という意味です。」
「あ、そう。来る? わかった。」

白石は運転席を覗き込んだまま答えた。
杞憂だったか。
俺は胸を撫で下ろすかわりにネクタイを緩めた。

「それにしても君、ずいぶんと唐突じゃないですか。」
「え?」
「前もっておっしゃってくれればいいのに。」
「はあ。」
「こちらにも準備、というものがありますから……」

なんの準備だよ、と鼻で笑おうとして顔を上げたところでツインテールの女と目があった。
あれはたしか、隣の女子高の制服だったはず。
三人寄れば文殊の知恵、とでもいいたげに額を寄せ合っている。

「ねえ……あの二人……」
「どっちが?」
「立ってる場所の通りでしょ?」

人の間によからぬ記号を置いてくれるな。
撫で下ろした胸は再びささくれ立ってしまった。
ネクタイはだらしなくぶら下がったままである。

「あいにく今日は準備がなくて。」
だから、なんの準備だ。
「いつもなら三つくらいはあるのですが……」
「しっ!」

ツインテールの女が「×」の左と右を入れ替えたところで俺はこのぼんやり鈍感野郎にもわかるように、訝しんだ顔と顎で作った矢印で声の方向を指し示した。
「ああ。」
珍しく通じたらしい。
白石はツインテールたちの方を向いて頷いた。

「きっと君が魅力的だから噂しているのですよ。総じて最近の女学生の皆さんは慎ましい方が多いですからね。気になる殿方にがっつく、、、、なんてことはよしとしないのでしょう?」
「いや、わけわからん。」

俺はにやける筋肉に指を突き立て揉みしだいた。
いや、待てよ。
ということはよからぬ妄想に走っていたのは俺の方ということか?
俺が曲解していたということか?

電車は滑らかに進むのに、俺はよろついた。

「あの……井上……」
「あ?」
「ちょっと、ちょっといいですか……?」
「何?」

正体不明の苛立ちに任せて首を回した。
首をさすりさすり目線を落とす。
白石は相変わらず運転席にかじりついている、と思ってた。
この瞬間までは。

「ちょ……おい! 何してんだよ! あっかんべーはやめろ! あっかんべーは!」

指さし確認抜かりなく、速度超過も致しません。
安全運転を遵守する運転士になんたる無礼を働くんだ、こいつは?
鉄道オタクならずとも許し難い。

「あの……目が痛くて。」
「目?」
「ちょっと見てもらえませんか?」
俺はあっかんべーをする白石と向き合った。
「ああ……」

眼瞼結膜に睫毛が貼り付いている。
「あっかんべーやめて、目、ぱちぱちしてみ。」
白石はふふと笑う。

「井上。」
「ん?」
「今、君がなにを思っているか当ててみましょうか?」
「いや、結構です。」
「まあまあ、そう遠慮なさらずに。」
遠慮したところまで見抜くんじゃない。
危うくでかかった言葉を胃酸に沈めた。

「では、ぱちぱちしてみますね。」
あっかんべーをやめた白石は目をしばたかせた。
そうだ。
「ぱちぱちじゃない、まばたき。」
「まばたき……」
その後も白石はおとなしく繰り返していた。

「ほら、取れた。」
「これはこれは。大物でした。よかったらどうぞ。」
「いらねえよ。」
「では、お手数ですが、そこら辺に捨てておいてください。」

転げてきた空き缶が俺の足に当たって止まる。
指先に残る白石の睫毛を落とそうとしてためらった。
チリツモ理論だ。
これっぽっちの積み重ねが身を滅ぼすんだ。
「捨てないのですか?」
見上げてくる白石を無視し、指先を見た。
俺は睫毛のついていない方の指で自分の睫毛に触れた。
親指と人差し指を生え際と先端に当てる。
指先で作ったなけなしの隙間を奴の抜け睫毛に並べた。
そして見上げてくる白石とを見比べた。
「え……」
そう声を漏らした瞬間だった。
白石は俺の指から睫毛を摘み取り、折よく開いた扉から外へ払い飛ばした。

湿った熱風が吹き込んでくる。
俺はしばらく黙っていた。

「しかし、道を外れるというのはどうしてこうもわくわくするのでしょうね。」
道を外れる……?
「ポイ捨てのこと?」
「ポイ捨て……? 君の地元まで行くことですよ。」

失礼な。
立川は新宿、渋谷、池袋ほどスラム化していないぞ。
駅の半径二キロメートル圏内に、あやしげな古い木造の長屋はひしめき合っていないし、その向こうに川はない。
そもそも立川駅には、お前の大好きな小説に出てくる「駅裏」は存在しない。
みたい、、、なものはある。
だがそれは駅裏ではない。
あの駅には裏がない。
全方角に栄えている。
いや、嘘だ。
東方向が若干……
だがしかし白石。
その道は、お前の地元に通ずる道だぞ。
それに、それに……
「リンゴの芯も、使用済みのゴムも落ちてない!」
至近の一人分を除く全視線を欲しいがままにしてしまった。
穴があったら入りたい。
もう自分の毛穴でもいいから入りたかった。

そんな思いもつゆ知らず、また白石は妙な遊びに興じている。
「なんでそんなもん持ってんだよ。」
「なにが起こるかわかりませんから。」
「いりますか?」
「いらねェよ!」
「もしや、ラテックスアレルギーですか?」
「ラ、ラテ? あ?」
俺の「何それ」に答えろ!
白石は夢中でラテなんとかかんとかを膨らませ続けていた。

いよいよ女子高生三人衆は色めき立った。
もう人目もはばからずにきゃっきゃ騒いでいる。

「僕は言わば阿佐ヶ谷、国立間を移動する点Pです。」
数学がてんでダメなくせに、なんでこいつはやたらと会話に点Pを登場させたがるのだろう。
「もっと教科書的に言うと……」
「うん。」
「線AK阿佐ヶ谷-国立上を移動する点Pです。」
なら、点PっPってのはなんなんだ?
Ryo Shiraishiのどこに「P」がある?
……ああ。
パッパラパーのPか。
俺は電車の揺れにかこつけ盛大に頷いた。
「それがですよ、Kで止まらず立川まで行ってしまうんです。」
「うん。」
「Tまでですよ?」
「うん。」
「道を外れているじゃないですか。」
何がだ。
確かに「T」なんて言われるときな臭い感じがしなくもないが。
いや、あまりにも失礼じゃないか。

一駅分のオーバーラン、いや……
行き過ぎだ。
そんなことしたらこの運転士はクビだろうな。
俺がそんなことを考えていたら仕切りガラスの向こうのブラインドがひかれた。

「なあ、白石。」
返事がない。
「白石。」

背後でぐずる子どもの声が聴こえた。
振り向くと、白石が子どもの前でしゃがんでいる。
「顔でも描きましょうか?」
「ワンちゃん、ワンちゃんがいい!」

「よろしければこちらを。」
子どもはうれしそうに手渡されたものを見つめた。
到底ワンちゃん、、、、、には見えない、頭から五本も触覚の生えた白いなにかを。

──立川、立川。お出口は……

「バイバイ!」
「ではまた。」
白石は手を、子どもは不気味な白いワンちゃんを振った。

「さて、行きましょうか。」
何が「行きましょうか」だ。
ここは俺の地元だぞ。
そう言いかけた時には奴はもう、プラットフォームに降りていた。

「待てよ、白石!」

走り出した電車の中、子どもの膝の上。
みどり色の耳をした犬のぬいぐるみと五本の耳ならざるものを生やしたワンちゃんが仲良く並んで揺れている。

「あ、やっぱり井上も欲しかったですか? ゴム手袋風船。」
「いらねえよ。」

颯爽と階段を登っていく白石の背を、俺は息も絶え絶えに追いかけているのだった。


本日は習作です。
【その他の習作】


習作の白石シリーズはこちら。


小説家と編集者の話。


これもある。


大正時代の連載はこれ。


恋愛小説の連載。

いいなと思ったら応援しよう!

よもぎ よもぎちゃーん! はーい! 何が好き? ポテトチップスよりも お・ぬ・し

この記事が参加している募集