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テイルズオブレジェンディアという傑作について語りたい

 最近、『テイルズ オブ レジェンディア』というゲームをクリアしたんですが……これ、(加点方式で)傑作だと思うんですよ。

 「おいおいタイトル詐欺じゃねーか!!」と思われるかもしれないけど、それでも『レジェンディア』は(加点方式で)傑作だと思うんだよ! そうだよ、あんま良くない部分いっぱいあるよ!! けどなぁ……けどなぁ……このゲームマジで面白いんだよ!! 傑作だよ!!

 ……という、私の『レジェンディア』に対する複雑な愛情を込めてみた記事になります。「褒められない部分もあるけど、それでも自分は傑作だと信じているゲーム」についてのお話になります。よろしくお願いします。


メインシナリオ

鳥は鳴き、僕は歌う

 ゲーム開始時、突然川沿いでこの音楽が流れ始めたときの衝撃が、未だに忘れられない。なんだかわからないが、とにかくとんでもない音楽が流れているのである。明らかに川沿いで流していい音楽ではない。

 「レジェンディアは音楽がすごいらしい」ということは、ちょっと知っていた。だが、ここまでとは思わなかった。なんというか、音楽に圧倒されてゲームが進まないのである。この川沿いで流してはいけない神曲に浸ってしまい、ずっとセーブポイントのうえで立ち尽くしてしまった。

 おかしい。ゲームというものは、開始直後こそ「さぁ、先に進め!」とプレイヤーを誘導していくはず。そのはずなのに、開始直後に流れ始めたものすごい音楽に圧倒されて、全然先に進めない。俺は悪くない。椎名豪が全部悪い。椎名豪のせいで、私はゲームスタート地点から動けなくなった。

 それどころか、音楽に脳を破壊されて、ストーリーが全然頭に入ってこないのである。なんだかキャラが遺跡船がどうだマリントルーパーがどうだとペチャクチャ話しているが、そんなことより後ろで流れているものすごい音楽が気になって仕方がない。この曲流しながら会話すんのやめてくれ!!

 正直、音楽のせいでゲームに集中できない。
 これが「大事なシーンで変な音楽が流れている」だとか「不協和音が流れている」とかなら理解できるものの、「あまりにも曲が強すぎて、逆にゲームに集中できない」という事態は、一体どう受け止めたらいいのか。

 ちょっとニッチな喩えをしてしまうが、私は『ゼノブレイド2』というゲームを遊んだとき、「ホムラ」というキャラが画面に映るたびに、全然ゲームに集中できなかったことがある。なんというか、ホムラがものすごい恰好をしているからだ。結果、ストーリーが全然頭に入ってこなかった。

こういう画面のことを指す。

 『レジェンディア』で発生している現象は、この「ホムラのせいで話が頭に入ってこない現象」と全く同じである。全然違う。全然違うのだが、私にとっては同じである。ホムラの恰好がすごすぎてストーリーに集中できないように、後ろで流れている音楽がすごすぎて物語が頭に入ってこない。

 繰り返すが、私は悪くない。
 全部椎名豪のせいである。
 椎名豪が天才すぎるのである。


待ち合わせは噴水広場で

 「待ち合わせは噴水広場で」きたああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 えっ、テンションの乱高下怖っ……
 驚かせてごめんね……
 でも「待ち合わせは噴水広場で」実機で聞けてうれしいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!

 そう、実のところ、この「待ち合わせは噴水広場で」という曲のみ、『レジェンディア』をプレイする前から知っていた。そしてあまりの名曲っぷりに、ゲーム本編を遊んだことがないのに何度も聞いていた。どこで知ったのかはあまり思い出せないが、とにかくこの曲は知っていた。

 そもそも、テイルズ自体をロクに遊んだことがなかった私からすると、「テイルズの音楽」と言えば、BUMPの「カルマ」か、この「待ち合わせは噴水広場で」だったのである。いや流石にちょっと盛っているかもしれないが、そのくらい「待ち合わせは噴水広場で」は大好きな曲だった。

 しかし、こうして改めて街中でこの曲を垂れ流しにされると、全くゲームを進める気になれないのが面白い。何度でも言うけれど、曲がすごすぎるのである。普通に聞き入っちゃうし、穏やかに街中を散策するような気分にはならない。街中で延々とこの曲が流れているのは、ちょっとした狂気だ。

 ウェルテスの住人は、一体どんな気分で日々を過ごしているのだろうか? この街で暮らし始めて、四六時中この曲を流されたら、曲が良すぎて頭がおかしくなってしまうのではないか? もう椎名豪以外の音楽では興奮できない身体になってしまうのではないか? 椎名チルドレン培養タウンか?


バトル・アーティスト

 フッハッくらえ! フッハッくらえ! フッハッくらえ! フッハッくらえ! フッハッくらえ! フッハッくらえ! フッハッくらえ!フッハッくらえ! フッハッくらえ! フッハッくらえ! フッハッくらえ!フッハッくらえ! フッハッくらえ! フッハッくらえ! フッハッくらえ!

 さきほどから音楽の話ばかりしていたが、それと同じくらい『レジェンディア』を語るうえで避けて通れないのが、この「フッハッくらえ」だと思う。セネルの通常攻撃。「フッハッくらえ!」と言いながら三発殴る。

 もう、ウンザリするぐらいこれを聞くことになる。
 
ただ◯ボタンを押しているだけなのに、尋常じゃない判定の強さで敵を画面端へと押し込んでいく。もうひたすら◯ボタンを連打してるだけでバトルが終了する。フッハッくらえ、フッハッくらえ、フッハッくらえ……本当に、嫌になるぐらいフッハッくらえした。絶対主人公の戦い方じゃない。

 正直、『レジェンディア』の記憶の半分くらいは、「フッハッくらえ」で埋め尽くされている気がする。いくらなんでも盛りすぎだろうと思われるかもしれないが、今作を語るうえで「音楽の良さ」を避けて通れないのと同じように、「フッハッくらえ」もまた避けて通れない道だと思う。

 あえて言おう。このゲームを遊んで「フッハッくらえ」の話を一度もしないやつがいたら、ソイツは確実にモグリ野郎だ。『レジェンディア』を遊ぶということは、「フッハッくらえ」の虚無さと戦うということなのだから。

 “無”だ。“無”なのである。
 ものすごい音楽を聞きながら、ひたすら◯ボタンを連打する虚無の戦闘を繰り返すゲーム、それが『テイルズ オブ レジェンディア』だ。

 流石に「フッハッくらえ」に飽きてきて別のキャラに変えようとするものの、セネルの「フッハッくらえ」が強すぎて、結局また「フッハッくらえ」に戻ってきてしまう。そしてまた虚ろな目で◯ボタンを連打する。これは何が楽しいんだ。このワンセットまで含めて、『レジェンディア』だと思う。


水晶のささやき

 しかし、そんな虚無の戦闘で荒んだ心を、椎名豪の音楽が浄化してくれる。「水晶の森」で流れる曲は、まさにそんな感じがする。いや、浄化というか、両肩を掴んで身体をブンブン揺さぶるかのような荒療治なのだが。そのくらい音楽の主張が激しい。ダンジョンで流していい神曲じゃない。

 なんかもう、聞いてるだけで泣けてくる。
 
美しくて感動的な曲調のはずなのに、どこか切ない。いつまでも煌めくはずなのに、壊してしまえばバラバラと砕け散る。そんな水晶の儚さを、そのまま音楽にしたかのような名曲。ダンジョンを攻略したいのに立ち止まってしまうし、曲だけで感動してしまう。

 正直、このゲームは「本編」と「音楽」の主従が逆転していると思う。
 普通に考えたら、「ゲームのなかですごい音楽が流れる」べきなのだが、『レジェンディア』はちょいちょい「すごい音楽にゲームがくっついている」という主従逆転が発生している。ハッキリ言ってしまえば、明らかに音楽の強さにゲームが負けてしまっているときがある。

 よくも悪くも、音楽が強すぎてゲームのバランスがおかしくなっているというか……そういう意味でも、「水晶のささやき」は印象深い音楽だ。もし、これがストーリーのクライマックスで流れる曲なら納得できるものの、そんなに重要でもないダンジョンでサラッと流れるのだから大横転である。

 椎名豪は全打席でホームランを打とうとしているし、実際いつも点を入れているんだけど……しかしチーム全体で考えると椎名豪が異様に強すぎるという、エンゼルス時代の大谷翔平のような印象を受けなくもない。


シャーリィを追って

 その「サラッとダンジョンで流していい神曲じゃない」シリーズの筆頭格が、毛細水道で流れる「シャーリィを追って」ではないだろうか。

 ダンジョンに突入したら、突然エグい神曲が流れ始めてビックリする。マジでビックリする。『レジェンディア』の音楽って、いつも「うわあ!急にすごい曲流すな!!」って感じだ。急に曲が強すぎてビックリしちゃう。

 このバイオリンの大暴れっぷりから、サビを盛り上げる管楽器とか……『レジェンディア』楽曲の、「オシャレなジャズ感」が極まったような曲だと思う。なぜこんなオシャレでJazzyな曲が水道で流れているのか。「これ水道で流していい曲じゃないだろ」と思ったのはロマサガ以来だ。

 ……と、何度か「曲だけが突出して強すぎる」ことの善し悪しを語ってしまったが、これは同時に「音楽の強さによって、世界が広がって見えている」という側面もあると思っている。

 正直、『レジェンディア』は、グラフィックもそこまで贅沢とは言えない。しかし、この音楽の豊かさによって、脳内で「レジェンディアの世界」が補完され、より情景豊かにゲームの風景を捉えられている気がする。つまり、音楽の力によって、脳内補完でグラフィックが向上していると思う。

 たとえば、イラストには、たった1枚だけで「世界の広がり」を感じさせる絵があったりする。『クロノ・トリガー』における鳥山明のイラストなんかは、その好例と言える。

この有名なやつね

 『クロノ・トリガー』はドットのRPGだけど、この絵が1枚あるだけで、世界が広がり、想像の余地が生まれる。「クロノたちは、きっとこんな世界で戦っているんだ」という強烈なワクワク感と、イマジネーションの想起。鳥山明の絵が、明らかにゲームの表現を脳内補完で拡張しているのである。

 そして『レジェンディア』は、音楽によるアプローチで、この「世界の拡張」に成功していると思う。きっと、セネルたちはこの場所を訪れて、こんな感動を得ているんだろう。グラフィックでは表現しきれないけれど、遺跡船の情景はこんなにも豊かで、美しいものなんだ。

 『レジェンディア』の音楽は、とにかく感情的だ。
 どの曲も、聞いたものの心に強く訴えかける。
 どの曲も、「伝えたい感情」がかなり強烈だ。

 それは、セネルたちが旅のなかで得た感動を、世界の美しさを、そのまま「音楽」に閉じ込めたからなのではないか。音楽を通して、情景を伝えようとしているから、やたらと感情が動く音楽になっているのではないか。

 ある意味、「音楽が世界観を牽引しているゲーム」とも言える気がする。あの名曲の数々があることで、世界観が拡張され、ゲーム内で描かれていない世界にも思いを馳せることができる。だから、『レジェンディア』の音楽はすばらしいのだと思う。


蛍火

 ステラ…………?
 ステラーーーーーーーーー!!!!!!!!!

 ごめん、やっぱり面白い。
 どうしてCV鈴村健一のキャラが愛するものを失って「ステラーーーーー!!!!!」と絶叫する作品がこの世に2作も存在するんだ。しかもほぼ同時期って。こんなシンクロニシティが発生するものなのか?

 さらに、その絶叫にあわせてすごいボーカル曲が流れる。何!? やっぱり突然すごい音楽を流されると「何!?」と思ってしまう。私のなかでは、「ステラを失った悲しみ」と「すごいボーカル何!?」が戦って、ギリギリで後者の「何!?」が上回っていた。な、何この曲!? 何!?

YouTubeより

 そして、なぜかデレマスの北条加蓮が「蛍火」を歌っているカバーverが存在していることを知らされ、余計に面白くなってしまった。これ北条加蓮が死ぬときにセネルが「カレンーーーーー!!!!!」って叫んでるやつじゃんかよ。加蓮は死なねえよ!!

 しかも、『レジェンディア』のサントラがサブスクに対応する以前は、「蛍火」を聞きたければ物理サントラか北条加蓮のカバーに頼るしかなかった……だから、ある意味では北条加蓮も『レジェンディア』を支えた功労者と言えるのではないかという逸話を有識者から聞き、もう笑うしかない。

 とはいえ、「蛍火」はめちゃくちゃ名曲だし、北条加蓮のカバーもかなりいい感じに仕上がっている。何度でも言いたいが、「蛍火」自体は名曲である。たまたま奇跡のステラ被りが起きたりしているだけで、名曲だと思う。


my tales

 たまに思うのだが、私たちは作品で感動して泣いているとき、その内容そのものに感動しているというより、そのシーンで流れている感動的な音楽に泣かされているのではないだろうか?

 もちろん、ストーリーと音楽の両方が揃うことで成立するのは間違いないけど、感動的なストーリーから「感動的な音楽」を消してみると、思いのほか泣けないのではないかと思う。もう私個人な意見として好き放題言うけど、絶対みんな半分くらいは「感動的な音楽」で泣かされている。

 そして『レジェンディア』の本編終盤も、その「感動的な音楽」が最高潮に達している。オープニングの「TAO」がアレンジされ、最終決戦直前に流れ始める。もうベタベタな演出なのだが、ここまで鼓膜を椎名豪漬けにされた状態でこんな激アツBGMを流し込まれたら、無条件で絶頂してしまう。

 そして、セネルとシャーリィは、「水舞の儀式」を行う。
 叶うことのなかったステラの願いを、代わりに果たすかのように。海はふたりを祝福している。きっと一緒に歩いていける。陸の民と海の民も、手を取り合って歩いていけるはずだ。この「外さなさ」が、『レジェンディア』は最高だ。俺はセネルとシャーリィの水舞の儀式が見たかったんだよ!!

 そしてトドメとばかりに流れるエンディングテーマの「my tales」。
 エンディングまでもこんなにオシャレなのが、実に『レジェンディア』だと思う。ちょっとオシャレすぎて笑ってしまうレベルでレジェンディア(動詞)している。最後の最後まで曲が強すぎる。

 ……と、ここまで書いたことに従えば、私は「音楽がすごすぎるから、レジェンディアは傑作である」と主張しているように見えるかもしれない。

 まぁ、実際音楽だけで傑作と言っていいのかもしれないほどの出来栄えなんだけど……そういうわけではない。

 そして薄々お察しかもしれないけど、ここからの「本編終了後」が本題であり、私がこのゲームを傑作だと思っている最大の理由になる。つまり、『レジェンディア』は本編クリア後に傑作へと“化ける”ゲームだったのだ。


キャラクタークエスト

ウィル編「約束の花」

 そう、『レジェンディア』は本編終了後に「キャラクタークエスト」という、キャラ個別のシナリオが用意されている。普通に考えたら本編中にキャラを掘り下げそうなものだが、なんと『レジェンディア』は本編クリア後にキャラを掘り下げ始める。前代未聞の二部構成である。

 そのトップバッターを担当するのが、「ウィル」。
 このウィル編が……まぁ泣けるんですよ!!

 本編でもなんらかの確執がありそうに描かれていたウィルとハリエットの過去が明かされ、本格的に親子の話が動き出す……もうベタベタな「親子の感動ストーリー」なんですが、それでも泣けてきてしまう。

「ウィルさんは守ってきたんだよ。
 家族の家をひとりで守ってきたんだよ。」

「……なんで、どうしてよ。
 なにも言ってくれなかったのに。」

「『おかえり』って、
 誰も言ってくれない家でも、
 ひとりで守ってきたんだよ。」

 個人的には、ウィルが自宅にずっと用意していた「ハリエットの部屋」が登場するシーンが……もう本当に泣ける。ウィルもハリエットも、お互いに家族として大好きなのに、それを正面から伝えられない。この「不器用さ」において、すごく“血の繋がり”を感じてしまうのがなんとも皮肉だ。

 正直、『レジェンディア』って本編のシナリオの面白さはそこそこというか……「まぁまぁ良い」くらいだったと思う。でも、キャラクタークエストから、明らかにシナリオの面白さが覚醒してるんですよ。

 ウィル編を遊びながら、「レジェンディアってこんな泣きゲーだったっけ?」と思ってしまうくらいには心揺さぶるストーリーが展開されるし、本編をクリアするだけで70時間もかかっていたせいで内心「まだ続くのか……?」と思っていたのに、あまりの面白さに食い入ってしまった。

 つまり、キャラクタークエストから格段に面白くなるシナリオを含めて『レジェンディア』は傑作だと、私は言いたかった。「本編クリア後に面白くなるゲーム」って何? エンジンかかるの遅すぎない? こいつレジギガスか?

アメリア:ねェ先生……考えてきた?花の名前

アメリア:せーので一緒に言おう
     いくよ…せーの

アメリア・ウィル:ハリエット

 そして、トドメとばかりに繰り出される「花の名前」に、私は大号泣していた。こんなの、途中でわかりきっていた。「あ、これどう考えても娘の名前だな」とわかりきっていたのに、それでも、それでも泣いちゃう。

 このムービーの完成度にも泣けるし、ウィル自身の「(花の名前は)オレとアメリアが最も愛したものだ」「聞いて泣き出すなよ?」という前フリだけでも泣ける。実際にプレイしてるとき、もう涙で画面が見えなかった。

 最近見ているアニメからちょっと引用してしまうけど、これはまさに「ある一家を巡る、愛と再生の物語」。最愛の人を失ったふたりの親子が、もう一度「家族」に戻るまでのお話。そして、あの時の約束を果たすお話。

 まさか……まさか『レジェンディア』にこんなに泣かされるとは思っていなかった。なんというか、いま、自分は最高のシナリオを堪能している。涙が止まらないながらも、心はそんな高揚感に溢れていた。

 そして終わり際の、本当の意味で「家族」になったウィルとハリエットの一幕が、これまた泣ける。家族っていうのは、いつも家で大切な人を待っているものだからね。いかん、雨が降ってきたな。

 「おかえりなさい、パパ!」
 「ただいま、ハリエット。」


ノーマ編「夢の行方」

 そしてウィル編で涙腺がガバガバになっているせいで、続くノーマ編でも師匠の話が始まっただけでちょっと泣きそうになっている自分がいた。伝わってほしい。『レジェンディア』既プレイ勢には、この「どんどん涙腺がガバガバになっていく感覚」をわかってほしい。

 ノーマ編を遊んでいて、すごく素朴に思ったことがあるのですが……俺って、ノーマ・ビアッティのことを何も知らなかったんですよ。本編クリアまで70時間も一緒に旅をしていた仲間なのに、あんなにリザレクションにお世話になっていたのに、ノーマの過去も、出自も、何も知らなかった。

 つまり、キャラクタークエストを始めることで、ようやく「よく考えたらパーティーメンバーのこと何も知らないな……」と気づかされるような構造になっている。キャラゲーとして異端すぎる。これは、70時間遊んだのに仲間のことが何もわかっていなかったと思い知らされるRPGなのである。

 そんなノーマ編では、「エバーライト」を巡る、「夢」の話が描かれる。無謀ながらも、しかし純粋にエバーライトという「夢」を追い続けていたスヴェン。そんなスヴェンを師匠と仰いでいたノーマの、師弟関係のお話。

 そもそも、ノーマ自身、本編のころからやたらと「気遣い」な一面を見せるところがあった。お調子者で、なにも考えていないように見えて、実のところパーティー内で一番気を遣っているのは彼女なのでは? ノーマがいなかったら、このパーティーはどこかで崩壊していたのでは?

 キャラクタークエストでは、そんな彼女の繊細な一面が描かれながらも、「夢を追い続ける」ことの愚かしさと無謀さに苦悩する姿を通して、ノーマというキャラクターの良さをこれでもかと際立たせている。

 つまり、本編では描ききれなかったキャラの魅力が、もうキャラクエで爆発している! シナリオだけでなく、キャラの良さも2~3倍に膨れ上がっている!! やっとテイルズっぽくなってきた! 70時間かかったけど!!

「顔をあげろ! ノーマ!」
「胸をはれ! ノーマ!」
「明日を見ろ! ノーマ!」

「その先に無限の未来が待っている!」

ノーマ・ビアッティへ。
スヴェンより、夢とロマンを込めて。

 そして、夢を追い続けていた師匠は……本当に、エバーライトを掴んでいた。なんて美しい話なんだろう、と思った。夢を追うことは、夢を信じ続けることは、こんなにも美しくて、胸を打つものなんだ。

 夢を追うことは、いつだって苦しい。周囲にだってバカにされるだろう。けれど、夢を追っている人の姿は、いつだって輝かしい。だって、夢を追うのが人生でしょ? 一度きりの人生なんだから、ロマンを探さなくちゃ。

 なんかもう、ウィル編で上がりきったハードルを普通に越えてきてるんですよ。あまりにもウィル編が刺さってしまったものだから、「ノーマ行けるんかオイ!?」と思っていたけど、平然と越えてきやがった。

 そして、エバーライトを手にしたノーマ(とスヴェン)の願いの正体……その願いを叶えて、「ざまあみろ」と笑顔で宣言するノーマの姿に、二度泣ける。この「叶えたかった願いの内容」まで含めて泣けるところが、めちゃくちゃ好きです。夢は叶う。いつか、絶対に。ロマンを信じ続ける限り。


クロエ編「帰りたい場所」

 ウィル編から続く感動の物語に圧倒されて、なにも言及していなかったけど……どれだけシナリオが面白くなっても、バトル周りは相変わらず虚無っているのもまた『レジェンディア』らしいと思う。

 キャラクタークエストで登場するダンジョンはすべて本編の使い回しで、敵のHPはムダに高くなり、オマケにダンジョンは徒歩で帰らされるという地獄の仕様。終わっている。どんどん面白くなるシナリオに反比例するかのように、バトル周りの虚無さがどんどん加速している。

 しかし、それでも「この苦しい戦いを乗り越えれば、すばらしいシナリオを味わえるんだ」と、意地になって遊び続ける。これは、まさしく「シナリオを人質に取られている」状態なのでは? これで……これでバトルが面白ければ完璧なゲームだったのにィィィッッ!!

 私が、最初に「(加点方式で)傑作」と言ったのは、このゲームのことを減点方式で考えたら、もういくらでも面白くないところを挙げられるからだ。そして、それが面白い部分と相殺しあっているわけでもない。泣けるシナリオと、神がかった音楽と、ロクでもないクソ仕様の数々が個別に鎮座しているのが、『レジェンディア』なのである。

 たとえるなら、音楽と国語で100点を取っているのに、なんか数学と科学が30点くらいで、結果平均点みたいなゲームだと思う。それでも傑作だと信じている。なぜなら私は、音楽と国語が大好きだからだ。別に数学と科学が30点でも知ったこっちゃない。コイツは天才だ! 最高のゲームだ!!

 ……何の話してたっけ?
 とにかく、ダンジョン徒歩帰りは本当に勘弁してほしい。なんで虚無いとこまでパワーアップするんだ。この怨嗟をぶつけなければ気が済まない。

 そんなバトルの虚無さに苦しめられながらも、クロエ編もしっかり面白いのだから困ったゲームである。二度言いたい。困ったゲームである。

 クロエだけでなく、キャラクエ編自体が「各キャラの心の闇を解決していく」ような構成となっている印象がある……そんな中で、彼女の闇は「幼いころの自分自身」だというのが、これまた残酷な話だと思う。

 大切な家族を奪われ、ひとりでヴァレンス家の当主として行きていくしかなかった。もう帰る場所はどこにもない。この憎しみも消えやしない。けれど、いつの間にか彼女には、「仲間」という名の「帰る場所」ができていた。仲間たちがクロエの心を支え、辛い過去を乗り越えていく。

 クロエ編以外もそうなんですが、キャラクエって毎度「サブタイトル」が乾坤一擲の題名だと思うんですよ。ウィル編での「約束の花」、ノーマ編での「夢の行方」ときて、クロエ編での「帰りたい場所」

 これは、いざクロエのキャラクエを終えたときに、ものすごく染みるサブタイトルだった。過去のクロエにとっての「帰りたい場所」と、いまクロエが思っている「帰りたい場所」。奪われた家族と、いまの仲間たち。そしていまのクロエにとっての家族帰りたい場所は……もう言うまでもない。

 空は、いつもクロエのことを笑っていた。
 家族を殺された日も、クロエを嘲笑うかのように、雨は降り注いでいた。そんな雨を、クロエが「よかった」と思えるまでの話なのかもしれない。

 過去を乗り越え、自分自身を愛せるようになる。
 嘲笑ってるように見えた雨も、悲しみを洗い流してくれていた。
 そんな、「自己肯定」の物語だと思います。

「今なら笑顔で答えられそうだ。」
「私は幸せです……と。」

公式サイトより

 ……と、シリアスな感じで締めたい気持ちもあるのだが、私はどうしても「クロエ」というキャラに、気になっているところがひとつある。

 このすごい格好、何?

 なんでクロエってこんなとんでもない格好してるの? 本編でほぼスルーされてたから、キャラクエで明かされるんじゃないかと思ってたけど……とくに真相は明らかにならなかった。聖ガドリア王国の騎士は全員こんな格好をしているのか? やっぱ中澤一登の性癖なのか?

 私は、気になって仕方がなかった。
 しかも、この衣装に対して、クロエ自身は誠実で真面目なキャラクターなのである。どうして真面目なクロエがこんな服を着ているんだろう。ちょっとした尊厳破壊みたいで興奮する。誰かこの真相を教えてほしい。

クロエの全身絵が画面に映り込むたびに、
「何このすごい格好……」という動揺を抑えきれなくなる


モーゼス編「決意の咆哮」

 そもそも、本編のころからモーゼスが結構好きなキャラでした。
 だって……こいつシンプルにいいやつだし……家族想いで情に厚いやつだし……なんか「好き」というより「好感度が高い」って感じですね。

 だから、モーゼスのキャラクエも「一体どんな感動のストーリーが飛び出してくるんだ」と期待していたら、まさかのギートとの話という。たしかにずっと連れてたけど! アイツがメインに来ると思わないじゃん!!

 ただ、ここは流石の手腕というか、「野生化した獣とは最終的に殺し合うしかない」という悲しすぎる設定を開示しつつ、モーゼスがどれだけギートを大切にしていたのかを回想で明かしていくことで、どんどんこのふたりの関係に感情移入していく。というか、もう助走の段階で泣けてくる。

 だってさぁ……「人間と動物の関係」って、やっぱ無条件に泣いちゃうよ! こんなのペット飼ったことある人なら涙腺ガバガバになっちゃう!!  

 家族のように大切な存在がいて、そいつがどんどん野生化していって、いつかはお別れしなくちゃいけない……もう殺すしかないのかもしれない……でも、最後まで一緒にいたい。それがモーゼスの「家族を大切にする男」というキャラ性と噛み合って、もうクライマックスに至る前から泣けてくる。

 そしてついにやってくる、ギートとのお別れ。
 これはキャラクタークエスト全編を通して思うことなんですが……なんかキャラクエから声優の演技も2~3段くらい熱がこもってる気がする。

 この「ワイの声を思い出せ!」から、どんどん声が涙ぐんでいくモーゼスとか……もうこの演技に泣けてきちゃう。これ中井和哉ガチで泣いてない? 演技半分リアル半分って感じがします。中井和哉すごいぜ。

「ギート、忘れるな!
 何があってもこれだけは忘れるな!!」

「ギートはワイの家族じゃ!
 この命ある限り、ギートはワイの家族なんじゃ!!」

 これは『レジェンディア』の地味にすごいところだと思うんですが……ぶっちゃけこのゲームって、ゲーム内の絵面が若干しょっぱいと思うんですよ。基本は見下ろし視点で、キャラがコマみたいに置かれてて、どうしても「絵的な没入感」に頼れない構図になってしまう。

 カメラをグリグリ動かすこともできないし、なにか高精細の風景やグラフィックに頼ることもできない。だから、このゲームで感動させようと思ったら、おそらく「シナリオ」と「演技」と「音楽」がメインウェポンになってくる(アニメムービーはここぞで放つ必殺技みたいな感じ)。

 そして実際、『レジェンディア』はシナリオと演技と音楽が最高潮に達することで、グラフィックでの表現以上の感動を生み出していると思う。ギートとのお別れのシーンだって、全然画面動いてないんですよ。でも、セリフと、演技力と、音楽があわさって、そこにある絵以上の感情を生んでいる。

 メインシナリオを遊んでいるころ、正直『レジェンディア』に対して「音楽だけが突出して強すぎるゲーム」という印象があった。つまり、音楽だけが抜きん出て迫力があるせいで、むしろほかの部分が悪目立ちしている。

 しかし、キャラクタークエストから、あの音楽に「感動的なシナリオ」が合体することで、ついにゲーム内に調和が生まれた。あの尋常ではない音楽とぶつかっても壊れない最高のシナリオが出てきたことで、『レジェンディア』という作品自体がギュッと引き締まった。ここがすごいと思います。


ジェイ編「守るもの、守られるもの」

 そこからのジェイ編は、キャラクタークエストで一貫して描かれてきた、「家族」というテーマの集大成のようなお話だった。

 ジェイの願いはたったひとつ、「家族が欲しい」
 もう、これだけで泣けるんですけど……そんなジェイのもとに、モフモフ族のみんなが助けに来るシーンで、さらに泣けてくる。ジェイの周りには、ずっと家族がいた。ジェイはひとりぼっちなんかじゃなかった。

 そして「モーゼス編からの流れ」という意味で、ジェイとケンカばっかりしていたはずのモーゼスが「お兄ちゃん」として奮い立つのがアツすぎる。モーゼスから「家族を泣かせるやつをワイは絶対に許さんけえのお!」というセリフがあの話の直後に出てくるの、マジで泣いちゃうやつだから……。

「笑うのはそこまでだキュ!」
「家族ならここにいるキュ!」
「ポッポ達がジェイの家族キュ!」

「「「家族をいじめるお前を、絶対に許さないキュ!!」」」

マスコットくらいに思ってたモフモフ族すら泣き要員になるのすごいよね

 キャラクタークエストって、「たとえ本編終了後だとしても、毎話感動するシナリオを用意すればプレイヤーは満足してくれるはずだ」という机上の空論を、そのまま実現しちゃってると思うんです。

 いや、本当にこれって、「それができれば苦労はしねェ」と言いたい人間が何人もいるはずなんですが、『レジェンディア』はマジで毎話泣けるシナリオを用意してきたのだからすごい。ハズレがひとつもない。泣ける話が終わったら泣ける話が始まり、それが終わってもまた泣かせにくる。

 そんな、100時間遊んで一度味わえるかどうかの感動を、矢継ぎ早に繰り出してきた……それだけで、傑作に値するゲームなのではないかと思っています。ここまで何度も感動することって、中々ない。


グリューネ編「誕生」

 これで最後のグリューネ編……だったはずなのだが、私はもう心が折れかかっていた。あんなにシナリオに感動していたはずなのに、それでも心が折れかかっていた。

 どんどん強くなるザコ敵、何度も使い回されるボスとダンジョン、徒歩で帰るには長すぎる終盤のダンジョン、◯ボタンを連打しすぎて疲れてくる親指……もう、とっくに心が限界を迎えかけていた。

 そして私のなかで「このすばらしいシナリオを最後まで見届けたい」と「もうこの使い回し地獄から解放してくれ」という気持ちが激闘を繰り広げ、グリューネ編のあたりでわずかに後者が優勢になった。奇しくもグリューネ(光)とシュヴァルツ(闇)の争いと全く同じ構図ではないだろうか。

 しかし120時間も遊んでいるから、後には引けない。「俺はなんとしてでもこのゲームのエンディングを見届けるんだ……」と、身体を奮い立たせるが、ラスダンで中ボスと6連戦が始まったり、やたら強いダークセネルとダークシャーリィが出てきたりして、もう目から光が消えた。

 夏場にプレイしているせいか、なんかちょっと朦朧としてくる。
 このときの私の精神状態をひと言で言えば、「朦朧」である。鬼のようなエンカ率、フッハッくらえ、クソ長いダンジョン、帰りは徒歩……脳内に、「もうやめてもいいんじゃない?」という悪魔の囁きが響いている。

 そして脳裏をよぎったのは、「これは肉体でなく心を抓む戦い!!」という言葉。きっと、シュヴァルツは使い回し地獄でこちらの心を破壊しようとしている。なんて卑劣なラスボスなんだ。これは既プレイ勢の総意だと思うけど、リマスターしたらマジでこのへんなんとかしてほしい。

「この世界に降り立って本当に良かった」

「出会えたのがみんなで本当に良かった」

「私は消えてしまうけどみんなと過ごした時間は、
 決して消えてないから……」

「みんな、思い出をありがとう」
「笑顔を……ありがとう」

 で、実はこのグリューネとのお別れのシーンが、自分にとっては「本題」というか……いろんな意味で、「一番感動したシーン」なんです。

 最後にグリューネが消えるとき、彼女のセリフと、プレイヤーの「自分」の感情が重なっていた。重なってしまった。エンディングを迎える瞬間、もう一言一句、グリューネと同じ気持ちになっていた。

 この世界に降り立って、本当によかった。
 出会えたのがみんなで、本当によかった。
 このゲームは終わってしまうけど、みんなと過ごした時間は決して消えない。みんな、思い出をありがとう。別れ際に、最高の笑顔をありがとう。

 最後にそう思うための120時間であり、キャラクタークエストだった。グリューネと同じ気持ちになり、みんなのことを好きになって、この世界とお別れするまでのお話だった。完璧なエンディングだと思います。

 みんなと一緒に世界を救い、この作品の幕が閉じるとき、別の世界へと帰っていく。謎多き「神」としてのグリューネは、きっとプレイヤーの……いや、これ以上のメタ読みは無粋なのでやめておこう。

 私も、この世界でみんなに出会えて、本当によかった。
 大好きだよ、みんな。


なぜレジェンディアは傑作なのか

 端的に言って、私は「ゲームは最終的に面白ければ勝ち」だと思う。

 ゲームをクリアした瞬間に、「これって最高のゲームだ……」と思えていれば、それで傑作だと認めていい。加点だの減点だのといった、相対的な尺度に頼る必要なんてない。終わった瞬間こそがすべて。途中がどんなにつまらなくても、その一瞬で全部報われたら、それはもう傑作だ。

 だから、『レジェンディア』は傑作だと思います。
 終わった瞬間、最高の気分になれるからです。
 クリアしたら、このゲームが好きになっているからです。

 これはもう私の思想だけど、ゲームというものは、「途中の99時間がつまらなくても、最後の1時間で感動できれば、なんだかすべてを許せてしまう」ところが美徳なのではないかと思う。しかも、その最後に至るまでの時間が長ければ長いほどに、そのゲームが好きになってしまう。

 つまり、どんなゲームでも100時間くらい遊んでいると、もう否が応でも「愛着」が湧いてしまう。思うところが無数にあったとしても、100時間も捧げると、なんだかコイツがかわいく見えてしまう。気づいたら、愛しちゃっている。それこそがRPGの面白さであり、ゲームの大好きなところだ。

 私のなかで『レジェンディア』は、そんな「愛着」が爆発した。
 
プレイ時間が長すぎて、自分でも気がつかないほどに、「愛」が積もりに積もっていた。そしてお別れのとき、私は泣いていた。ゲームというものは、それだけで「傑作」と言っていいんじゃないかなと、私は思います。

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