25年越えの英語学習失敗記 その3
エントリーシートとTOEICスコア
大学3年生になり、就職活動が現実味を帯びてきて、履歴書を書き始めた私は、一つだけ悩んだ。「TOEIC475点。このスコアは書くべきか。」
数分考えた末、答えはすぐに出た。「書かない。いや、書けない...。」
当時は就職氷河期。有名大学の学生が何十社も落ちる時代だった。もし自分が採用担当者なら、475点という数字を見て評価することはないだろう。むしろ、「中途半端」あるいは「英語力は高くない」と思うのが自然だろう。
また、あと数か月で劇的にスコアを伸ばせる自信もなかった。だから私は、TOEICのスコアアップを一度諦めた。
その代わり、履歴書に書ける武器を増やそうと考え、当時の基本情報技術者試験の勉強に集中し、資格を取得した。そして、東京の企業3社と地元企業1社を受け、東京1社と地元1社から内定をいただいたのだった。
就職という意味では、この判断は間違っていなかったと思う。しかし、英語学習という視点では、ここからまた新しい遠回りが始まることになる。
TOEICは中断したが英文読解は必要
大学4年生になると、卒業研究が始まった。
すると以下の作業が必須となった。
英語の論文を読む。
RFC(インターネット技術の標準仕様書)を読む。
その他技術資料を読む。
情報系の学生だった私にとって、英語は嫌いでも避けて通れなかった。そこで私は、自分なりの英文読解法を身につけていく。今思えば、それも大きな間違いだった。
「英語」ではなく「日本語」を読んでいた
英文を読むたびに、辞書で調べた単語には蛍光ペンを引き、余白に日本語を書き込む。次に同じ単語が出てきたら、また日本語へ置き換える。それを何百回、何千回と繰り返した。すると不思議なことに、英文の概要だけは何となく理解できるようになった。
私はその状態を、「英文が読めるようになった。」と勘違いしてしまった。しかし実際には違った。
自動詞と他動詞の違いは曖昧。熟語も十分覚えていない。文型も意識していない。時制も深く理解していない。つまり私は、英語を理解していたのではない。英語を日本語へ変換していただけだったのである。
読めることと、使えることは違う
当時の私は、それでも困らなかった。論文の概要は分かる。技術資料も何となく理解できる。卒業研究も努力の甲斐あって順調に進んだ。だから私は、「英文は読めるようになった」と思い込んでいた。実際には、「読めた」のではない。「何となく意味が分かった」だけだったのだ。
しかし社会人になり、海外の人と仕事をするようになると、この考えが完全に間違っていたことを思い知る。当然ながら英文を読めることと、英語を使えることは、全く別の能力だった。
もっとも、この時点では気付いていなかった。「読める」と「話せる」の間には、想像以上に大きな壁があることを。その壁に真正面からぶつかる日は、そう遠くなかった。
