百冊分の回遊
「街クジラはたのしいね」とあなたは笑いました。
あなたはそう言って、街クジラのおなかで死んだ。
あのときは、あなたの方が先に死ぬ物語でした。
海に還ってきてしまうと他にすることもないので、
あなたが先に死ぬ物語と、あなたよりも先に死ぬ物語と、
どちらが嬉しいか考えてみたりもします。
あなたにも聞いてみたいなと思うのだけど、
海に還ったらあなたはいつも、何もかもを忘れてしまう。
海にいるときのあなたは、とても小さい。
小さすぎるから、あなたを見つめることと海を見つめることは、ほとんど同じことであるように思えます。
この海には本当に海しかないね。
ここにあるのはとうめいな藍色ばかりで、藍色は遠ざかれば遠ざかるほど色を深めて、海とひとつになって深まったあなたはすごくいい。同じように色を深めて海の中を漂っていると、あなたがふるえてくれることがあります。嬉しいのですぐにふるえ返すと、ほんの少しの原色の藍が海に散り溶けるのを知っていますか。
形をなくして、あなたと海でふるえ合っているのは、ほんとうに気持ちがいい。
街クジラのおなかにいるとき、あなたは形を持っています。
街クジラのあくびに海もろとも飲み込まれて、街クジラの舌を転がり喉元を過ぎて食道を流れ落ちていく、その間にめきめきと魚のようなものになり、蛙のようなものになり、ヒトになったあなたはとてもやわらかい。
抱きしめながら「こんにちは」とあなたは言います。
街クジラのおなかの中で、あなたは言葉も持っています。
言葉を交わすのはとても面白い。思っていることも思っていないことも、たくさんあなたに話します。
街クジラのおなかの中でヒトになっているときは、海のものであったことを忘れています。忘れているから、言葉を使ってあなたに近づこうとする。言葉はとても面白いけれど、重ねれば重ねるほどあなたはいつも遠ざかってしまいます。
それなら黙ってみたらどうなるだろうと、ようやく気がついて口を噤んでみると、果てしない藍色の気配が立ちこめて、物語はそれでおしまいです。
街クジラのおなかの中で物語の通りに死んでいくことを、もしかしたらあなたは面白がっていましたか。
「街クジラはたのしいね」とあなたは笑いました。
街クジラのおなかにいるときは、そこが街クジラのおなかであることを知りようがないはずなのに、あなたは確かにそう言った。
「まちくじらってなに」訊き返したときには、あなたはもう死んでいました。街クジラのおなかにいるときは、それがただの物語であることも知りようがないので、あなたがやわらかさを失っていく恐ろしさにいつも気が狂いそうになります。街クジラのおなかの中でふるえるのは、とてもさみしい。
さみしいと感じたことを、どうして覚えているのか分かりません。
街クジラのおなかの中では何もかも忘れてしまうのに、海に還ってくると何もかもを思い出すつくりになっている。不思議です。
あなたと同じように形をなくしているのに、言葉をどうして持っていられるのか。言葉を持つとはどういうことなんでしょう。
(こんにちは)
形も言葉もなくしたあなたに、呼びかけてみます。
もしかしたらあなたは、街クジラのおなかの中では何もかもを思い出しているのかもしれない。街クジラで言葉を教えてくれるのは、いつもあなたのほうですね。
あなたが先に死んだので、焼いて、砕いて、粉にしたものを水で錬って丸くして、街クジラの海に流しました。
街クジラの海はときどき栓を抜かれたようにするすると海面をへこませて、それから途方もなく噴き上がって、死んで流されてきたものを本当の海に還してくれると、街クジラのおなかに暮らすヒトビトは信じています。
あなたが死んでからの街クジラを、わりと楽しんで過ごしました。
あなたの十年後に死んだとき、焼いて、砕いて、粉にしたものを水で練って丸くして、街クジラの海に流してくれたのは親切な新しい恋人です。
いつか、あなたよりも先に死ぬ物語だったときに、残されたあなたを甲斐甲斐しく海に流した恋人よりも、若くて可愛くて良い子です。
海に還ってくると、すぐにあなたを見つけます。見つけると、側にいたくなる。
街クジラではあなたがすぐに見つけます。見つけて、側にいたがります。
そういうつくりになっているんでしょうか。
側にいたくなるのにどうしていつも、どちらかが何もかもを忘れてしまうんだろうね。
あなたがいつもよりもたくさん、ふるえている。
そういえば、百冊分くらい死んだり死なれたりを繰り返しているのに、一緒に死ぬ物語をやったことは一度もないですね。
面白そうなのでやってみたい。あなたも、やってみたいですか。
街クジラがねむたそうに、藍色の海を横切っていきます。
<1915文字>
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シロクマ文芸部の企画に参加させていただきました。
