たった一人、立ち向かってくれた「愛」
2002年 よく言う日韓ワールドカップ世代
我、生誕。
4人きょうだいとして生まれたわたし。
物心ついたときから、周りに囲まれていた。
みんながわたしの一挙手一投足に注目する。
鳴り響く拍手
かわいいという言葉がこだまする
まだなんの菌も付着してない天然記念物のような頬を撫でる。
わたしは末っ子だ。
末っ子の力はとてつもなく大きい。
ただでさえかわいい子ども。その中でも、最後に生まれたというだけでみんなから愛される。
それは最後に見られる赤ちゃんの姿だからか、あるいは本当にかわいいのか。
親からの愛は兄や姉を上回っていき、
驚異の末っ子アドバンテージは後の人生にも続く。
姉や兄の同級生は一斉に自分のとこに集まり
「かわいい」「えらい」「わたしもほしい」など、
向けられる言葉は常にあたたかい。
まさに順風満帆な人生。
そんな中、幼い自分にとって唯一の障害があった。
「姉」
だった。
次女はきょうだいの中で一番年が近く、ゆえに厳しかった。
当時の自分にとっては、一番のライバルであり敵であり敵わなかった存在だった。(今現在も)
末っ子ヨイショ社会に現れた姉。
周りは面白がりながら、「やめなよ」や「怖いね」とだけ話していた。
口喧嘩では必ず負け、みんなが私を褒めるたびに冷たい視線を送られた記憶がある。(私の勘違いかもしれないが)
一番忘れられないのは、カレンダーの1日(ついたち)20日(はつか)のような、日付の読み方を完璧に答えられるまで家から出してくれなかったことだ。
私は怒りと悔しさと悲しさで泣き、なにも頭の中に入らない負のスパイラルに陥り、数時間姉と一緒にいた。ようやく答えられてシャバに出てから、涙ぐみながらコンビニの「まるごとソーセージ」を買ったのを忘れられない。

時が経って、みんな大人になった。
姉の圧政は時間が経つにつれ減っていき、家族も本来のように仲良しだった。
コロナ禍では、久しぶりに家族でいる時間が増えた。
私も姉もまだ社会人ではなく、昔のように一緒に過ごす時間ができた。
「楽しかった」
こんなに仲良かったっけ?と思えてきた。
母もまた、4人の子どもを育てた分苦労が多かっただろう。みんな大人になってから当時の話をするようになった。
あの時実はどうだった、
あんなこんなエピソードが飛び交う。
そんな中、姉はふといった。
「寂しかった」
私が生まれるまでは、姉が末っ子でたくさんの愛を注がれていた。末っ子にふさわしい図太さがあり、愛嬌がある。今でもそれは変わらない。それがたった生まれた順番の違いで、ポジションが変わってしまった。
たったの4歳差。嫉妬、いじわるするには十分の年だ。
その言葉を聞いてから、胸がきゅっと締め付けられ、目頭が熱くなる。
どうやら当時流行りの感染症の症状ではなかった。
◇◇◇
ずっと言いたかったことがある。
ごめん。
気付いてあげられなくて
自分も姉はいじわるする人だと決めつけ
言うことを聞かなかったこともあった。
ありがとう。
あの時、数えきれない愛の中に
たったひとり、立ち向かってくれて。
あの日の姉がいなかったら、
自分は大人になっても甘えん坊で
感謝を知らない人になっていたかもしれない。
きっかけはどうであれ
意味は違えど
あの日の嫉妬も
あのいじわるの言葉も
数年のときを経て、
愛に変わったよ。
(1,353文字)#モノカキングダム2025
