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シェフ米澤文雄、note始めてみます #はじめてのnote

こんにちは。シェフの米澤文雄です。


この度、noteを始めてみようと思います。

「やります!」なんて大袈裟に宣言すると、なんだか続かないような気もするのですが(笑)でも、思い立ったタイミングがあったので、こうして書いてみることにしました。



なぜ、今noteを書くのか?

皆さんは僕をどういうシェフだと思っているでしょうか?

ニューヨークの「Jean-Georges(ジャン・ジョルジュ)」で、初めて日本人としてスー・シェフを務めた料理人?

東京・六本木「Jean-Georges Tokyo(ジャン・ジョルジュ トウキョウ)」のエグゼクティブ・シェフだった人?

南青山「The Burn(ザ・バーン)」の料理長をしていた人?

それとも、ジャンルを超えた提案を続ける西麻布の紹介制レストラン「No Code(ノーコード)」の創業者?

僕の最近のInstagramを見ている人なら、多様性やインクルージョンの支援にも力を入れていることや、2025年にサウジアラビアに移住予定(!)で、No Codeはスー・シェフの久松に一任し、新たにフレンチ・メキシカンとして再始動することまでご存知の方もいるかもしれません。

おかげさまで、料理人として、仕事の幅は広い方だと思います。
「え、そんなことまでやるの?」とよく言われます。

僕としてはどれも“自分らしい挑戦”をしている感覚です。

そんな多岐にわたる活動内容について、これまでインタビューや講演で話す機会はありましたが、情報が点在してしまっていたので、一度、自分でもまとめてみたいな、と思ったのがnoteを始めることになったきっかけです。

料理のことはもちろん、経営や"世界で戦っていく"というのはどういうことか、そして家族のことなんかも、少しずつ書いていけたらと思います。


浅草生まれの僕

今日はまず、僕という人間の原点になる、幼少期の話を少し書いてみようと思います。

僕の各種SNSのアカウント名「@yone_asakusa」のとおり、僕は浅草生まれです。

典型的な江戸っ子気質の少し頑固な父と、それをふんわり受け流す、明るく穏やかな母の間に生まれました。

三人兄弟の次男で、2つ上の兄とは常に一緒に遊んでいました。兄の友達に混ざっていることも多く、自然と年上の人との接し方を学んだように思います。

また、6つ下の弟はダウン症で、弟の存在が、僕の考え方や働き方にとても大きな影響を与えてくれています。

僕自身はというと、いわゆる“お調子者”タイプで、思いきり外で遊ぶ子。

その一方で、人の気持ちを先回りして考えるクセがありました。「これをやったら喜ぶかな?嫌かな?」と。そしてそれが、結構当たることが多い。

こんなふうに書くと、敏感で何だか生きづらさみたいなものを抱えているように思われるかも知れませんが、僕はこの観察力のせいで苦しい思いをしたことはあまりなく、だったら人に喜んでもらえるように立ち回ろう!と、物心ついた頃から自然と思っていたように思います。

この性格や考え方も、料理人を選んだ理由や、今の活動の大きな理由になっています。


料理の原体験

そんな僕が料理に初めて触れたのは9歳くらいの頃。
母の手伝いをしている中で、自然と料理に触れる機会がありました。

最初は納豆をかき混ぜるところから。

そのうち、9歳くらいの頃には包丁を握らせてもらっていて、夜ごはんの納豆に入れるネギを刻んだり、漬物を切ったり。火を使わせてもらうようになったのも10歳くらいで、鍋の前で味噌汁の味噌を溶いたり、揚げ物を手伝ったりして、しまいには食卓に並ぶ品数を一品増やすまでに(笑)

人に自分で料理を振る舞うようになったのもこの頃です。

当時少年野球をしていて、野球が終わった後、その友達に作った炒飯が、僕の「最初のひと皿」。

野球帰りの腹ペコ男子に、ちゃちゃっと炒飯を作るのが楽しくて。そこから僕の得意料理は、その炒飯でしたね。卵とご飯のパラパラ感にこだわって、「オレ、中華いけるかも?」なんて思ったこともありました。(全然中華とは違う方向に進んだわけですが……笑)


料理がこんなにも楽しかった理由のひとつが「香り」

香りについては、今の僕の料理の特徴としてもよく挙げられることが多いのですよね。思えば当時から鼻が効く方だったと思います。

夜ご飯の準備が始まると、家中に広がる匂いが嬉しくて。炊きたてご飯の甘い香りとか、味噌汁の湯気とか。嗅覚を通して、料理が“体に染みていく”ような感覚があって、今でもその香りを嗅ぐと、当時のことを鮮明に思い出します。

そしてもう一つの理由はやはり「食べた人達が喜んでくれたこと」。

料理には失敗がつきものだと思いますが、思い返すと失敗した記憶があまりなくて。これはきっと「失敗」と思う前に、誰かが優しく受け止めてくれていたんだと思います。母がそっとアドバイスをくれたり、家族や友人が「美味しいよ」と言って食べてくれたり。

なので僕の幼少期の料理の思い出は、今でも結構楽しいものとして記憶に残っていて、僕の原動力になっています。


母の「料理を仕事にしてみたら?」の一言

そんな幼少期の僕ですが、座学はからっきしダメ。体育や音楽、家庭科などは割と成績が良かったんですが、机に向かってのお勉強は向いていないことを、自分ではもちろん、そして両親もわかってくれていたんでしょう。

母が「料理の道に進むのもいいかもね」と言ってくれたのは、小学4年生のころ。決断が早いですよね(笑)もうこの頃から「勉強しなさい」と言われたことは、一度もないです(笑)

僕も料理はすでに好きだったので、料理人になるぞ!と、早く料理の世界に飛び込みたくて仕方がなかったですが、さすがに両親からも「高校までは出ておきなさい」と言われ、それには渋々従うような形に。

でも、高校3年間も、とにかく勉強そっちのけで、地元の居酒屋やデパートのビアガーデン、屋形船の仕事など、とにかく飲食に関われるアルバイトに打ち込む高校生活を送りました。

ちなみに父も、母が僕の背中を押していて、僕もその気だったので、納得してくれてたんだと思います。元々シャイで口数が少ないこともあり、何も言われませんでした。

「好き」を尊重してくれた両親がいてくれたからこそ、今の僕がいると思っています。


次回は…

ついに高校を卒業し、恵比寿の老舗イタリアンで働きたいとお願いに行くのですが、そう簡単には店には入れてもらえず・・・。社会人として全くの未経験だった僕は、どうやって料理人のキャリアをスタートさせたのか?についてお話しようと思います!

フォローしてもらえたら嬉しいです!


▶︎ジョージくんとブラウニーのクラファンをやっています

▶︎6/18、19に、青山グランドホテル’Rossi’にて、皆様もご存知、石川県小松市「オーベルジュ オーフ」の糸井シェフと、メキシカンインスパイアのコース料理を、破格の11,000円(※ドリンク代別)で楽しめるイベントをご用意しました。

石井シェフは、史上最年少で国内最大級の料理人コンペティション「RED U-35」を制し、現在は石川県小松市「オーベルジュ オーフ」のシェフとして、国内外のお客様を相手に腕を振るう若手料理人。

今回は僕も石井シェフも大好きなメキシカンで。僕はつい先日までメキシコに行っていたので、熱量もアイデア満載!新たに生まれ変わるNoCodeのシェフに就任する米澤の一番弟子、アキノリ(久松)も参戦します。

▶︎その他、最新の情報はinstagramで発信していますので、ぜひフォローしてください。




(arranged by 菅原きこ



#創作大賞2025 #ビジネス部門

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