9999個のドングリは無駄だったのか?~自然は効率より多様性を選ぶ
ドングリって木のタネですよね。
でも、ドングリという木があるわけじゃないってご存知ですか?
ドングリは、主にブナ科の樹木(クヌギ、コナラ、カシなど)に実る果実の総称です。特定の木の名前ではありません。
ちなみに私は結構大人になるまで、「ドングリという木」があると思っておりました(^^;;
さて、そのドングリ。
大きな木になると、1本で何千個、多いものでは1万個近い実をつけることもあるそうです。
1万個ですよ?
もしそれが全部育ったら、木のまわりはドングリの木だらけになってしまいます。
でも実際には、ほとんどのドングリは芽を出すことなく終わります。
動物に食べられたり、乾燥したり、他の植物との競争に負けたり。
そして、その中のほんのわずかなものだけが大木へと成長していきます。
9999個は無駄だったのか?
ここで疑問が湧きます。
もし1万個のうち1個しか大木にならないなら、残りの9999個は無駄だったのでしょうか?
無駄じゃなかったと思います。
もしその年が雨の少ない年だったら。
もし気温がもっと高かったら。
もしシカやイノシシがたくさんいたら。
生き残るドングリは違っていたかもしれません。
自然は未来を予測できません。
だから最初から答えを1つに決めるのではなく、たくさんの可能性を用意しておく。
その中から、その年、その場所、その環境に最も適したものが生き残る。
それが自然のやり方なんだと思います。
自然は効率よりも多様性を選んだ、と言えるのかもしれませんね。
間伐ってかわいそう?
木育の出前授業をしていて木と環境の話をしていると、ときどき子どもたちからこんなことを言われます。
「間伐される木はかわいそう」
間伐とは、森林の成長に応じて樹木の一部を伐採し、過密となった林内密度を調整する作業です。(※林野庁ホームページより)
子どもたちからすると、
「そんなに混むなら、最初から離して植えたらいいやん」
と思うのでしょう。
実は私も昔はそう思ったことがありました(^^;;
でも、自然はそんなに単純ではありません。
植えた時には最適だと思っていても、その後の天候もわからない。
どの木が元気に育つかもわからない。
だから最初はかなり多めに植えます。
そして成長に合わせて、その時々で森全体が元気になるように木を選んでいく。
自然界で起きている選抜を、人が少し手助けしているようなものなのです。
昔は途中で伐られた木にも役割があった
実は昔は、間伐された木にもちゃんと役割がありました。
小さいうちに伐られた木は杭になったり、もう少し大きくなると足場丸太にしたり、さらに成長すると土木資材、そして建築材というように。
森の木は、大きさに応じていろんな使い道をされていました。
かつてはお椀など食器も木、お玉やヒシャク・しゃもじも木、つまり道具から住まいまで全部材料は木でしたから。
ところが現代では事情が変わりました。
金属やプラスチック、塩ビなど、便利で長持ちする代替品が次々と登場しました。
その結果、小さいうちに伐る木の価値が激減して、値段がつかなくなってしまったのです。
本来なら必要な間伐なのに、お金をかけて伐っても売れない。
だから間伐が難しくなる。
そして森が過密になり、森が荒れる。
森の木が伐られて森が減少し、環境破壊が起きている…林業というと、そんなイメージを持つ方もいるかもしれません。
もちろん世界にはそういう地域もあります。
しかし日本の人工林では、むしろ逆の問題も起きています。
木が使われない、
その結果、森の手入れが行われない。
必要な間伐ができない。
そして森の健全な循環が失われていく。
そんな環境問題もあるのです。
木を使うことも森を守ること
昔は木を植えることが緑化でした。
木を増やすことが環境を守ることでした。
もちろん今でもそれは大切です。
でも、木が十分に育った今の日本では、それだけではありません。
木を使うこと。
木を伐ること。
そして、また植えて育てること。
そんな森の循環そのものが、環境を守ることにつながるという視点も持っていただけたら嬉しいなぁと思ったりします。
ドングリがたくさんの可能性を用意しているように、森もまた、多くの木が育ち、多くの木が使われることで次の世代へ受け継がれていきます。
自然は効率だけで成り立っているわけではありません。
少し遠回りに見えても、循環し続ける仕組みを持っている。
それが自然の強さなのかもしれませんね。
ほんじゃあ、また。
