AI時代に、あえて「資格勉強」という不自由を選ぶ理由
そう報告すると、どこからか「今の時代、知識なんてAIに聞けば一瞬じゃない?」という声が聞こえてきそうです。確かにその通り。資産形成のシミュレーションも、複雑な税制の確認も、今やAIが数秒で、かつ正確に答えてくれる時代です。
効率性や利便性だけを物差しにするならば、数ヶ月もの時間を費やして机に向かい、自分の脳に知識を刻み込む行為は、もしかしたら「コスパの悪い遊び」に見えるのかもしれません。
それでも私は、この不自由な努力をあえて選びました。なぜなら、あらゆるスキルがAIに代替されていく今、人間に残される最後の価値は「知識の量」ではなく、「自らの内発的動機によって、自分を律し、学びを継続できる力」そのものにあると信じているからです。
「スキル」は代替できても、「スタンス」は代替できない
現代において、専門スキルや知識は急速にAIに代替されています。しかし、その知識を習得する過程で磨かれる「学びへの構え(スタンス)」や、未知の領域に挑む際の「耐性」は、決してAIが代わりにやってはくれません。
今回の受験を通して、私は自分の中にある「弱さ」と向き合うことになりました。実は、当初予定していた2月の受験を一度断念しています。3級取得後、すぐに2級へとチャレンジしようと考えていましたが、どこか身が入らず、ダラダラと時間を過ごしてしまったのです。
その時痛感したのは、「資格を持っていれば有利」という外発的な動機だけでは、AIという便利なツールが存在する現代において、継続のエネルギーを維持するのは難しいということです。
最後の一歩を支えたのは、「自分が決めたことを、やり遂げる自分でありたい」という純粋な内発的動機でした。この「自分を動かすエンジン」を自ら整備し、点火し続ける力こそが、AI時代に最も必要とされる「人間力」の正体ではないでしょうか。
教育者として「最新学習歴」を更新し続ける
私は普段、コーチとして、あるいは教育者として、人と向き合う仕事をしています。彼らに「自ら学ぶ力」や「主体性」の大切さを説く立場の人間が、過去の貯金だけで話をしていたら、その言葉に力は宿りません。
最近noteにもまとめた「最終学歴」ではなく「最新学習歴」という考え方。 AIが答えを出し、プロセスを省略してくれる時代だからこそ、あえて泥臭いプロセスの中に身を置く。そこで得た「葛藤」や「克服の経験」こそが、誰にも真似できない自分だけの血肉となり、言葉に説得力を与えてくれると考えています。
効率化の先にある「贅沢な学び」
FP2級という山は、見る人から見ると、低い山に見えるかもしれません。また、「資格」という物差しだけが学びの形ではなく、AIなどの最新情報を学ぶことももちろん大事だと思います。
それらが必要だから学ぶということもそうですが、学ぶこと自体が、私にとって自分をアップデートし続けるための「贅沢な遊び」であり、人間としての輪郭を濃くするための手段です。
効率化はAIに任せればいい。空いた時間で、私たちはもっと「人間らしく」なるために、不自由で、泥臭くて、最高に知的な努力に没頭してもいいはず。
学び続けること。それは、「自分はまだ変われる」という希望を証明し続けるプロセスなのです。
