何とかなる
諦めるな。 まだ、早い。
子供の頃から、
何度も自分に言い聞かせてた言葉。
諦めなければ、何とかなる。
一番最初に思ったのが、小学校4年生の時。
京都から名古屋に転校したてで、執拗なイジメに遭った。💦
先生も見て見ぬふりどころか、
俺のバッドなテストの結果をみんなの前で見せて笑い者にした。
ショックやったあ💦
親に言ったら、余計にややこしくなる事が見えている。
平和主義の俺は布団で泣く方を選んだ。
3、4人がかりでのイジメの方は、お咎めなし。
むしろ、悪ガキ達にヨイショするかのように、俺をよそ者扱い。
先生、京都が嫌いやったんやろうか。(笑)
とぼとぼ帰ってくる俺を父は罵った。地球上に逃げ場無し。
大なり小なり、昭和時代には、あるある話。
ちくしょう。1対1やったら勝負になるのになあ。
ある日、父は晩飯無しに、家に入れてくれない、一晩、家の外で。💦
何とも切ない親だが、腹が決まった。 飯の我慢は辛い。
翌日、いじめっ子のボスが一人なのを見て、勝負した。
腹を空かせた俺に勝てる訳が無い。(笑)
この時、色んな事を感じた。 子供心に。
他のいじめっ子や先生も、俺に優しくなり、
多くの同級生がよそよそしくなった。やってはイケナイ事をやった?
綺麗ごとを信じなくなって、捻くれた子供になって、現在に至る。
ただ、一部の女子は優しかった。😊
いじめっ子にスカートをめくられて、
とっても恥ずかしい時に、周りは笑うだけだったようだ。
昭和あるある光景。
以来、女子は優しいものだって、思うようになった。現在に至る。
1年ほどで、京都に帰る事になって、
別れ際に、いじめっ子が初めて口を開いてくれた。ごめんね。
この一言。全てが報われた。
捻くれてた俺が少しだけ、素直になった、現在に至る。
京都に帰ってきても、また、同じ事が起きた。
しかし、今度は、乱闘にならない術を学んでいた。 現在に至る。
正直、自分では分から無いけど、
俺にイジメられるだけの何か要素があったのかも知れない。
分から無いけど、
起きるべくして、起きた事と捉えている。
ずっと後に、商売を始める事になった。
イジメから、イジメヘの対処方法や、メンタルの持ち方の学びが、
商売に凄く役に立った。 いじめっ子達に深く感謝。
新京極で出店した時も、
先斗町で出店した時も、
原宿やアメ村で出店した時も、
似たような事が、最初の三カ月であったんやね。
音がうるさいと、匿名の電話攻勢や、
店の前にゴミ袋の山とか。
おもろい事するんやんけ、と、
ちゃっちゃと、こっちから出向いて「すんまへん。」
いや、そんな訳では、、、、、、、💦
こんな5秒で終わせられる話が、
何年も揉めて来てる人達も見て来た。 勿体ない。
仲間になるのは難しくても敵では無い。
人生、商売に置いて、敵は存在しない。
自分の弱さを脅かす、少し心の弱い人がいるだけ。
なんの問題も無い。
むしろ、チャンスになる事の方が多かった。
「すんまへん。」で、そこから悪い噂は流れて来ない。
中には少数だが、心が触れ合える人もいて、
やっかみ?のような発想からと知らされた。
ここのところは上手く言えないが良く言えば隠れファン?おおきに。
実践には、こんな細かい事が沢山ある。
本業とは関係無いところで、病んで止める人も見て来た。勿体ない。
しかし、
諦めなければ、何とかなる。
そやけど。。。。。
心配するな、全然、大丈夫。😊
そんな時は、ほんの少し疲ていて、休んだらええ。
頑張らんでええ。
ただ、生きてるんや。
生きてる生きてるって、何回か口に出して見るんねん。
元気バリバリの人は???
同じや。
金が入って来たり、良き出会いが起きる。
自分にも、人にも使って来た単純ワード。 多数立証済み。
医者に、「諦めて」
