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イーロン・マスクが、なぜ今「宇宙」なのか。少しだけ分かった気がした

少し前まで、イーロン・マスクがなぜあれほど「宇宙」にこだわるのか、

正直あまり理解できませんでした。

それだけの資金も、技術も、人材もあるのなら、もっと地球のために使えばいいのではないか。

今苦しんでいる人を助けたり、環境の問題を解決したり。

地球上には、まだまだやるべきことがある。

なのに、なぜ火星なのだろう。

宇宙が好きなのだろうか。

あるいは、あまりにも大きな力を持った結果、最後に残された未開の場所が宇宙だったのだろうか。

少し極端に言えば、そんなふうに思っていました。

けれど最近、人の精神や価値観が変化していく過程について考えているうちに、少しだけ見え方が変わりました。

もしかすると彼は地球を見ていないのではなく、

私よりも、ずっと長い時間軸で地球を見ているのかもしれない。

そう思ったのです。


人は、同じ世界を同じ場所から見ているわけではない

最近、私の中で、人の精神には「世界を見る場所」のようなものがあるのではないかと考えています。

まだ整理している途中ですが、大きく分けると、今のところ八つくらいに見えています。

1 生きたい
2 仲間と生きたい
3 自分らしく生きたい
4 正しく生きたい
5 成功して生きたい
6 みんなで幸せに生きたい
7 状況に応じて生きたい
8 生命全体として生きたい

もちろん、数字が大きいほど人として優れている、という意味ではありません。

あくまで、

「どこから世界を見ているのか」

を考えるための、一つの地図のようなものです。

そして、この八つを眺めていて、もう一つ面白いことに気づきました。

一直線に上へ進んでいるというより、

広げる段階と、整える段階が交互にやってくる。

奇数の場所では、それまでの枠を少し破って外へ広がる。

偶数の場所では、広がったものをつなぎ直し、安定させる。

広げる。
整える。
また広げる。
また整える。

その繰り返しで、人の見る世界も少しずつ大きくなっていくのではないか。

今のところ、そんなふうに捉えています。

「精神の八つの場所」

第八の場所は、ある意味では「地球」で終わる

もし第八の場所を、

「生命全体として生きたい」

という場所だとすると、ここでは人間だけが中心ではなくなっていきます。

森を守る。

海を守る。

動物や植物、生態系を守る。

今生きている人だけでなく、まだ生まれていない未来の人たちについても考える。

国や民族という境界を越えて、地球全体を見る。

ここまで視点が広がると、一度、

これが精神の一つの到達点なのではないか。

という感じがします。

人間同士が争うことをやめ、自然と共存し、この惑星全体を一つの生命圏として大切にする。

それ以上、何を見る必要があるのだろう。

少し前まで、私もそう考えていました。

でも、ここで「未来」の長さを変えてみます。

100年ではなく、1000年。

1万年。

100万年。

さらに、その先。

すると少し違うものが見えてきます。

どれだけ大切に守ったとしても、地球は永遠ではありません。

はるか遠い未来には、太陽も地球も、今と同じ姿ではいられなくなります。

もちろん、私たちの日常からすれば、ほとんど想像する意味さえないほど遠い未来です。

けれど、ここで重要なのは「それが何年後か」ではなく、

終わりがないわけではない。

ということです。


一隻の船を、永遠に修理し続けることはできるのか

人類全体が、一隻の巨大な船に乗っていると考えてみます。

その船が地球です。

第八の場所では、この船を大切にする。

壊れたところを直す。

資源を使い尽くさない。

船の中で苦しんでいる人を助ける。

誰かだけではなく、できるだけ多くの命が共に生きられる船にする。

これはとても大切なことだと思います。

でも。

もし、この船そのものに寿命があるとしたら。

どれほど丁寧に修理を続けても、いつか航海を続けられなくなるとしたら。

そこで、もう一つの問いが生まれます。

一隻目を守ることと同時に、
二隻目を造り始める必要があるのではないか。

ここで初めて、私の中に「八の次」が見えました。

「一隻目を守りながら、二隻目を造る」

第八の場所が、

今ある生命圏を守る場所

だとすれば、その次の奇数の場所では、再び外へ向かうはずです。

つまり、

生命が続く場所そのものを増やす。

それがもし存在するなら、第九の場所の一つの姿なのではないかと思いました。


イーロン・マスクが見ているもの

ここで、ようやくイーロン・マスクの話へ戻ります。

SpaceXは現在、自らの方向性として「人類を多惑星化すること」を掲げ、

火星への恒久的な進出を大きな目標として示しています。

火星に自立した都市を築く構想まで公にしています。

だからといって、

「イーロン・マスクは第九の場所にいる」

と人物そのものを分類したいわけではありません。

人間はそんなに単純ではないと思います。

ただ、少なくとも彼が進めているプロジェクトの向いている方向を、この地図から眺めると、以前より少し理解できるようになりました。

私は以前、

そんな遠い未来より、今この地球を何とかする方が先ではないか。

と思っていました。

その感覚も、今でも間違っているとは思いません。

ただ、それは主に、

今ある生命をどう守るか

という問いだったのだと思います。

時間軸をさらに伸ばすと、別の問いが生まれる。

守るだけでは、いつか守れなくなるのではないか。

そうなった時、

今ある生命を守るだけではなく、

生命が存在できる場所そのものを増やしておく。

という発想が出てくる。

ここまで考えた時、

「なぜ今、宇宙なのか」

という私の中の疑問が、少しだけほどけました。


でも、「宇宙船」は人間から見た話なのかもしれない

ここまでは、

一隻目の船と二隻目の船

という、とても人間的な例えです。

でも、ここでもう少しだけ視点を引いてみます。

人間の文明ではなく、

生命そのもの

から眺めてみる。

地球という惑星の中で生命が生まれた。

長い時間をかけて変化し、複雑になった。

そして、その生命の中から、

自分たちが生まれた惑星の外へ出る技術を持つ存在が生まれた。

宇宙へ出て、

別の惑星へ向かい、

いつか生命を運ぼうとしている。

これを「人類」という視点から見ると、宇宙開発です。

でも「地球生命」という視点から眺めたら、

少し違うものにも見えます。

成熟した生命が、
次の土地へ種子を飛ばし始めている。

そんなふうにも見えるのです。


地球もまた、一つの「器」なのかもしれない

植物は、永遠に自分自身を残そうとはしません。

花は枯れる。

木もいつか倒れる。

動物も、人間も死んでいく。

それでも生命は続いています。

なぜなら、

自分そのものを永久に残すのではなく、自分の続きを次へ渡しているからです。

子どもは親そのものではありません。

種から芽吹いた植物も、元の植物そのものではない。

次の世代は少しずつ変わりながら、それでも何かを受け継いでいく。

ここまで考えていた時、一つの言葉が浮かびました。

生命とは、「自分を残すもの」ではなく、
「自分を越えて続きをつくるもの」なのではないか。

これは、人間という個体だけの話ではないのかもしれません。

もっと視点を広げれば、

地球そのものも、一つの器なのかもしれない。

身体という器の中で命が育つように、

地球という器の中でも命が育った。

そして生命は、一つの器を永遠に保存するのではなく、

その中で育ち、

やがて次の器へ渡っていく。

「器は変わっても、続きは渡っていく」

人間の身体が一つの器なら、

地球もまた一つの器。

さらにその先には、

惑星や恒星系という別の器があるのかもしれません。

スケールが大きくなっただけで、

生命が行っていることは、どこか似ている。

受け取り、育て、次へ渡す。

その繰り返しです。


『水祖』を書いた時にも、似たことを考えていた

YORISHIROの『水祖』という曲では、人の身体を「仮の器」として描きました。

さればこの身を 仮の器と
畏み受けて 清らに返さむ

私たちの身体にある水は、最初から自分のものだったわけではありません。

雨だったかもしれない。

草の中にいたかもしれない。

獣の身体を巡ったかもしれない。

誰かの涙だったかもしれない。

そして今は、ほんのしばらく、自分という器の中にある。

自分が死んだあとも水は消えず、また別の命へ渡っていく。

『水祖』では、それを一人の人間という小さな単位から見ていました。

でも今回考えていたことは、

その構造をそのまま地球規模まで広げたものなのかもしれません。

水が、次の命へ渡る。
生命が、次の惑星へ渡る。

人間という器が永遠ではないように、

地球という器も永遠ではない。

だとすれば、

地球から宇宙へ向かう生命は、

地球を捨てようとしているのではなく、

地球から受け取った続きを、さらに先へ渡そうとしている

とも考えられます。


第九の場所があるとすれば

まだこれは、私の中でも仮説です。

最初から九番目を考えていたわけではありません。

八つの場所を眺め、

「奇数では広がり、偶数では整える」

という動きを考えていたら、

八の先に薄く「?」が見えただけです。

もし第八の場所が、

生命全体を守りたい

という場所なら、

その次は再び、殻を破る側になる。

ただ、

「宇宙へ行きたい」

では少し狭い気がします。

もっと本質的には、

生命の続きを、もっと先へ渡したい。

あるいは、

まだ存在していない場所へ、生命の可能性を開きたい。

そんな場所なのかもしれません。

宇宙進出は、その一つの現れにすぎない。

本質は、

今ある世界を捨てることではなく、
今ある世界から、次の世界を生み出すこと。

なのだと思います。


少しだけ、分かった気がした

少し前まで、私には、

「なぜ、それほど宇宙なのだろう」

という疑問がありました。

今でも、イーロン・マスクという人の考えを理解しているとは思いません。

彼の行動すべてに賛成するわけでもありません。

ただ、

「なぜ今、宇宙なのか」

という一点については、以前より少しだけ分かった気がします。

今の地球だけを見るなら、

まだここでやるべきことはいくらでもある。

でも、時間をずっと先まで伸ばし、

人間ではなく生命そのものの続きを考えるなら、

違う答えも見えてくる。

もしかすると、彼が見ているものの一つは、

今の私たちではなく、

まだ生まれていない、生命の続きなのかもしれない。

そして、もしそうだとすれば。

宇宙へ飛んでいくものは、

人間から見れば「船」ですが、

もっと遠くから見れば、

地球という大きな生命が、
初めて宇宙へ放とうとしている小さな種子なのかもしれません。

YORISHIRO – 神の宿る場


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