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【 #エッセイ 】8F→3F→2Fの地獄ループ…気づいたら休憩が消えていた話 #創作大賞2026 #エッセイ部門


◻️駅から遠いだけ、体力を削る職場


2025年1月某日。駅から徒歩15分。

たった15分。
だがその距離は、
思っている以上に身体を削る。
アスファルトに
靴底が吸い付くような感覚。
冬だというのに、
背中にはじんわりと汗が滲んでいた。
まだ働いていない。
それなのに、
すでに少しだけ消耗している。
もしこれが真夏だったら——
そんな想像が頭をよぎり、
軽く背筋が冷えた。
それでも足を止めなかったのは、
時給¥1,400という数字のためだ。
当時の最低賃金を¥200以上
上回るその金額は、
この15分を“誤差”に見せるだけの
説得力を持っていた。

現地に到着し、
無機質なエレベーターに乗り込む。

チン♬
8階。

ヴーーーン。扉が開いた瞬間、
妙な静けさが流れ込んできた。
人の気配が薄い。音もない。
空間だけが、先にそこにあった。

そして、違和感はすぐに姿を現す。

女子更衣室は、
しっかりと区切られた個室。
対して男子は、「仕切りスペース」。
壁ではない。
カーテンですらない。
ただのパーテーション。
均されているはずの平等が、
どこかで雑に処理されている。
そんな印象だけが、静かに残る。

さらには休憩室も違和感が
凄かった。
女性は作業現場と同じフロアのすぐ横。
男性は、3階にある。
しかもその3階にはトイレがない。
用を足すには、2階まで降りる
必要がある。

休憩時にトイレに行く場合、
8階から3階へ降り、
2階へ向かい、
また3階に戻り、
そして再び8階へ。

気づけば、休憩時間は“移動”に
溶けていく。
これは仕事なのだろうか。
それとも、何か別の耐久試験なのか。
答えは出ないまま、
ただエレベーターの到着音だけが、
規則正しく鳴っていた。

◻️移動時間で削られていく、
見えない休憩


休憩のたびに、靴を履き替える。
8階で外履きに戻し、
3階でスリッパに履き替え、
トイレに行くならさらに2階へ降りる。
たったそれだけのことに、
思った以上の時間が奪われる。

8階から3階へ。
3階から2階へ。
そしてまた3階へ戻り、
8階へ上がる。

この往復は、
もはや動線というより“ルート”だった。

🟥なぜ、休憩のたびに
移動しなければならないのか?
🟥なぜ、同じフロアに
休憩を用意しないのか?
🟥なぜ、この設計で問題ないと
判断されたのか?

答えは出ない。
ただ、エレベーターの待ち時間だけが
静かに積み上がっていく。
気づけば、休憩時間の半分以上が
“移動”に溶けていた。
休憩とは、本来、心拍数を落とすための
時間のはずだ。

だがここでは違う。

“効率よく移動するための最適解を
考える時間”

だった。
エレベーター前で立ち尽くしながら、
頭に浮かぶのは単純な言葉だけだ。

面倒くさい。
だるい。
帰りたい。

その三つが揃った瞬間、
「この職場に貢献しよう」
という感情は、きれいに消える。
それでも時間は進む。
イベントのように消費される
休憩を終え、また8階へ戻る。
ここでは、“休むこと”すら
設計されているように思えた。

◻️甘い匂いの裏にある、反復の儀式

工場の空気は、甘い。
菓子の香りが、常に薄く漂っている。

本来なら、
それは心を緩めるはずの匂いだ。
だが、この空間では少し違う。

入室前に、四つの工程がある。

全身にコロコロをかける。
手を洗う。
時間を記録する。
靴を履き替える。

どれも必要なことだ。衛生管理として、
正しい。
だが、その“正しさ”は、毎回
繰り返される。
移動で休憩が失われた分、
なおさらだった。

同じ動作。
同じ順序。
同じ秒数。

その反復が続くうちに、
行為は意味を失い、
ただの“手順”へと変わっていく。

なぜ、ここまで細かく管理されるのか。
なぜ、この手間を削る発想はないのか。

効率と衛生。
そのどちらを優先しているのか、
境界が曖昧になる。
やがて、心の奥で小さな声がする。

——面倒くせえ。

その声は小さいが、確実に蓄積していく。
もちろん声を
実際に出しているわけではない。
この繰り返しは、単なる準備ではない。
労働の前に行われる、
“軽い消耗”の儀式のようだった。

◻️楽な作業と、拭えない違和感


仕事内容は単純だった。
お菓子を袋に詰め、防腐剤を入れ、
洗浄する。
後半は、シルバーボウルや
機械パーツの洗浄。
確かに重い。
だが、想像していた“30kg運搬”は
なかった。
拍子抜けするほど、作業は穏やかだった。
黙々と続けることが苦でない
人間にとっては、
むしろ快適にすら感じるかもしれない。
単純作業は、思考を止める。
思考を止めると、時間は流れる。
その感覚は、どこか瞑想に似ている。
だが、身体は正直だった。
腰が、じわりと抗議してくる。
楽な作業でも、続ければ疲れる。
それは当たり前のことだ。
問題はそこではない。
募集要項と、実際の現場。
その間にある“ズレ”だった。

なぜ、存在しない負荷が
記載されていたのか?
なぜ、実態と異なる情報が
提示されていたのか?

偶然?それとも意図?

作業を続けながら、
小さな違和感が、
ゆっくりと形を持ち始める。

——ここは、なにかおかしい。

その感覚だけが、妙に鮮明に残っていた。

◻️なぜ、この設計は疑われないのか


この違和感は、誰のものだったのだろう。
少なくとも、現場は回っていた。
生産は滞らず、作業は淡々と進む。
それならば、
この設計は“正しい”のかもしれない。
そう思いかけて、すぐに引っかかる。

なぜ、休憩は
遠ざけられているのか?
なぜ、移動は前提として
組み込まれているのか?
なぜ、その不便さは
修正されないのか?

理由は単純かもしれない。
——問題になっていないからだ。
誰かが声を上げたわけでもなく、
致命的なトラブルが起きたわけでもない。
だから、この構造はそのまま残る。
ここでは、働く人間は
“環境に適応する側”だった。
環境が人に合わせることは、
ほとんどない。
最適化されているのは、
作業の流れであって、人間の快適さ
ではない。

そのバランスが崩れない限り、
違和感は“なかったこと”にされる。

◻️不合理は、どこから生まれるのか


不合理は、偶然ではない。
それは多くの場合、
誰かにとっての
合理の積み重ねでできている。
休憩室を近くに作らない。
トイレを同じフロアに置かない。
動線を短縮しない。
それぞれに、小さな理由があるはずだ。

コスト。
スペース。
管理のしやすさ。

どれも正しい。
どれも間違ってはいない。

だが、その“正しさ”は、
どこかで別の負担に置き換えられる。
削減されたコストの分だけ、
誰かの移動が増える。
短縮された手間の分だけ、
誰かの時間が削られる。
その積み重ねが、
目に見えない不合理として現れる。
そしてそれは、
一人ひとりに均等に
降りかかるわけではない。

気づかれにくい場所から、
静かに偏っていく。

◻️それでも成立してしまう理由


それでも、
この仕組みは成立するのはなぜか?

受け入れる人間がいるからだ。

違和感を覚えながらも、
口に出さずに働く人間がいる。
あるいは、違和感そのものに
気づかないまま、
ただ与えられた環境に順応していく
人間がいる。
それは責任の問題ではない。
この働き方では、人は長く留まらない。
去ることが前提の場所では、
環境を変える動機が生まれにくい。
声を上げるよりも、
次の現場に移る方が早い。
その選択が繰り返されることで、
構造は更新されないまま維持される。
需要と供給。
言葉にすればそれだけだが、
その内側では、
誰かの不便が、
別の誰かの都合として処理されている。
そしてその循環の中で、
違和感は、徐々に摩耗していく。
気づいた頃には、
それは「そういうもの」
として受け入れられている。

——本当にそうなのか、
確かめる機会もないままに。

◻️声を上げにくい構造の中で


ギグワーカーは、声を上げにくい。

その日の働きが、そのまま評価になる。
次に呼ばれるかどうかは、
その評価ひとつで決まる。
だから、
違和感があっても口には出さない。
出せばどうなるかは、想像できるからだ。
評価は理由を伴わないこともある。

「行動が遅い」
「指示を理解していない」

あるいは、何も書かれないまま、
ただ数字だけが下がる。
それが事実かどうかは関係ない。
残るのは、
次の機会が減るという現実だけだ。
だから人は、環境に適応する。
疑問を抱いても、飲み込む。
違和感を覚えても、処理する。
その繰り返しの中で、
「言わないこと」が最適解になっていく。
この働き方では、人は長く留まらない。
一日で終わる関係。
次があるかもわからない関係。
その距離感の中で、
環境を変えようとする動機は生まれにくい。
結果として、構造はそのまま残る。

修正されない違和感だけが、
静かに積み上がっていく。

◻️代替可能であるということ


ここでは、人は“補充される側”にいる。

誰かが来なくても、代わりはいる。
誰かが辞めても、すぐに埋まる。
その前提がある限り、
個人に最適化された環境は
用意されにくい。
効率よく回る仕組みの中では、
人は部品として扱われる方が都合がいい。
それは冷たい話に聞こえるかもしれないが、
構造としては合理的でもある。
だからこそ、環境は変わらない。
代替可能な人間には、
最適化された環境は与えられない。
それは能力の問題ではなく、
位置の問題だ。

どこに配置されているか。
どの役割を担っているか。

それだけで、扱われ方は決まる。

◻️選ぶ側に回るということ


では、どうすればいいのか。

答えは、単純で、そして少し残酷だ。

自分で選ぶしかない。

力を使う仕事が得意なら、そこへ行く。
細かい作業が得意なら、そこを選ぶ。
集中が続くなら、その強みを使う。
与えられた場所に適応するのではなく、
適応できる場所を探す。
この働き方では、
それが唯一の防御になる。

選ばれることを待つのではなく、
選び続ける側に回ること。
そうして初めて、
環境との距離を少しだけ調整できる。

◻️それでも残る違和感


それでも、完全には消えない。

どれだけ選んでも、
どこかに“ズレ”は残る。

効率と人間。
合理と感情。

そのあいだにある溝は、
簡単には埋まらない。
だから今日も、
誰かがその隙間を埋めている。
名前を呼ばれることもなく、
ただ役割として配置されるままに。

それが、この働き方の静かな前提だった。

◻️それでも、あの15分は残る


仕事を終え、エレベーターで1階へ降りる。

扉が開き、外の空気に触れた瞬間、
わずかに身体が軽くなる。
朝と同じ道を歩く。
駅までの15分。
来るときと同じ距離のはずなのに、
その重さはどこか違っていた。
靴底が地面を押すたび、
今日一日の出来事が、
遅れて身体に戻ってくる。

8階と3階の往復。
削られていく休憩。
意味を持たなくなった手順。

それらはすべて終わったはずなのに、
違和感だけが、うまく外に出ていかない。
あの場所に、もう行くことはないと思う。
そう決めた理由は単純だ。
自分にとって、あの環境は遠かった。

距離の問題ではない。
設計の問題でもない。

ただ、自分の感覚と噛み合わなかった。
それだけのことだ。
だから、次はもう少しだけ近い場所を探す。
自分にとって無理のない
動線を持つ場所を選ぶ。
その繰り返しの中でしか、
この働き方は整っていかない。
振り返れば、あの日の違和感も、
無駄ではなかったのかもしれない。
うまくいかなかった選択も、
合わなかった環境も、
すべては次を選ぶための材料になる。
そう考えれば、
あの一日も、失敗ではない。
駅までの15分を歩きながら、ふと思う。
この距離は、ただの通勤ではなく、
自分に合わないものを
手放していく時間だったのかもしれない。

同じ道を歩いているはずなのに、
少しだけ、足取りが軽かった。


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