見えないものを信じる心。たまにスピってる話。
※本記事には東日本大震災に関する描写が含まれています。当時の記憶がフラッシュバックする可能性もあるため、ご自身の体調や心の状態に合わせて読み進めていただければ幸いです。
あの日、すべてが押し流された風景の中で、私たちは何を「真実」として受け止めたのだろうか。
1999年、世界が滅びると言われたノストラダムスの大予言を、幼い自分は本気で信じていた。結局、地球は存続し、空が落ちてくることもなかった。けれど、心の奥底に澱みのように溜まった「もしかしたら」という得体の知れない不安は、大人になっても完全に消えることはなかったように思う。
そして、2025年。また「予言」が囁かれる時代になった。
現代のそれはSNSという海を渡り、「8月に大震災が起きる」といった都市伝説的な装いで私たちの元へ届く。結果としてその日に何も起きずとも、後日に熊本で大きな揺れが観測されれば、人々はそこに因果関係を見出そうとする。「信じるか信じないかは、あなた次第」という言葉は、無責任な突き放しではなく、もはやこの不確実な世界を生き抜くための、個人の倫理に委ねられた境界線のようにも聞こえる。
私には、2011年3月11日に発生した東日本大震災にまつわる忘れられない記憶がある。
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