無職になりました。
「閉店ガラガラ~。」
かつて? いや、今なお、お茶の間を賑わせているあのフレーズが、半年ほど前、私の頭の中で鳴り響いた。ギャグにしてはあまりにも重く、あまりに静かなシャッター音だった。
それからというもの、私は「社会、そして働く。」というレールを一度降りて、「ただ、生きている。」という得体の知れない塊と日々向き合っている。身体を整え、散歩をし、日が暮れるのを眺める。そんな停滞とも休息ともつかない日々を過ごしていると、心の内側にある「闇の声」が、容赦なく私を突きにくる。
(闇の声)
「すげーだせぇ。平凡なサラリーマンがメンタルやられて休職?そして辞めるの? ぬるいこと言ってんなよ。いいから働けよ。みんなだってな、色んな傷みを抱えながら、それでも仮面をつけて働いているんだよ。」
その声は、私自身の焦燥そのものなのかもしれない。
離婚しても、守るべき子どもがいて、養育費も生活費もかかる。現実という名の重力が、休んでいる私の背中にのしかかる。わかっている。動かなければならないことくらい、自分が一番痛いほどわかっている。
それでも、ここで無理にエンジンを回せば、今度こそ再起不能となる。その予感が、かろうじて私をこの場に留めている。
闇の声は、さらに私の過去をほじくり返してくる。
(闇の声)
「らしくないね。あれだけ野心を燃やしていただろ? オーダーメイドのスーツにロレックス。あえて、落ち着いた色を選ばず成長を止めないという意味を込めて、ブラックではなくブラウンの革靴を履きこなす。そして、ワークとライフともに人脈のすごいイケオジになる。余暇は、基本アウトドア。週末はJeepに乗ってドライブ。そして、キャンプやサウナ。そんな『成功者』のテンプレートを追いかけてたんじゃないのかよ。こんなところで諦めるのか?」
確かに、20代頃の私は、何者かになりたくて必死だった。
震災を経験し、「人生いつ終わるかわからない…それなら」という強迫観念に近い情熱が私を突き動かしていた。何も行動しない人間を冷笑し、最短距離で高みを目指した。
けれど、その「多量行動」の果てに残ったのは、磨き上げられた靴ではなく、ボロボロになった心と、図らずも傷つけてしまった周囲の人たちの表情のみであった。利己的な正義を振りかざし、何者かになろうと背伸びをし続けた結果、私は自分の等身大の姿を見失っていった。
(闇の声)
「まず寝言はいいから稼げよ。金持ちになってから『人としてさ、…』なんていう綺麗事を言え。弱音を吐かずに高みを目指せよ。」
闇の声は、正論にも聞こえかねないことを吐く。
けれど、その現実的な言葉が今の私には毒になる。
私は、戦略を間違えた。
夢がないことに焦り、空っぽの自分を「何者か」という外装で埋めようとしていた。
でも、この半年間、動けない自分をじっと見つめていて、ようやく気づき始めたことがある。
「何者にもならなくていいのかもしれない。肩書きもなんもない等身大の自分から、また人生をやり直してみようか。」
そうつぶやくと、闇の声は「寝言を言うな、さっさと再就職しろ。」と吐き捨てた。
それでも揺るがない私の心は、闇の声にこう答える。
「今の私に必要なのは、再び戦場に戻ることや、そのための武器を揃えることではない。何者にもなれない自分、何者にもならなくていい自分を、心の底から許してやることだ。もう少しだけ人生の夏休みが必要なんだ。」と。
行き先も、生き方も、何も決めていない。
漠然とした不安と焦りを抱え、途方もない道なき道を歩む。
ただ一つ決まっていることがある。
それは、
特別な肩書きも、高級な腕時計も、誰かに誇れる成功体験も、
それらがないと立っていられない自分を卒業すること。
そして、アンコンシャスバイアスのようなことをあえていうと。
男として、
泥臭く、揺らぎ、迷いながら、ただ「私」として呼吸すること。
何もない私をもう少しだけ生きてみる。
ただ、それだけは、たずさえて。
「再起」とは、元の場所に戻ることではない。
まっさらではないけど、新しい自分として、新しく土を踏みしめることなのだということ。
ここ最近、退職の手続きや、子どものいじめ問題などをはじめ、色々とバタバタしてました。
ご報告が遅くなりましたが…
無職になり、肩書のない、何もないよろずさん。となりました。
過去、現代、頭の中、行ったり来たりする記事をこれからは
もう少しオープンにリアルも書いていこうと思います。
改めて、どうぞよろしくお願いします。
よろずさん。

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