その道のりは人類の宝だと言ってしまうのは、大袈裟ですか?
先日、Xでいつも見ている方の、あるポストを見て、
「あー……」
と思ったことがありました。
その方は、
“のんびりホンワカして心が軽くなること”を、
『小さな子が親の前でリラックスしてありのままで居られる安心感と同じ』
と例えていました。
私はこれを見た瞬間に、
「あー……(←消えていく感じで)」
と思ったのです。
機能不全家庭に育った方であれば、
もうおわかりでしょう。
そう、私たちは
これがわからない。
感覚としてわからない。
小さい頃に、
親の前でリラックスしてありのままで安心して過ごした記憶がない。
いや、あったかも知れない。
365日、常に親の前で緊張していたわけでは恐らくないでしょう。
…いやわかんない。してたかも知れない。
それでも安心していた瞬間は、あったかも知れません。
だけどわからない。
それが感覚としてわからない。
そして私はこの時思いました。
リラックスって、
緩むって、
小さい頃に親から与えてもらうはずだった無条件の愛なんだ、と。
私はリラックスがとてもヘタクソでした。
体はいつも緊張していて、
無意識に、常に自分へのダメ出しを繰り返していました。
肩はバキバキ、体はガチガチ。
一日中自己否定の言葉で埋め尽くされた私の頭は、しょっちゅう痛みました。頭痛薬が手放せない。
何が正しいかをいつも考え、常に誰かと比較し、上手くやれたかを心配し続け、間違っていなかったかを何度も考え、
安心できる隙なんてない。
どんなにやっても納得なんてできない。
そんな域には達しない。
満たせていない、いつも。
だからそんな自分が、緩んではいけない。
緩む暇があるなら、やらなきゃ。
そうじゃないと、ダメになっちゃう。
長らくそんな状態でした。
夫からは、家事でも育児でも何でも、もっとテキトウでいいんだ、もっと手を抜いていいんだ、ラクしていいんだ、と言われていました。
そう言ってもらった瞬間は、なんか少し気が楽になった気がするのだけれど、
はて、一体どうやって?
どうやって手を抜くの??
ナニをやらなくて良くて、ナニをやらないとダメなの???
?????
となり、
結局一日中自分を追い立てながらすべてに全力を尽くしてぶっ倒れる、ということを繰り返していました。
少しずつ、自分を許し、
少しずつ、自分を認め、
少しずつ、自分を受け容れ、
やっと、力を抜いた、自然体の自分で居られることができるようになってきました。
これまでnoteでも、私の生い立ちや機能不全家庭について、何度も書いてきて、
完璧主義も、白黒思考も、自己犠牲も、これまで私を苦しめてきたあらゆる生き辛さのおおもとには、幼少期の環境があることをわかってはいました。
わかってはいたのだけれど、
”のんびり”
”ホンワカ”
”心が軽い”
”リラックス”
という状態が、
それを自分で努力して内観して自力でそれを求めようとせずとも、
幼少期にそれを与えられて、もともとその感覚が備わっている人が居るのだと、
軽く衝撃を受けました。
生き辛さや自己否定の原因が、幼少期の家庭環境のみに限ったことではないとは思います。
無条件の愛情を受けて育った人でも、社会の中で傷付き、苦しむことはあるでしょう。
だけどその人は感覚的にきっと備わっている。
自分は無条件に受け容れられているという、感覚が。
生きていていいんだという、確かさが。
私はそれを自分の中の確かなものにするまでに、
随分と痛い思いをし、随分と時間がかかったけれど、
自分を受け容れられるようになった今となっては、
その道のりのすべても、尊いものだと感じます。
幼少期に親から無条件に愛されたから幸せで、
それを与えられず否定されてきたから不幸だ、とは思いません。
無条件に受け容れられなかった場合、人生の初期設定はハードモードとなり、苦悩が続くことは、理不尽なことかも知れません。
けれどそこから巻き返し、自分自身を取り戻していくその軌跡は、
尊いものであり、
大袈裟な表現にはなりますが、私はそれが、人類にとっての宝物のようであると感じています。
各々が、そのエネルギーを内面の奥深くに持ち合わせています。
それを、眠らせたまま生きるのか、そのエネルギーを湧き上がらせて生きるのかに違いはあれど、
すべての人の生命には根源的に、
自分を愛する力が、
闇を光に転じる力が、
備わっていると思います。
長い年月をかけて、
覆い隠してきた、覆い隠されてきた自分を捉えられるようになるには、
その自分をちゃんと抱き締めてやれるようになるには、
時間がかかります。
ちょっとずつで、いいんです。
ゆっくりで、いいんです。
ひと時も力を抜けずに、力の抜き方がわからずに、
やりすぎてぶっ倒れて失敗して空回りして、
疲れ切って絶望してうまく生きていける気がしなくて、
そんな自分を心底嫌っている自分を、
ヨシヨシって抱き締めてやれる自分が、未来には存在しています。
一人でも多くの人が、未来に存在するその自分に出会えたら。
そんな想いを持ちながら、今日もnoteを書いています。
ゆるゆるできるようになった私は、
自分を無条件に愛することができるようになったのかな。
そして母親である私は、
子どもたちにその愛をあげることができているのかな。
明確な答えなんてないけれど、今の私にできることは、
自分のために、
子どもたちのために、
ゆるゆるでいることなんだろうなぁ。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
