【掌編小説】肯定、肯定、肯定
「私は悪くありません!」
仕事の休憩場で、彼女の大きな声が響いた。
「いや、どう考えても」
「いえ! 悪くないです!」
「なんでそう言えるの?」
「だって、周りやAIに聞いても”悪くないよ”って言うから」
「それってあなたが」
僕は発した言葉の続きを飲み込んで口を閉じた。
ぬるくなったペットボトルのコーヒーの蓋を開けて、一口飲んだ。沈んだ言葉は、今にも喉元まで上がってきそうだ。飲み込んで、飲み込み続けても、腐敗した感触だけが舌に残る。
僕はコーヒーを一気飲みした。彼女はその姿をボーッと見つめていた。
「AIとのチャット見せてくれる?」
「えぇ、いいですよ」
彼女はスマホを取り出し、画面を僕の方に向けた。
画面には、「つらかったですね」という言葉が何度も並んでいた。そのあとに、「あなたばかりが我慢する必要はありません」と続いている。まるで無菌室の壁を埋め尽くす白いタイルのように、清潔で、どこまでも冷酷な肯定の羅列。
チャットを遡っていくと、彼女はAIに「〜って私は悪くないよね?」と聞いていた。
「そりゃあ、こういう聞き方すれば......」
「私が悪いって言いたいんですか? 連絡もろくに返ってこないし、会ってもずっとスマホなのに?」
彼女は、早口で言い足した。
「いや、ごめんごめん」
「私は何も悪いところないです!」
「でも、冷静に浮気をするのは」
「は? 何で私が怒られなきゃいけないんですか? 意味わからないです」
「......悪くないと思うよ」
口に出した瞬間、少しだけ楽になった。
「そうですよね!」
休憩場に重い空気だけが残った。彼女はこの空気すら重いと思っていないかもしれない。
最近、休憩場のドアが開く音がするたびに、肩に力が入るようになった。そのたびに、椅子の背もたれに深く寄りかかる。
肯定、肯定、肯定。私は悪くない、悪くない。
彼女の声に、迷いは一切なかった。
肯定も、否定も、すること自体は簡単だ。でも、僕は今日、シュレッダーに紙を通すような手軽さで彼女を肯定した。それで済むなら、その方が楽だった。
いや、いっそのこと、そうやって何も考えずに人と接するようにすればいいのかもしれない。おかしいのは僕で、彼女が正しい。思いやりや愛を持って接したって、めんどくさいだけだ。
「よくよく考えたら、君の彼氏が悪いように思えてきた」
「ほら! そうですよね!?」
彼女がスマホを引っ込めたあとも、さっきの画面が頭に残っていた。僕は自分のスマホを取り出して、同じ画面を開いた。
「これって、俺は悪くないですよね」
入力しかけて、指を止めた。画面は、何も言わずに待っていた。
