【エッセイ】せめて最後くらい、自分で選んで静かに終わりたい。
人生の最後。病院で微睡むように眠る人もいれば、家で眠ったまま起きない人もいる。人の数だけ死に方がある。私は、最後くらい綺麗に死にたい。
これまで精神的な死は何回も経験してきたが、その度に自分の心に火をつけて何とか今の今まで生きてこれた。だが、肉体的に死んだ時、再び心に火をつけることはできなし、拍動を再開させることは当たり前にできない。
今日は肉体的な死について考えたい。
誰にも涙を流させることなく、静かに死ねる方法が理想だ。あと、誰かに迷惑をかけないこと。
私は周りにいる大切な人たちが全員死んだら、私も死のうと今のところ思っている。自分の火が自然と消えるまでしつこく生きていくつもりは今のところない。死に方は決めていないが。
今のところ、心から大切に思っている人というのは両親だけだ。もういい年なので、あと十年後くらいには死ぬだろう。それが今の私の寿命だと思っている。
逆に言えば、大切な人が周りに増えていけば、その分だけ生きる理由は増えていく。
正直言えば、ひとりぼっちになった後も、自分一人で何かを熱心にやり、成果を出し続けたいとは思っていない。
宇宙に光ってる星をつかむくらいの確率で私が作っているものが評価され、それが生きる理由になるかどうかは正直わからない。多分ない話だから、あまり視野には入れていない。
というか、アーティストが東京ドームでライブをして解散をするように、綺麗な姿のまま死ぬという選択肢もありだと、今の私なら思うかもしれない。
死生観は人それぞれ。生きる理由を必死に探すのが生きること。別に死ぬために生きているわけではないし、今死にたいと思っているわけではない。だが、せめて最後くらい、自分で選んで静かに終わりたい。
