【引っ越し最後の難関】母と子の巣立ち🕊️それはお互いが自分の人生に責任を持ち、1歩ずつ歩いていく合図。
引越しがあと3日に迫った夕方、
『鬱になった。』
目の前でぼそりと母がつぶやいた。
なんというパワーワード!!
体の毛が逆立っていくのがわかる。
心臓はバクバクと波打ち、一瞬時間が止まったような感覚だ。
母にどんな顔をして、反応すればよいのか迷う。
何十年も毎月通う病院で、緊張からくる肩こりだと言われたらしい。
なぜそこで『鬱になった。』という言葉が最初にでてくるのか。
私は何となくわかっていた。
母が、私と私の息子と離れることを恐れている。
母がいつから鬱病になったのか覚えていないけど、私が今の息子と同じくらいからだったらしい。
鬱病が酷くなるにつれ、母は2階の寝室にこもることが多くなり、ドアが開いて階段を下りてくる音が聞こえてると、反射的に
『機嫌悪いかな?いいかな?』
とビクビクしてしまう。
小学生の頃、母が大量の薬を飲み、救急車に運ばれていく姿も見た。
私にとって『鬱病』は、母を狂わせた『敵』であり、それに左右されてしまう母を憎んだこともあった。
だが一方で本能的にある、『母を守らねば。』と思う私もいる。
私は母のことが大好きだ。
もうあの頃とは違い、母は自分でちゃんと『鬱』という病に立ち向かえる。
わかってる。
わかってるけど、幼い頃のトラウマと大好きな母の危機という状況に私の心が、
『母を助けねば。母の望むことはやってあげねば。』
と叫び続ける。
冷静になれ。
あの頃の母とは違うのだ。
必ず母自身が『鬱』と折り合いをつけられる。
私も母に必要とされることで、自己価値を上げようとしてた私じゃないだろう?
そういう『成功経験』を母自身も私自身も積んでいかなければ、自分自身を『愛して受容する』ことは難しいと学んだじゃないか。
手伝い続けた先に、お互いの本当の幸せはなく、『依存』することで成り立つ関係性はもうやめると決めたのだ。
だから、
『きっと大丈夫。大丈夫。できる。今の私たちなら。』
時間が止まった瞬間に、心の中でこんなことを考えた。
すると母から
『まぁでも、なんとかなるよ。』
そういう言葉がでてきた。
顔はなんとかなるという表情ではなかったが(笑)
正直驚いた。
母も不安になりながら、自分の足で立とうとしてる。
いい傾向だ。
この流れの時に、私が手を貸してはいけないし、『巣だつ』という決意を揺らがしてはいけない。
『見守る』そうすることしかお互いできない。
それはお互いが自分の人生に責任を持ち、1歩ずつ歩いていく合図。
今世の中で、なんでも助けることが素晴らしいことだとされているが、本当にそうだろうか?
自分自身で
・考え
・行動して
・結果を受け入れる
その経験を通して
・人は強くなり
・『自分』を知り
・自信を持つことができる
と私は考えている。
できれば子供の頃、その経験をする方が一番楽だったと思う。
しかし大人がなんでも導いて、やってくれる。
その道を歩かなければ、人生終わると脅される時もある。
こんな世界で育った私たちは、いつの間にか誰かの指示を待つことしか、自分の人生を歩けなくなっていた。
時代は変わりつつある。
『自分のことは自分で』
一見とても冷たい世界🌍️に感じるが、それは本当の意味で相手と自分を信頼する『愛🫶』だと思う。
そして皆が『自分自身の長所と短所』を見つけられるようになるのだ。
その長所と短所を他の人と話し合い、くっつけて行くことで、『peace』になっていくのかな。
少し前に呼んだ『パズルの王国』のいう記事をふと思い出した。
この先の未来を想像することはできないけど、きっと誰もが経験したことのない、新しい未来に違いない。
私もその一員として、また1歩、自分の人生を歩んでいこうと思う。
↓この記事がめちゃくちゃステキだったので、ぜひ皆さんに読んでほしい!
