再就職勝ち取りどたばた奮闘記 創作大賞応募作品
前書きに変えて
人生快記録で僕が、東京から勝浦に戻り観光協会に就職して27年働いた模様を
書き上げたが、よくよく考えてみれば、今まで書いた作品をつなぎあわせると、
うまい具合に自分史となっている。これは、もちろん最初から考えていたことではなく
偶然こうなったという結果である。最初から自分史を書くぞ、なんてこれぽっちも思っていなかったのである。なぜなら、最初に書いたのは、那智勝浦町昔懐かし話100話であり、観光協会の大先輩でもあった新谷さんが、那智勝浦町観光年表という勝浦の観光の歴史を一冊の本として残されていて、勝浦の観光を知るすばらしい本が、観光協会にも大事に保管されており、それを良く目にしていて、「へえ、こんなこともあったのか、あっこれ知ってるなぁ」とか思っていて、俺もこんな勝浦の事かけたらええけどなぁってある日思ったのがきっかけである。初めは、書き始めた時しゃれで100話かくぞとタイトルに「那智勝浦町昔懐かし話100話」と付けてしまったので、あとに戻れなくなった。笑。でも最初に仮面ライダーが勝浦に来たことを書いた時に、なんか楽しくなり、どんどん書けてというか、体の中から昔の体験がぶわっーって蘇り、そして言葉がどんどん湧いてきて、パソコン上で指が文章を打っていたというのが正直な感想だ。那智勝浦町昔懐かし話は、約1年で書き上げた。そのあと、東京中野ドタバタ日記とか後の作品へと続くのである。そして、最新作として人生快記録を書くこととなる。なんか、今思うと、新谷さんが書いた後のことを僕が観光協会職員として書く使命があったんだろうとしみじみ思う。
だから、新谷さんが書いたあとの勝浦の観光の歴史は、すべてではないが、僕の「人生快記録」で分かると思う。つまり、平成5年から令和2年までの歴史である。今回、令和2年7月31日で観光協会を退職することとなった。今後は再就職に向かいドタバタ劇が始まる予定である。どうせなら、人生の記録として拙い作品に残せないかと思い、書いていく決意である。おそらく、6月23日の総会あたりの模様から書くのかなぁ(まだ全然書いてませんし、この先どうなるか全然わかりません。)とだけ思っております。近いうち第1話アップできればと思います。また、1話1話が長文になり、毎日アップではないと思いますが、ご了承ください。
2020年8月1日退職翌日 自宅にて 吉村 剛
なお、この話は6年前に書きました。現在と状況が変わっている部分も有ると思いますが、あらかじめご了承ください。
再就職勝ち取りどたばた奮闘記 第1話
(登場人物は、出来る限り仮名としてます。)
「只今から令和2年度那智勝浦町観光協会総会を開催します。」令和2年6月23日午後2時、ここは、体育文化会館。司会の女性職員の第1声で、とうとう観光協会の解散が決議される総会が始まった。僕の名前は、吉本 剛、56歳観光協会に努めてもうすぐ27年になる。一応肩書は主任である。世の中は、コロナウイルスの影響で、今まで通りの会議等はできなく、観光協会の総会も、つい最近まで開催をどのようにするか検討されてきた。出来るだけ密にならないようにと、来賓は、町長と議会議長のみとして、会則で総会は4月から3カ月以内に開催しなければならないと、なっているが直前まで議会があったりしたので、ぎりぎりの6月23日と決まった。昨年から勝浦の観光は観光機構への一元化が言われだし、観光協会は吸収合併だと観光協会の職員はじめ町民も思っていたが、この3月の初めに突然職員に向かって観光協会解散が言い渡された。そして、理事会に諮られ、採決され、この6月23日を迎えたのである。会長挨拶、観光功労者表彰、町長挨拶、議長挨拶と続き、少し休憩が入り、そして議事に入った。議長に清本副会長が選ばれ、第1号議案の令和元年度事業報告と決算について、僕が説明した。何件かの質問があったが承認された。次に今年度の事業計画案と予算案をこれまた僕が説明。同じく何件か質問があったが、承認された。そして、参加者が一番興味がある第3号議案、観光協会解散について
岡田事務局長代理が説明。この議案だけで約1時間さまざまな意見が飛び交い、参加者からも「議長、賛否を皆さんに聞いてください」との声が上がり、議長の呼びかけにより、参加者に賛成なら起立で賛否を聞いた。結果委任状の結果も含め、観光協会が7月31日をもって解散することに決定された。「ハッキリ言って自分たちが解雇される結果になる議案に一生懸命になっている僕たち職員は何なんだ」とこの議案中、事務局側に座っている僕は思っていた。まあ、そんなこんなで観光協会の解散が決まった。この総会前に、僕たち観光協会の職員(パートも含め)は一人ずつ、会長等から観光機構の面接を受けるか聞かれていたが、半分の職員は僕も含めそのまま退職。半分は、面接を受けることとなっていた。明けて6月24日から解散の7月31日まで、僕たち職員は、仕事に差し支えのない程度に、有休も消化していった。引き継ぎは引き継ぎ書をちゃんと作っていただければOKと観光機構側からの申し出もあったので、僕も思いっきり有休を消化した。ただ、この間に観光機構への転職を希望した者を含めた公募の面接が7月28日に行われた。
つづく。
再就職勝ち取りどたばた奮闘記 第2話
7/28に、観光機構の面接があり、たくさんの公募者があったのだが、観光協会からも泉田ボスとこうだい君も面接を受けた。僕は、受けなかった。こうだい君は、正社員として面接、ボスは定年が過ぎていて観光協会でもバイトだったのと、もう老人なのでバイトで(失礼)面接、結果、2人ともダメだった。僕とこうだい君とボスとで最終日「僕たち3人とも観光協会退職するんだもんねー。でもちっともさびしくないんだよー。慰め会改め、おちょくじ会」を開催することとなった。当日、最後の仕事を終わらせ、午後6時前に会長からありがたいお言葉を頂戴し、最後のタイムカードを押した。プラスαに声をかけると一緒に行きたいというので、ボス、タケちゃん、こうだい君、プラスαの4人で、僕が行ったことないというと、「よし、新宮いくでー」とボスの車で大阪の街の名前の付いた焼き肉店へ。ボスとプラスαはコーラ、こうだい君とタケちゃんは、ビールをまず頼み乾杯。スタッフが注文を聞きに来たらすかさず、ボスが「キムチどこに載ってるんやー、どこや」と言い出したので、スタッフがメニューを探すが中々わからず、その間にタケちゃんと、こうだい君も加わり「まず、キムチやー、キムチどこ載ってんねん」とうるさい、うるさい。俺ら焼き肉食いに来たのに、キムチ、キムチとうるさいおっちゃん3人組。この日は、退職おっちゃん3人組とプラスαということで、慰め会みたいになるんかなぁなんて、とんでもない。ほとんど仕事の話はなく、焼き肉、キムチ、ごはんとか、ばくばく食べまくる。プラスαは、やたらチーズなんとかというチーズを付けるメニューばかり頼んで、それを焼き肉の網の真ん中でチーズを溶かすので、ボスにおこられるわで。ボスは、焼き係になって肉切りばさみをちょきちょきするわで、「ボスは、バルタン星人かーー。」って笑われるし。もう、本当に楽しいおちょくじ会となりました。絞めは、プラスαがマンゴーを頼みおいしそうに食べているので、タケちゃんは、バニラアイス、ボスは、バニラアイスとマンゴーセットという「タケちゃんと、ボスなんかかわいいですね」って2人のおっちゃんが並んでアイスたべてるのを見て、ほめられてんのか、けなされてるんか分からない、こうだい君とプラスαの言葉でお開きとなりました。今後は、ボス、こうだい君、タケちゃんの3人のおっちゃんは「今度は、ハローワークで会おうぜ」と言い合いボス号で家路につきました。あー、おもろかった。そして、家に帰り玄関を開けた僕は、家族から「お父さん27年間おつかれさまでした。」という声が当然あると思っていたが、家族は、テレビとスマホを見ながらゲラゲラ笑っている。「ただいま」と僕が言うと、「あっ、お帰り、泉田さんらとごはん食べてきたんやろ。良かったね」だけ。家族に「あのなぁ、こんな時は、家族並んでお父様、今までお勤めありがとうございました。27年間大変でしたね。おビールでもお飲みになりますかとかないんか」というと、娘が「お父さん、退職しておめでとうって言われたいん。再就職決まったときにおめでとうっていうべきやろ」って言われた。「そうやな。うん、お前の言う通りや」と僕。うちの家族、娘の方が父親より立派です。さあ、再就職ドタバタ劇が本当に始まりますよ。つづく。
再就職勝ち取りどたばた奮闘記 第3話
皆様、お久しぶりでございます。第2話アップしてから約2週間ぶりでございます。「遊んでいたんかー」ってお叱りの声が聞こえてきそうですが、遊んでいませんよ。7月31日に観光協会を退職しその夜ボスたちと、おちょくじ会を行った僕は、8月2日、3日の土、日曜日開けの3日に役場に出かけたのであります。「また、いきなり退職になった文句言いにいったんかー」って、あなた。僕はそんなアホじゃありません。退職金ちゃんと振り込まれるまでは、まじめなおとなしい元職員でおります。その後は知りませんが。まあ、冗談は置いといて、今までの厚生年金や健康保険を国民健康保険、国民年金に変えて加入手続きをするためである。いろんなネットや本の情報で、退職したらまず、ハローワークに行けって書いてたりするけど、ここは、タケちゃん調べましたがな。失業生活バイブルって言う本を買っていてこれに、まず地元の役場に行き、保険と年金の手続きを終わらせ、それから、ハローワークに行く方が手順としてええぞって書いているんです。実際ハローワークには、元会社から離職票っていうものを貰わなくては、いけないんですが、これが退職日から約1週間はかかるって聞いていた。退職するときに観光協会から退職証明書は、ちゃんと貰っていたので、離職票が届く間に先に手続き出来る年金と保険の手続きを終わらせ、離職票が届いたら即ハローワークって行動を起こしたのであります。3日には、年金手帳や、マイナンバーカード、印鑑、退職証明書等をもってせっせと出かけて無事、国民健康保険と国民年金の手続きを済ませたのであります。しかし、今まで保険は、会社が半分持ってくれていたので、請求書がこの間届いたのだが、改めてその金額にびっくらこんした、タケちゃんでありました。んで、それ以外に今まで何やってかと言うと、実は、僕は会計の専門学校の会計学科を首席(本人だけそう思っています)で卒業しており、簿記2級もっているのですが、退職が決まったときから、家でネットの簿記講座を利用して勉強し直しておりまして、それを一日何時間か毎日やっておりました。だらだらした生活にしたらあかんと、毎日6時30分に起きて朝食食べて、夏目三久ちゃんの朝チャン(すいません、夏目ちゃんのファンなんです。)をしっかり見て、それから簿記の勉強です。今3級の範囲が終わったところであります。そして、昨日、観光機構から連絡があり、離職票が届いたとの連絡があり、取りに行ってきました。(なんで、2週間もかかるねんって、今までやったら怒っていましたが、今回は怒りません。タケちゃん賢くなりました。笑)。んで、本日8月14日に生まれて初めて新宮市のハローワークって言う所に行き失業の手続きを済ませてきました。朝9時過ぎに着きましたが、一番乗りでした。受付の女性から番号札を受け取り「こちらでお待ちくださいね」って丁寧に案内して貰い、ぶくぶく太っためがねかけたタケちゃんは、椅子に腰掛け今から何が起こるか分からない不安と「何で一番はじめやのに、46番なんやろってどうでもええやん。えっ、お許しくだせえ、お代官さまーー、あっしは、何も悪いことしていません。」って言う感じで、じっとしていると、「46番の方こちらへどうぞ」って眼鏡かけた、いかにも担当者っていう感じの青年に呼ばれ、僕は、「よろしくお願いします。」って席に着いた。「何聞かれても大丈夫やぞ、あんだけネットと失業バイブルで勉強したやないか」って心の中で思いながら、相手の顔を見ると、「離職票お持ちですか」「はい、これです」「ちょっと調べます。あと、マイナンバーカードとかお持ちですか」「あっ、はい、これです」「ありがとうございます。お返しします。」
「写真2枚、お持ちですか」「あっ、お持ちです」「えっ」「あっ、これです」あかん、緊張している。落ち着け、タケちゃん、がんばれ。「免許証お持ちですか」「はい、どうぞ」「ありがとうございます。お返しします、こちらは、失業保険受給のためのパンフレットです。現在説明会は、コロナの関係で中止となっていますので、じっくり読んで次回お持ちください。次回は、9月3日の9時30分から10時の間にお越しください。こちらでは、これで終わりになります。あと、求職の登録をしますので奥の窓口までお願いします。」
「ありがとうございました」「ごくろうさまでした」僕は、番号札をもって奥の相談窓口に行きそして、求職の登録を行った。こちらは、女性で、どのような仕事を希望するか等僕の情報を登録してくれた。そして、これから受けれるセミナーや、就職に役立つ講座の情報、現在ある求人情報のコピーなどを渡してくれた。「これから再就職に向かって頑張りましょうね。何でもご相談ください。本日はこれで終わりになります」「ありがとうございます」これで、今日のハローワーク初体験は終わった。今度は9月3日だ。果たしてどうなっていくのやら。頑張ります。 つづく
再就職勝ち取りどたばた奮闘記 第4話
皆様、お暑うございます。また、お久しぶりでございます。ハローワークの第1回認定日の9/3まで、かなり日々があるので、毎日ちゃんと朝7時に起き、朝食を食べその後、自宅で、簿記の勉強をしているタケちゃんであります。この間、書くのを忘れましたが、失業保険って僕は知識がなかったので、申請すればその人似合った期間簡単にもらえると思っていましたが、実は約1ヶ月ごとに認定日というのがあり、その1ヶ月の間に最低2回の求職活動(ハローワークで求職相談や、実際に会社の面接受けたり、就職セミナーなどの参加)を行い、実績を作って認定日にその申請書に内容書いて認定をもらって初めてその1ヶ月の失業保険が振り込まれるというふうになっているのであります。第1回目の認定日には、はじめてハローワークにいった時の求職申請が求職活動にあたるので、その期間の求職活動は、OKになります。まあ、そんなこんなで9/3待ちなんである。話変わって、この時期ちょうど5年に一度の免許書き換えに当たったので、8/16に新宮市の免許更新センターに午後1時前に到着するように行ってきた。自慢じゃないが(しっかり自慢してますが)僕は、20歳の時に東京で免許を取得し、37年無事故で、ずっとゴールドであります。えらいでしょ。ということで、当日1番はじめに受付をした僕ですが、受付開始前にあらかじめ誘導担当の男性が「免許書と申請のはがき用意してください」と受け取ってくれ、受付に渡してくれた。実際に受付が始まるまで席で待っていると「吉村さんどうぞ」と受付の女性(お譲さんというか、おばさんかな)に呼ばれ、受付に行った。「こちらの書類に必要事項を書いて適性検査を受けてください。更新料と交通安全協会費で5,500円になります」って電卓に打った金額を僕に見せた。「えっ、3,000円違うんですか、ハガキに3,000円って書いてますが」と僕。交通安全協会は、前にニュースでも会費の不正利用で問題になったことも、入会は任意であることも知っているので、大きな声でいってやった。傍に警察関係の担当者がいたが関係ない。そしたら受付嬢、「あっ、3,000円です。」と。僕は財布から3,000円出し「はい、じゃ、3,000円ね」って受付嬢に渡した。この交通安全協会に入ってほしいなら、ちゃんとハガキの金額のところに、更新料は、3,000円となりますが、交通安全協会費年間500円が別途必要となります。と分かり易く書いておくべきだと思うがどうだろうか。受付で僕と同じ思いした人はいると思うが。まあ、上記会話以上に文句を言うと、そこは、警察関係の免許更新センターであり、傍の担当官等に「吉村さん、別室でちょっと皆さんとは別に特別講習うけますか、また、今回はあんまりうるさい事いうので免許更新はできませんねー」なんて言われたらかなわんから、おとなしくしておりました。まあ、そのあと、おとなしく適正講習を受け、写真を撮り、一番前の席でしっかり30分の講習を受け、元気いっぱい又丁寧に、「ありがとうございます」といって新しい免許を受け取って帰ってきました。失業期間中の免許更新のお話でした。 つづく。
再就職勝ち取りどたばた奮闘記 第5話
皆様、またまたまた、お久しぶりでございます。お元気ですか。僕は元気です。
台風10号が発生し、空では高木ブーさん、いやいや雷様があばれていて、ゴロゴロいっていますが、僕の再就職活動を表すがごとく、嵐の一日みたいです。さて、前回書きましたが、本日9月3日は、失業保険の第1回認定日ということで、昨夜は、遠足の前日の小学生みたいに何度も持ち物を調べ、枕元に今日着ていく洋服を揃え、遅れたらあかんので、目覚まし時計を頭の上側左右に1個ずつ午前7時にベルが鳴るよう設置し、寝たのであります。多分緊張で寝れないと思っていましたが、全然寝れなくて8時間しか寝れませんでした。笑。というわけで、午前7時に起きて、朝食を食べ、朝刊を読み、枕元に置いていた洋服(いつもの汚い普段着ですが)に着替え、昨晩何度も確認した持ち物が入った紙袋を手にハローワークに午前8時50分に勝浦の自宅を出て、愛車タケちゃん号に乗り、向かったのであります。僕の番は9時30分からでしたが、9時15分頃に着いて、受付の女性に、受付票を見せながら「初めての認定日にきました」と元気よく言うと、「はい、分かりました。この番号票をもって、番号が呼ばれるまであの椅子でお待ちください。」と言われたので、おとなしく従い(当たり前か)、「46番の方こちらへどうぞ」と声がしたので、そちらの方に向かった。担当は、前回と同じ眼鏡をかけた青年でおもわず、「お久しぶりです」といいそうになったが、そこまで、僕はアホじゃないので、ぐっと飲み込み、「宜しくお願いします」と受付番号票を渡した。「えーっと、一回目の認定ですね。先日お渡しした、申請書お持ちですか」「あっ、はい。これですね。まだ、書いていませんけど」「あっ、大丈夫ですよ。上からまず、ここに○をして、あとここも、ここは、こちらに○ですね。板版下のここにお名前をかいてください」「あっ、はい。」って僕は言われたように○と名前を書いた。「あと、ここに申請者番号を書いてください、申請番号は、こちらに書いている番号ですね。あと、お名前の横に印鑑をお願いします。」「あっ、はい、朱肉お借りします。」
「はい、ありがとうございます。今回認定になった期間の金額は、こちらで1週間以内くらいに振り込まれる予定です。あと、こちらの日付が次回の認定日になりますので、こちらの方にお越しください。それまでの期間に2回の求職活動が必要になりますが、コロナの関係で出来なくてもこの日にお越しくださいね。」「あっ、はい」「今日は、これで終わりになります。」えっ、終わり、ものの5分もたっていない。「ありがとうございました。あのー、端末みてもいいですか」「あっ、いいですよ。あちらの受付を通してください。お疲れさまでした。」一回目の認定日までにも2回の求職活動が必要なのだが、一番初めにハローワークに行くことが1回の求職活動で、そこで求職の相談をするので、それでも1回の求職活動、計2回の求職活動の実績OKなんである。2回目の認定日までには、約4週間あるのだが、2回の求職活動が必要なんだが、この求職活動は、ハローワークに紹介して頂いた会社に面接受けたらもちろん求職活動、ハローワークが行っている各種セミナーに参加したらこれも求職活動、またハローワークに設置している端末を見て、その中できにいった会社について詳しい内容を窓口で教えて貰うことも求職活動になる。ここで大事なのは、窓口で相談するって事である。ただ、端末を見るだけでは、駄目みたいだ。ここで、ネットで調べたんだが、認定日までに1回ハローワークに行くだけで、求職活動OKの方法がある。(これ、書いてもええんかな。でも、ちゃんとした求職活動ですよ。)まず、認定日に、認定だけで帰るんじゃなく、認定が終わったらその足で端末を見るのである。次までの期間というのは、認定日から次の認定日の前日までなんである。最新の求人情報が、載っている。その中で自分が気に入った物を印刷したり、求職番号を控えて、そのまま窓口に行き、もっと詳しい情報を聞くのである。窓口では、親身になり詳しい情報教えてくれる。もちろん、その場で面接を受ける決意が出来れば、面接を受ける手続きをお願いしても良いし、情報を持ち帰ってじっくり検討しても良い。これで、次の認定日までの1回分の求職活動実績となる。あとは、次の認定日までに、もう一度ハローワークに相談にくるとか、セミナーに参加するとかすれば、良い。つまり、認定日までに1回だけハローワークに行くだけでOKなんである。僕も、本日、認定が終わってからしっかり真面目に端末を見ていくつか気に入った会社の情報教えて貰い、書類に実績済みの印鑑いただきました。面接受けるかは、現在検討中です。次の認定日は、10/1だけど、9/8に履歴書の書き方等のセミナーを受けるのでハローワークに行く予定となっている。また、このセミナーの様子を報告します。では、また。 つづく。
再就職勝ち取りどたばた奮闘記 第6話
またまた、皆様お久しぶりです。お元気ですが。僕は、相変わらず、元気にやっています。
台風10号は、和歌山の方には、特に被害を及ぼしませんでしたが、被害に遭われた九州地方の皆様、心よりお見舞い申し上げます。
さて、本日は前回でも予告したとおりハローワーク主催の「書類選考対策セミナー」という求職活動のために大変役に立つであろうお勉強に、行って来たのであります。
前日の夜には、またもや忘れ物したらあかんので、何回も持っていく物を確認し、シャープペンには、新しい芯をセットし、しっかり雇用保険受給資格者証も、確認し(セミナー参加の承認印を貰うため)、目覚まし時計を2個セットし寝たのであります。そして、今朝7時に起き、朝食を食べながら「今日は、セミナー行って来ますよ。頑張りますからね。三久ちゃん」と心でささやきながら夏目三久ちゃんの朝チャンを見ながら食べて、新聞を読んで、お出かけ用のいつもの服に着替え、荷物を持って午前9時15分に、またまた愛車にさつそうと乗り新宮市のハローワークへむかったのであります。9時40分頃に着いて、今日も元気よく「セミナーに来ましたーーーー」っていつもの受付の女性に挨拶し、「こんにちはー、セミナーは2階なのでそのまま階段をお上がりください」って言われたので、2階に向かった。2階の会議室前では別の担当のおばちゃん、いやいや失礼、女性が
いたので、名前を言って受け付けをすませ、しっかり雇用保険受給資格者証の裏に「セミナー参加」の印を押して貰い、会議室の机に着いた。机は、7つ用意されていて、7人が受講することが分かった。結果、僕を含め男性4名、女性3名の受講であった。講師の女性が現れ、10時少し前から始まった。内容は、2冊のテキストがあり、1つは、履歴書と職務経歴書の書き方についての物。もうひとつは、実際に履歴書なとが書き込める用になった物だった。講師の女性の説明をテキストに沿って聞く形で約1時間、抗議があり、タケちゃんは、まじめに一言ももらさまいと聞いておりましたが、やはり、年のせいか、眠気に負けて、3割くらい講師の言葉を床に落としてしまいました。笑。そのあとの30分でもうひとつのテキストに実際自分の履歴書と志望動機を書いて、最後にアンケートに答えて、約2時間のセミナーは、無事終了しました。前に観光協会を受けたときの僕の履歴書を見たことがあるが、なんじゃこれって思ったことがありました。どんなんかというと、まず、写真が貼っていない、名前の印鑑がシャチハタで、しかもなんと、なんと印鑑の色がピンク、お嬢さんピンクでっせーーー。そして、極めつけは、あちらこちら修正液で手直ししている。観光協会の面接、3人受けて僕が通ったのだが、よう、こんなんで通ったなぁって他の職員とも大笑いしたことがある。今なら一発で書類選考で落とされる。
観光協会へ出した履歴書は、それまで、履歴書を書いたことが無かったわけではなく(東京でも就職しているからね)、おそらくうろ覚えだが、明日履歴書もって来てくださいって面接応募の時、当時の観光協会の職員の方に言われ、その日の夜に履歴書用意していたが、手元に履歴書1枚しかなく書き間違えてしまったので仕方なく修正液を使い(当時は今みたいにコンビニなんか無かったんです。文房具店で履歴書買わなければならず、間に合わなかったと思う)、そして、印鑑だが、本人は赤のシャチハタだと思って押したらなんとピンク。これも修正液で消すわけも行かず、まあ、そのまま行こかってそのまま持っていったんやろなぁ。とにかく観光協会史上、一番あかーーーん履歴書として語り継がれるでしょう。
まあ、そんなこんなで無事、セミナーを終えました。本日学んだことを活かし、再就職に向けた、ばっちしな履歴書と職務経歴書を書きたいと思っているおっちゃんであります。
では、また。
再就職勝ち取りどたばた奮闘記 第7話
あーーら、皆さん、おひさしぶりねぇ~~~(語尾うねり。)。タケちゃんよ。お元気。僕は、毎日、元気マン、マンよ。退職して早2ヶ月が、経ったのねー。早いこと。退職してから、生活が不規則になったら駄目なので、毎日7時に起き、顔と歯を磨き、タオルを持ってウォーキング、いや近くを約20分散歩し、朝チャンの夏目三久ちゃん見ながら朝食(食パンとアイスコーヒーのみ)食べて、新聞を読み、午前中は過去に取った簿記の勉強をし、昼ご飯(あるもので簡単に作ります。チャーハンとか)をバイキング見ながら食べ、午後からは、出かける用事がなければ、弾き語りの動画取ったり、ギターの練習したり、テレビ見たり、ストレッチしたりして過ごし、夕方は、奥様から要望があれば、夕ご飯のおかず作ったりして、夜はゆっくり家族で食事し、テレビやネット見て風呂入って12時頃寝るという毎日を過ごしています。あっ、そうそう、石川ひとみちゃんが結婚するそうですね。僕のさとみちゃんがーーー。ショックーー。僕は、さとみちゃんの事よく知っているが、さとみちゃんは、僕のこと全然知りません。(あたりまえやん。笑)
でも、まじで、さとみちゃん幸せになってねー。と言うわけで、前置き長くなりましたが、昨日第2回目の失業保険認定の為にハローワーク行って来ました。認定の為には、前回の認定日から2回以上の求職活動が必要なんですが、前回の認定日に、窓口で求職相談をやっていてこれが、一つ目の求職活動、そして9月8日に書類選考対策セミナーを受けていたので、これで2つ目の求職活動となり、その内容を失業認定申告書に記入し、雇用保険受給資格証と一緒に窓口に出すのである。ハローワークではその人の認定日が、個人個人で決まっており、一ヶ月のうちの第何週目の何曜日の何時という風にカレンダーの横列と立て列が重なった日がその人の認定日となる。僕は、木曜日。認定日から28日後のまた、木曜日となる。時間も毎回同じ午前9時30分からとなっている。昨日は9時15分頃にハローワークについて、窓口で先に書いた申請書類を提出し、チェックが約5分で終わり、番号札を渡され、「このあと求職相談になりますんで、あちらで待ってくださいね」って言われ、相談窓口に行った。ちょうど前もって興味のある仕事を3つ位ネットで調べていたので、窓口でもっと詳しいことを聞き、雇用保険受給資格証の裏面に職業相談の実績の印を押して貰って、その日は終了。求職相談の時も言われ、思ったが、57歳での再就職は中々むずかしいもんがある。今は介護の仕事とかは募集が多く、フルタイムや正社員での経理とかは、なかなか無い。最近思うのだが、「俺は、いったい何の仕事がしたいんだろうか。観光協会に入ったときは、たまたま募集があり、面接を受けて受かり、仕事をしていく内に自分に合っていて、やりがいのある仕事だと思いずっと続けてきた。果たして今何の仕事につくべきなんやろうか。家族を養っていくため、パートじゃ食っていけない。やはり、正社員かフルタイムの仕事や。(実際相談窓口でも興味があった仕事は、一日フルタイムではなく、相談員の方が電卓で計算してくれて、保険とか引かれる前の一ヶ月の給料が、この金額ですよって教えてくれた。とてもじゃないが、生活できない)。そうなると自分がどこで決断するかやなぁ。自分のやりたいことにこだわり給料は、少なくてもガマンするか、それとも給料の額を第一に考えて、仕事の内容の選択肢を広げるのかかなぁ」って。一応、簿記の資格も持っているし、経験もあるんで、求職の登録書類には、経理の仕事で月手取りいくら以上希望って登録しているんだが、希望通りの求人ってなかなか無いんですね。
まぁ、退職するときに、奥様に「まぁ、失業保険もらえるなら、その期間じっくりあんたが、よく考えて仕事さがしたらええよ。その間、私が頑張って働くから」って、半沢直樹のはなちゃん、みたいな事いうてくれたので(今考えたらその時だけ奥様の顔が上戸彩ちゃんに見えました。笑)、じっくり失業保険もらえる期間探そうって思ってるけど。期間中にこれは、っていう求人があれば、面接受けようって思っています。この先、どうなるかは、わかりましぇん。でも、必ず決めて、僕ら観光協会職員を解雇した輩に千倍返ししたるねん。まぁ、期間までに決まらず、奥様に土下座したら、「おまえの負けーーー。わびろーー、わびろーー、わびろ、わびろ、わびろーーー。」っていわれんように頑張ります。では、ま、た、ね~~~。
再就職勝ち取りどたばた奮闘記 第8話
皆さん、こんばんわーー。お元気ですか。このシリーズ以外の投稿では、しょっちゅうすんばらしいギター演奏と歌声の動画をアップするユーチューバー、また、ある時はその時思っていることを綴る売れない小説家を演じるタケちゃんでございます。このシリーズでは、約1ヶ月ぶりぶりの再会となります。「あたい、タケちゃんのそのアホな投稿読めなくて本当に寂しかったの」って声は、全然聞こえてこなく、「こら、再就職頑張りますゆうて、何やってるんかわからんやないかーー。就職出来たなら、出来たって報告せんかー、ぼけ。えっ、まだ、出来てへんかー。下手な歌たってる場合ちゃうやろー、ぼけ。」っていう、がめついおっさん達の声ばっかし聞こえてくる毎日であります。あっ、実家の吉貞商店、生まぐろのせせりセルフ販売本当にありがとうございます。毎日順調に売れています。おかあちゃんからもお礼の言葉がありました。ほんま、ありがとうございます。
と、言うわけでこの1ヶ月間にあったことを書きます。まず、10/13にハローワーク主催の就職活動スタートセミナーに参加しました。先月の書類選考対策セミナーの前に受けるのが本当なのだが、日程の関係で、順番逆になりましたが、内容は非常にためになりました。当日は午前10時15分前にハローワークに着き、またもや一番乗り。会議室へ。机が10個並んでいたので、10人参加かーって分かりました。10時前に全員そろい前回と同じ講師の女性による講義。簡単に言うと再就職を掴むまでのステップの説明と自分自身の分析によりどんな仕事が向いているのか知りましょうって言う内容の約2時間のセミナーでした。今まで生活してきて「あー、やっぱり、こんな事が自分に向いている。やっぱりこれは、苦手やな」ってよく分かりました。今後はこのセミナーで分かったことを活かして仕事探そうって再度思いました。そして、本日は、3回目の失業保険認定日でハローワークへ行って来ました。この1か月での求職活動(2回分で、求職相談と先程のセミナー参加)を報告し認定して貰い、その後窓口を変えて求職の相談を受けました。実は、ほとんど毎日ネットでハローワークとかの求職情報をチエックしていて、気になる就職先が何件かあったので、その就職先について資料をもらいもっと詳しい内容を聞きました。
その会社の面接を受けるかどうかは現在検討中です。前回も書きましたが今、求人はほとんど介護関係が多いです。資格があればねー。僕は、介護関係の資格は一つも持っていません。逆に介護してもらわなあかん年にもなってきました。笑。最後に今思っていることを書きます。僕がこんな事を言える立場ではありませんが、ご勘弁を。まず、会社を退職したら出来るだけ早く再就職すること。僕みたいに失業保険でしばらく暮らそうとは思わないこと。その間、住民税や、国民健康保険(会社勤めの時は半分会社が負担してくれてましたが、退職したら全額自分です。)、国民年金の支払いはあります。この金額がバカになりません。また、早く再就職すれば、失業保険でもらえる金額が率は変わりますが、再就職祝い金みたいにもらえます。この事は、退職して初めて知りました。また、退職してしばらくはゆっくり出来ると思いましたが、このコロナの世の中旅行等に行く気にもならず収入も前から減るので、すぐにその自由な時間に飽きます。ちゃんと生活のリズムを立てないと、毎日何もせずに終わってしまいます。僕はそうなると思っていたので、必ず午前中は、7時に起き散歩をし、朝食を食べ、それから昼まで、簿記の勉強をやっています。
学生の時に資格は取っていますが、大分昔のことなんで再度勉強し直しています。今2級の商業簿記の所です。そして、昼ご飯は自炊し、ギター持って海水浴場へ出かけたり、ビデオ見たり、筋トレしたりして、夕方は夕ご飯の支度をしたりして過ごしてます。出来る限り、一日中だらだら過ごさないように努めています。(ほとんど家の中にいますが)でも、退職して3ヶ月経つと出来ればこのまま、年金もらえるまで働かんですんだらなぁって悪魔の声も聞こえてきます。でもその声を振り払って出来る限り早く再就職するべきです。(えっ、おまえがいうなって。)あと、はっきり言って、57歳からの仕事はなかなか無いのが現状です。特にフルタイム、正社員。でも、頑張ります。皆さん、万が一再就職するようになったら、僕みたいなことは、やめましょう。これが今の感想です。出来るだけ早く仕事に就く方がいいです。では、また。
再就職勝ち取りどたばた奮闘記 第9話
はい、本当にお久しぶりの更新です。昨年の10月の末に3回目の失業保険認定日の様子を書いてからになるので、5ヶ月ぶりぐらいになります。吉村再就職出来たんかー。って思われている方もいると思います。結論から言うと、まだです。現実は本当に厳しいんです。おまえ、何やってんねん。ってお叱りの方もいると思います。これからかいつまんで、この5ヶ月の様子を書きたいと思います。
まず、3回目の失業保険認定日の10月29日に認定を頂き、そのまま職業相談でめぼしい所の資料をもらい帰宅しました。「まあまあ、条件もええなぁ。でもまあもうちょっと考えよかなぁ。」って思ってしまいました。思っただけで、面接までの行動は起こしませんでした。失業保険の認定には前にも書きましたが、次の認定日までに求職活動を最低2回行わなければなりません。ということで、11月上旬に県主催のシニア向け求職セミナーを振興局で受けました。これで失業保険認定の条件クリアと言うことで、11月26日に4回目の認定にハローワークへ行きました。そしていつものように認定後就職相談。めぼしいところの資料を受け取り帰宅。そしてこの月はもう一度12月15日にハローワークに出向き就職相談。またもめぼしいところの資料をもらい帰宅。しかし、面接までは行動せず。「まだまだ面接とか受けやんでもいつでも仕事見つかるやろ。実際求職情報も年齢問わずの求人もいくつか載ってるし」って甘――い。考えでおりました。今考えたらアホでした。とんでもない考えに冒されていました。そして12月24日クリスマスイブの日に5回目の認定及び就職相談。そしてめぼしい求人情報を手にまたもや帰宅。でも行動せず。
そういう風に師走の騒がしさと共にその年は終わりました。明けて新年、今年になりました。何通か年賀状も僕宛に届きました。友達からも仕事きまりましたかーー。っていうコメントもありました。「あいつも心配してくれてんやなぁ」て、うれしかったけど、面接を受けるっていう行動にはなりませんでした。しかし、1月の半ば一人の友達に、「あのー、仕事どうなん。決まりそうなん。前にちょこっと話したとこ、まだ人探しやるみたいやで。聞いてみたろか」って天使の声がありました。「えっ、まだ決まってないねん。面接もまだ1回も受けてないねん。」「今、かなり就職厳しいみたいやで。良かったら聞いてみたるで。」
「すまんねえ、一回聞いてみて。そして、もしまだ募集してるんなら、面接受けてみよかなぁ。」「よし、分かった。そこの責任者、知ってるから聞いてみて結果連絡するよ」「すまんねえ。頼むわ」って言うことで、その後その友達から連絡があり、その会社のグループ会社に面接を受けることになった。履歴書は、その友達の知っている責任者の方を通じて渡して貰った。しかし、受けるはずの会社の担当者から履歴書を渡してから1週間以上経ってもうんともすんとも連絡がない。僕は不安になり申し訳ないと思ったが友達の知り合いの責任者の方に電話した。「あっ、吉村さん、面接の結果どうやったーー。」「すいません、その面接のことなんですが、まだ担当の方から面接日の連絡ないんです。」「えっ、それは、おかしい。私すぐに担当に連絡するわ。ごめんね。ちょっとまっといてね」「すいません。お願いします。」っていうわけで連絡を取って貰った。どう考えても履歴書受け取って
1週間以上も連絡のしない会社っておかしい。僕はこの時点で「この会社あかんなぁ」って思った。それから5時間経ったその日の夕方、やっと担当者から僕に連絡があった。
「連絡遅くなりすいません。何月何日の何時に面接大丈夫ですか」僕は、全然気が進まなかったが「はい、大丈夫です。宜しくお願いします」って電話を切った。「この担当者、俺が連絡せなんだら、一生電話せなんだろうなぁ。とんでもない会社や」と正直思った。
そして、面接当日にも事件が起きた。僕は約束の10分前にその会社に行った。休憩室みたいな所に通されしばらく待つことになった。 つづく。
再就職勝ち取りどたばた奮闘記 第10話
前回の続き。面接の時の話である。担当者があらわれるまで僕は椅子に腰掛け廻りを見回した。壁には何枚か書状が掛かっていたがすべて思いっきり傾いている。「はははっ、ここの会社の経営と同じやんかー。思いっきり傾いてるやん。」って思いながら眺めていた。
トントン、ガチャ。ドアが開き担当者と上役の方が「お待たせしました。今日はご苦労様です」っていいながら僕の向いに座った。「吉村です。宜しくお願いします。」って僕は立ち上がり挨拶した。担当者は、上役に僕の履歴書のコピーを渡し担当者は「えーっと、週に何日働けますか。」「えっ、毎日大丈夫です。」と僕。「一日に何時間働けますか」「フルタイム大丈夫です。」と僕。「4時間、5時間でも大丈夫ですが」「あのーー、フルタイムでお願いします」と僕。「グループ会社の責任者の方にも正社員、つまりフルタイムで話しているし、この会社のこの業務の求人もフルタイム、正社員で出しているし、紹介状貰うときもハローワークの方があなたに確認したろうが。それやのに、週何日、何時間ってなんやねん。」って僕は思いながら聞いていた。「あっ、正社員ですね。」って担当者。担当者は、僕の履歴書のコピーしか前に置いていない。「普通なら、自分のところで出した、募集内容の書いた書類と僕がわざわざ出した職務経歴書も前に置くべきやないかー。」と思いながら、「はい、そうです」って答えた。「こうこういう業務ですが、たまにこういう業務に付くこともあります。」っと担当者。「その時は、午後何時出勤の夜何時までの出勤になります。」「そんな事、募集要項のどこにも書いてないやん。」って思いながら、「まあ、大丈夫だと思います」って答えた。それから、今度は上役に代わって「職歴についてひとつずつ教えてください。何々会社って何の会社ですか」と上役。「おいおい、だからわざわざこちらは、ご丁寧に職務経歴書付けて出したんやぞ。担当者、コピーして渡せよなぁ」っ思いながら、上役の質問にひとつずつ丁寧に僕は答えた。「前の会社が無くなったって事は、前の会社がダメな会社だったってことですね」って上役。面接で面と向かって面接者に「あなたの前の会社はダメな会社ですね」っていう奴がどこにいるんだーー。ほんまに腹が立った。なんやこいつって思った。何か質問ありませんか。って担当者。「あのー、試用期間は、半年ですね。その間の日給は何千円って募集要項にありますが。どうでしょうか」「それは、わかりません。書いてようが、時給で計算するときもありますよ。」って上役。それって募集要項と違うってことやん。あかんやん。一応「そうですか」とだけ答えた。「ありがとうございました。失礼します。」って丁寧に挨拶して帰ってきた。帰ってきて、紹介してくれた友人や責任者の方には申し訳ないが「どうか、受かりません様に」って祈った。その後何日か経って電話があり「今回はご期待に添えないこととなりました」って担当者から返事があった。「あっ、そうですか。残念です」って一応残念そうに答えたが、心の中では「良かった、何かの間違いで受かったらどうしようか」って思った。まあ、最初の面接はこういうことで終わった。その後1月21日に第6回目の失業保険認定と就職相談があり、そして2月になった。 つづく。
再就職勝ち取りどたばた奮闘記 第11話
1月19日にハローワークの面接セミナーを受けていたので、2月18日の7回目の失業保険認定は無事認定された。まあ、前回の面接もあったので今回は3回の求職活動ってことになるのだが。前回の面接を受けて思ったことがある。年齢問わずって募集要項に書いているが、ところがどっこい、57歳の壁はかなり厚いってことだ。これは、かなり気合入れんとあかんってことだ。えっ、今頃気ついたんかーって。そうなんですよ。アホだったんです。世の中なめてたんですね。どうにかなるって。簡単に仕事決まるって。自分の経歴過大評価してたんですね。過去の職歴なんか、肩書きなんか、なーも役に立ちません。仕事やめたらただの太ったおっさんでっせ。と言うわけで、やっと2月半ばになり本気に面接受けて行こうって決意したわけです。2月22日に新宮市役所別館で県主催の就職説明会があり、その前にハローワークで探していたちょっと気になっていた業者があったので、ハローワークでその業者の面接を受けるため紹介状をもらいその足で就職説明会に行った。紹介状をもらった業者には、3日後に面接することとなったので、説明会には、情報収集って感じで参加した。僕は、持っている資格から事務的な仕事が希望なんですが、介護系の仕事が多く、正社員で事務職は、ほとんどなかった。ただ、ちょっと気になった会社のブースで話しを聞き資料を頂いて帰ってきた。余談ですか、その説明会にはあの前回面接を受けた会社も出社しており担当者もいた。後ろから蹴り入れてやろうかと思ったが、踏みとどまった。笑。そして、3日後、今度はちゃんとした会社の面接を受けた。フルタイムの事務職だ。僕以外にハローワークで聞いて、女性の方が3人受けていた。僕入れて4人の内で1人採用。結果は、はい、ダメでした。もしかして、受かるかもってわずかな望みを持っていたが、面接の時に思いっきり上がってしまったので(僕でもあがるんですよ)「うわー、あかんかなぁ」って思った。はっきり言って返事の書類が届いたとき落ち込んだ。なんか、自分の事を否定されたようで。「俺ってあかんのかなぁ。実力ないんかなぁ。57歳ってやっぱりかなりの壁なんかな」って。奥様に「面接あかなんだー」って言ったらただ、笑ってた。何か言って慰められるより、笑われるだけの方が気が楽だ。
よーし、こんどこそ、受かってみせるデー。しっかり選んで次回面接頑張ります。つづく。
再就職勝ち取りどたばた奮闘記 第12話
はい、2回目の求人面接にこてんぱんにやられて、落ち込んだまま3月に入った。
毎日ニュース番組ばかり見ているので、最近のニュースに詳しい。笑。あと、当然毎日ネットでハローワークの求人情報を見ていて仕事を探している。そんなこんなで、3月の初めに、地方新聞にちょっと気になった求人広告が載っていて、同時にハローワークの求人情報にも掲載されたので、「よし、3度目の正直や。受かったるーーー」って、次の日ハローワークに出かけ、その会社の紹介状をもらって、履歴書といっしょに郵送した。実は僕が紹介状をもらっているとき、隣の席でも女性が同じ会社の紹介状をもらっていて「これは、あの条件やったら何人受けるかわからんなぁ」って思った。「でも、負けへんでー。必ず1人に選ばれたるーー。」って決意して面接の連絡を待ち始めた。
しかし、なかなか面接の連絡がない。家の奥様にも「あんた、書類選考であかんのちゃう。わはははっ」って言われたが、「あほー、書類選考についてはありって書いてないんやぞ。書類到着後面接日連絡って書いてるんやぞ」って答えたが、1週間目になっても連絡ない。「おかしいなぁ。ほんま、書類で落とされたんかなぁ」って思えてきたその日の夕方、面接の連絡があった。面接日は3月11日。僕は、スーツに着替えその会社に向かった。
事務所に通され、担当者のYさんと、その会社の責任者のAさんとで、始まった。Aさんの顔を見たとき「お久しぶりですね。元気でしたか」って言われた。「あっ、Aさん。ここの責任者になったんかー」って心の中で叫んだ。「おっ、これは、ちょっと有利やぞ」とも心の中で微笑んだ。しかし、世の中そんなに、甘くない。面接は、ほとんどAさんからの質疑応答だった。一通り説明があり、「何か質問ありませんか」って言われたので「Yさんは、この会社でどういう立場なんですか」ってAさんに向かって質問した。Aさんは、「えっ」って言った。僕は、もう一度「Yさんは、この会社でどういう立場なんですか」て聞いた。「あっ、僕ですか。僕はこういう理由で、ここの責任者です」って答えた。ここで、僕はやっと気づいた。「やばい、目の前の人の名前おもいっきり間違えたーー。しかも2回、話きいてないんかー。って思われても仕方ないぞ。やばーー。」って何かが音を立てて崩れていくのが分かった。それから、Aさんは、「良かったら会社内見学していきますか」って先導してくれ各部屋を紹介してくれました。そして、事務所に戻り少しだけ雑談して「今日はお疲れさまでした。結果はYより1週間ぐらいで連絡させていただきます。」Aさんが言った。僕は席を立ち「ありがとうございました。よろしくおねがいします。」とお礼を言って帰ってきた。それから1週間目の午後電話が鳴った。Yさんからだった。
覚悟はしてたが「今回は見送らせて頂きます」のお言葉だった。3度目の不採用。さすがにほんまに、落ち込んだ。世の中は早咲きの桜が咲いたというニュース。僕の春はいつ来るんだろーーー。しかし、前に進むしかない。おっちゃん頑張るよー。 つづく。
再就職勝ち取りどたばた奮闘記 第13話
3度目の正直は、僕には無く3月の半ばになった。落ち込んでばかりもいられない。
僕はハローワークに出かけ、めぼしい求人の紹介状をお願いした。「僕の実力ももちろんあると思うんですが、やっぱり年齢が決め手なんですかね」ってハローワークの担当者に聞くと「うーん、なかなか57歳っていうのはむずかしいかもしれませんが、でも大丈夫ですよ。」って言われた。まあ、面と向かって「むずかしいです。無理ですよ」って言わないよな。
今度はある会社の一般事務の仕事を受けることとなった。気になったのは、定年が65歳、希望があれば70歳まで働ける条件だったため。まあ、給料とかもなかなか良かった点もある。担当者に相手側の担当者に連絡してもらい、履歴書を郵送し後日面接の日を連絡していただくこととなった。それから1週間後僕はスーツを着て面接に出かけた。受付のロビーで少し待ち、4階の会議室に通された。担当者は一人で僕と同じ歳くらいの女性だった。ただ一目見ただけで、やり手のキャリアウーマンって感じだった。普通、面接って10分くらいのもんだが、気が付くと1時間ぐらいその担当者と1対1で話していた。ただ、最後の方で、「吉村さんの実力なら私がやってもらいたい仕事はもったいないと思うんですよ。」という言葉を言われた。「これは、おそらくダメやなぁ」って心の中で思いながら、最後まで話し面接が終わった。「結果は1週間以内に電話でご連絡します。今日はお疲れ様でした。」「ありがとうございました。宜しくお願いします」っとお礼を言ってエレベーターで1階まで下りて家にもどった。その夜奥様に「どうやった」って聞かれ「まあ、あかんと思う。やってもらいたい仕事は俺の実力やったらもったいないって言われた。言葉はええけど、つまり向いてないってことやろ」「まあ、そうかなあ」僕は99パーセント諦めた。しかし、翌日朝9時前に携帯が鳴った。その担当者だった。「あのあと上の者とも相談しましたが、総務っていうことで良ければこちらで働いて頂けませんか」って言われた。僕は、不採用って思っていたので「えっ、働けるんですか」って聞いてしまった。「はい、吉村さんさえ良ければ、総務みたいな仕事になりますが、ぜひと思いまして。最初の3ヶ月は試用期間ですが」僕は、正社員で働けるし、是非と思い「あっ、ぜひお願いします。」って返事をした。それから少し細かい打ち合わせをして電話を切った。4月1日から、その会社で働くこととなった。その夜、奥様に伝えると「よかったねえ」と喜んでくれた。その日は缶ビールで乾杯した。ああ、やっと再就職活動が終わると僕は、思いっきり喜んだ。4月1日までの約1週間のうちで僕はハローワークに行き就職活動の終了の認定を受けたり、また事前に健康診断を受けてほしいとその職場から言われたので健康診断を受けたりして過ごした。そして4月1日初仕事の日を迎えたのである。つづく。
再就職勝ち取りどたばた奮闘記 第14話
本来なら、13話で、無事再就職が決まったので、13話でこのシリーズは、終わりのはずだった。はずだったということは、何かあったんだなと、読者の皆さんなら、すぐ分かったと思う。その内容をこれから書いていこうと思う。僕が正社員として再就職を勝ちとった事は、自分のフェイスブックや、今までお世話になった方へのメール等で、僕宛に、たくさんのお祝いのメッセージを頂いた。4月1日に小学校に入学した子供のように、僕は久しぶりにスーツにそでを通し、弁当をもって自転車で新しい職場まで出かけた。4階建てのビル全部が会社である。3階の部屋に事務室があり、僕は中途採用職員になった。1日目は、各部所の職員の方への挨拶とか、どこの場所になにを置いているか等の案内で、終わった。僕の職場は、週休2日で、僕は水曜の午後半日と土曜の午後半日、そして日曜が休みとなった。その日から僕は、毎日8時30分から午後5時30分まで事務的な事を少しずつ憶えたり、備品の管理の仕方を少しずつ憶えたりしていった。そして、明日で2週間目という4月14日の仕事終了前に、その事務所の責任者の方に個人的に呼ばれ、打ち合わせをすることとなった。4階の会議室に行くと、その責任者と事務所の昔からいる方の2人が座っていた。「忙しいところすいません。実は、この会社に入る前に健康診断を受けて頂いたと思うのですが、吉村さんの聴力についてお聴きしたいと思ってお呼びしたんですよ。」と責任者。「あっ、はい。昔から高音が聞き難く難聴です。普段このように、日常会話にはほとんど差し支えないんですが、小さい声で言われたり、ざわざわしている時に、話しかけられても聞き取りにくい時もあります。」「そうですか。うちの会社は、お客様相手なので、その方の名前を間違ったり、その方の資料を絶対間違えては、いけない仕事です。」「はい、そうですね。」「現在吉村さんは、3ヶ月の試用期間と言うことは、ご理解してくれていると思います。先程の聴力の件もふまえて、今後吉村さんに、働いて頂くには、正社員では、なく有期社員としての採用となります。有期社員になると勤務時間も少し短い勤務時間となります。それでよろしいかどうかという話です。ちょうど、明日が月の節目でもあるので。」「あっ、そうですか。もし、それが受け入れられなくて退職するときは、退職届でいいですか。」「はい、かまいません。」「ちょっと持ち帰って早めに返事します。」「すいません。宜しくお願いします。」僕は、そういって自宅に戻った。「なんやなんやいっていたけど、要するに働き止めって事やん。このまま有期職員でも働きづらいし。よし、退職やな。」って僕はその日に退職届を書いて、次の日に、その責任者に渡した。このような訳で僕は、たった2週間の試用期間で退職した。耳のことは、子供の時からのことだが、大きくは、仕事に支障はなかった。僕は、小さいときに高熱を出し小さいときから高音が聞き取りにくかった。最近病院で詳しく調べて頂いたが、両耳とも神経がダメで、補聴器でも補助できなく、人工内耳にするしかないと言われた。ただ、中音と低音の聴力でなんとか日常会話をこなしているという状態との事だ。色んな仕事やってきたし、観光協会も27年努めてきた。その後、実は僕は、5月の初めに又、違う5つ目の会社を受けた。履歴書には、2週間試用期間で働いたことも、耳が悪いことも書いた。不採用だった。後で、ハローワークの方に聞いたが、あまり細かく書く必要もなかったかもって言われた。聞かれたら答えればええとも言われた。と言うことで、今現在、僕はまた就活中である。失業保険もあと8月までとなっている。それまでに再就職せねば。今、知り合いの有る会社の社長さんが、働かせてくれる予定で、今度じっくりあって話しを聞いてくれることとなっている。耳のことも話している。ぜひ、受かって再就職したいと思っている。 つづく。
再就職勝ち取りどたばた奮闘記 第15話
5つ目の会社の採用面接にもやぶれ、5月も過ぎ、6月になり、そして7月になった。
少し話しさかのぼるが、僕が4月から採用になった会社を退職した翌日に、ハローワークに行き、実はこうこう理由で、再度就活をすることになったことを担当者に伝えた。担当者は、ひとつの書類を出してきて、「ここに、本日から再就職活動を再開します。と書いてください。」と言った。僕は言われたとおり、書きその下に名前を書き、印鑑を押した。
そして、再就職活動と失業保険の残りの分の支給が始まったのである。失業保険が終わるのが8月上旬だ。話しは、元に戻り5月も、6月も、7月もオンラインの会社説明会等に参加し、月2回の就職活動をし、失業保険をもらった。そして、7月の下旬に、前からお願いしていた友人のある社長から電話をいただき、8月6日からホテルの清掃職員として採用して頂くこととなった。この社長には、始めに話があったときに、あらかじめ履歴書と職歴書を送っており、昔から僕のことを良く知っているので、簡単な面接だけで採用してくれた。初めの2、3ヶ月は研修期間としてあるホテルで研修を受けることとなっている。8月5日が失業保険の最後の認定日なので、8月6日からの採用として頂いた。
以上、僕の拙い再就職活動記だが、今思うと57歳という歳は、世の中の方々が言うとおり、かなり再就職が難しいと思う。まあ、その方の資格や才能とかもあるのだろうが。
一年間長かった。辛かった。今まで、大学受験しか不合格というものを味わったことがなかったので。不採用というものがこんなに堪えるとは思わなかった。
あと、つくづく思うのは、高齢になればなるほど、やめさせられない限り今いる会社で踏ん張って働く方が良いということ。また、もし、失業したら出来るだけ早く再就職のために活動を始めることだと思った。まあ、僕の再就職活動が、参考になるのかどうかは分からないが、読んで頂けると幸いだ。今後は、首にならないよう働ける歳まで働くつもりである。頑張ります。 今度こそ本当の終わり。
令和3年7月30日 吉村 剛
後書き と言うわけで、現在清掃会社の研修生として、バイト対応で某ホテルで清掃の仕事をしています。ゆくゆくは正社員にしていただけるということで、現在いろんな仕事を学んでいます。現在3ヶ月が過ぎたところで、仕事始めたときから
約15キロ痩せました。現在もすこしずつ体重減っています。これからも頑張りますので皆様、よろしくです。
令和3年11月19日 吉村 剛
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