女川町・東日本大震災からの復興~若者がリードした復興まちづくり~

「女川駅から海を望むプロムナード」東日本大震災の復興シンボルとして、東北で初めて街びらきを実施した場所。
発災後、がれきが概ね撤去された頃の航空写真。現地に入って見た光景は今でも忘れない。「被災者の方々に寄り添い、予断を持たずにチームとして復興に取組む」その決意が生まれた現場。
鉄筋コンクリートの建物(銀行)が、基礎杭が折れて建物が横になったまま。東日本大震災の伝承として保存するという議論もあったようだが、多くの方が亡くなり責任者が従業員の安全確保義務を怠ったと裁判になっていた施設であり、その後解体された。この場所は数メートル嵩上げした。
UNICEF(ユニセフ)の支援で女川中学校卒業生が作成した「津波記憶の石」。千年後の命を守るための3つの合言葉が刻まれている。「普段から絆を強く」「高台にまちをつくり避難路を整備する」「震災の記録を後世に残す」
「千年後の命を守るために」ここは津波到達地点。もし大きな地震が起きたら、この石碑より上に逃げて下さい。家に戻ろうとする人がいれば絶対に引き止めてください。の言葉が刻まれている。この高台の病院の敷地に逃げた人の多くが、津波で流されてしまった。
造成中の現場で女川駅舎の工事が進む。東日本大震災の復興のシンボルにするため、資材不足、人員不足、作業員のための十分な食事や宿泊施設が確保できない中、通常の2倍以上のスピードで整備。
高台の造成地から女川湾を望む。女川は、街と海を隔てる高い防波堤を整備せず、高台に住宅地、海辺に水産業施設を配置。地震発生時には、整備した避難路で逃げることを想定した街づくりを実施している。そのため、震災前のように海と街が近い。
復興のシンボル「赤のダンボルギーニ」。段ボール会社の社長が段ボールで作成したランボルギーニをモデルにした車を展示。復興した商業施設の視察時の目玉として活躍した。
津波が高台の病院まで到達