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おしどり夫婦の幸せな離婚

「本当におしどり夫婦だよね」

結婚していた頃、よく人から言われた言葉だ。それほどまでに私たちは仲が良く見えたのだろう。実際に仲が良く、ときめきがない代わりに気が合った。手をつないで歩き、くだらない話をしてはゲラゲラ笑う。一生、それが続くと信じていた。この人がいないと生きていけない。

それなのに、離婚してしまった。しかも離婚を切り出したのは私だ。離婚を決意した直後は毎日のように泣いていた。

それから2年。今の私はというと、すこぶる元気である。元夫とは、友人として月に一度くらい会っている。

「私、離婚してからすごく元気なんだよね。今が人生で一番元気」

地中海料理屋でパエリアを取り分けながら言うと、元夫は自分を指差して「ストレッサーがいなくなったからね」と笑った。出会った頃と変わらない、温かな笑顔だ。


山小屋で出会い、5年交際して結婚へ

彼と出会ったのは23歳のときだ。私はもともと小説家になりたくて学生時代から新人賞に応募していたけれど箸にも棒にもかからず、就職したもののメンタルをこじらせてあっという間に離職した。実家を出る資金を稼ぐために北アルプスの山小屋へ住み込みバイトをしに行き、そこで働いていた彼と出会った。

はじめて挨拶をしたときから「なんかいいな」と思った。彼は坊主頭でずんぐりむっくりで、見た目はまったく好みではなかったけれど、落ち着いた柔らかい声でゆっくりと話すところがいい。お人好しで、みんなからも好かれている。彼は美大を出ていて、山小屋に来る前は美大の研究室で助手をしていたという。私は小説、彼は絵と、お互いに創作活動をしていたことで話が合った。

わりとすぐに告白されて付き合うことになった。彼といてもドキドキしないし、今までの恋のようにときめいたりはしない。だけど、今までの恋にはない安心感があった。彼は付き合ってすぐに「いつかサキちゃんと結婚して世界一周したいな」と言った。

翌年からも、私たちは山小屋の仕事を続けた。冬の間は山小屋が閉まっているので、私はコールセンターで短期バイトをして、彼は酒蔵で働く。その間は遠距離恋愛だ。ガラケーの時代、毎日メールや通話をした。

付き合いが長くなっても彼は優しく、頻繁に「大好き」と言ってくれた。当時の私はメンタルが不安定で(ちなみに今はかなり改善されている)、すぐに泣いたり寝込んだりしていたが、私が落ち込んでも彼はあまり気にしなかった。鈍感であまり物事を深く考えない性質だからこそ、私の不安定さに引きずられることなく一緒にいられたのだろう。それまでも恋人はいたが、こんなにも私の不安定さに寛容な人ははじめてだった。

交際から3年後、彼のもとに「工業高校のデザイン科の先生をやらないか」という話が来た。任期は2年。彼はその話を受け、山小屋を辞めて先生になった。

「2年間でお金を貯めるから、任期が終わったら結婚して旅に出よう」

付き合ってすぐに語っていた私と結婚して旅に出る夢を、彼は持ち続けていた。それはいつしか、私の目標にもなった。

そうして彼は2年の任期を満了し、私たちは入籍した。付き合ってから5年半後のことだ。


「私、やっぱり物書きになりたい。山小屋を辞めてチャレンジしたい」

私たちはアパートを引き払い、バックパックひとつで旅に出た。メキシコシティにしばらく滞在し、ペルーとボリビアへ行き、パタゴニア地方でトレッキングを楽しみ、北半球に渡ってスペイン巡礼を成し遂げた。

半年間の旅で、抱えきれないほどの経験をした。どの景色の中にも夫がいる。手をつないでいろいろな街を歩き、初めて見るものを食べて、たくさんの人と出会った。

旅の間、私は毎日の体験や感じたことを日記に記していた。これがきっかけとなり、文章を書きたい、物書きになりたいという思いが再燃した。

帰国後、私たちはとりあえず働いていた山小屋に戻った。その翌年、異動があり、私たちは小さな小屋を夫婦で任されることになった。それまでは支配人の下で働いていたが、これからは自分たちが責任を負い、後輩を指導しなければいけない。私ははじめての責任ある立場にやりがいを感じ、夫とふたりで夢中になって働いた。

後輩たちからは「吉玉夫妻、本当に仲いいよね」と言われた。私が夫の要領の悪さにイライラして「もう!」と怒っていても、その姿すらおしどり夫婦に見えるらしい。

その仕事を3年続けて、過去最高の売上を叩き出すことができたし後輩も育ったし、できることはやり切ったと感じた。

「私、やっぱり物書きになりたい。山小屋を辞めてチャレンジしたい。あなたは? 絵を描きたいんじゃないの?」

夫も、かつては絵のプロになることを夢見ていた。工業高校の先生をしていたときに暮らしていたアパートに「絵で食ってく」と書いた紙を貼っていたくらいだ。

夫婦で話し合って、山小屋を辞めて新しいチャレンジをすることにした。


夢だったライターになるも、夫が無職に

私はライターを目指して、文字単価0.5円くらいの記事を請け負うことから始めた。もちろん、生活できるほどには稼げない。そこで、戦略的にnoteを毎日更新した。noteはだんだんと読まれるようになり、当時存在した「cakes」という媒体のコンテストで賞を取って、週刊連載をすることになった。それを読んだ編集者からの執筆依頼がだんだんと増え、連載開始から1年後には『山小屋ガールの癒されない日々(平凡社)』を上梓した。

とんとん拍子に進む私とは反対に、夫はイラストレーターとして仕事を得ることがなかなかできなかった。私経由で彼にも挿絵などの仕事が入ってきたが、彼は相手の望むものを察するのが苦手なため、クライアントワークに向いていなかったのだ。また、SNSの活用も下手だった。

夫は営業活動をせず、家事に逃げるようになった。わざわざ時間をかけて家事をしては「家事があるから仕事をする時間がない」と言い訳をする。私がもっと稼げていたら、私が働いて夫が主夫になる道もあったが、当時の私の稼ぎでは無理だった。

また、この頃から、夫はスピリチュアルや自然派や陰謀論と呼ばれるものに傾倒しはじめた。私はそれらを内心で馬鹿にしていたが、波風を立てたくなかったので何も言わずにいた。

イライラした。私はガツガツと貪欲にチャンスをものにしているというのに、なぜ夫はそうしないのか。夢を叶える機会が目の前に転がっているのに、なぜもっと必死にならないんだ。

イラストレーターをやりたくないなら、他で働けばいい。そう思うのだが、夫が見つけてくるのは短期の清掃のバイトや、農家のボランティアばかりで、ぜんぜん家にお金を入れてくれない。

私のストレスは溜まる一方だったが、夫に強く言うことはできなかった。言えば喧嘩になってしまう。私は昔から、言いたいことを我慢して飲み込んでしまう癖がある。

また、夫が働かない悩みを周囲に打ち明けることもできなかった。そんなことを言えば「離婚すれば?」と言われてしまうだろう。当時の私は、何よりも離婚を恐れていた。

そんなストレスフルな状態だったが、争いを避けていたため意外にも夫婦仲は良かった。夫が働かないことに内心で腹を立てつつも、一緒に散歩したり、お昼寝をしたり、冗談を言い合ったりする毎日は楽しい。彼は朗らかで温厚で優しくて、この人がいないと生きていけないと思った。このときの私は、犬が飼い主に懐くように夫に依存していた。

そう言うと、私が夫に洗脳されていたと考える人もいるかもしれないが、そんなことはない。彼はよく「サキちゃんは自分が思っているよりも強いから大丈夫。一人でもちゃんと生きていける人だよ」と言ったが、私はその言葉を信じなかった。

いつか、夫が先に死んでしまったらどうしよう。

想像しただけで涙が溢れた。働かない夫に腹を立てているはずなのに、一生離れたくなかった。


介護のため別居、はじめての一人暮らし

その後の私はエッセイよりもインタビューの仕事が増え、月にそれなりの量を書けるようになり、生活が安定してきた。ライターになってから生活が安定するまで約2年。夫は相変わらず、ほぼ無職だった。

そんなある日、義母から電話が来た。実は義父が認知症になり、ほとんど動けなくなっていたそうだ。義母は誰にも言わずに一人で介護をしていたが、ついに限界が来て、長男である夫にSOSを出したのだ。

「すぐに帰ってあげて」

夫の実家は茨城県と福島県の県境にある。夫は実家までの交通費がないというので、お金を下ろしてきて持たせた。

こうして、私たちの別居はあっけなく始まった。

夫は実家で父親の介護をした。月に一度、週末に数日だけ東京の我が家に帰ってくる。その間は、神奈川で働く義弟が介護を変わってくれた。

夫とは毎日LINEで連絡を取り合っていた。夫は愚痴を言うことがなく、むしろ義父の介護を楽しんでいるようだった。義父はほぼ寝たきりの状態だったが、夫が献身的にリハビリに付き合った結果、散歩ができるまでに回復したらしい。義父のために健康にいいことを調べたり試したりするのが楽しいようで、夫はうちにいたときよりもイキイキしていた。「働いて」と言われることがなくなったからかもしれない。

積極的に家事をしてくれていた夫がいなくなったが、困ることはなかった。私はもともと家事が得意なほうだ。夫の「働かない言い訳」を奪わないように家事を任せていただけで、自分でやるとなったらまったく苦痛ではない。

一人暮らしはほとんどはじめてなので、自分にできるのか心配だったが、一人でも普通に仕事と家事をこなすことができた。むしろ、夫がいたときよりも調子がいい。なぜか急にアイドルにハマって、いわゆる推し活を楽しむようにもなった。自分で稼いだお金で機嫌よく暮らすことで、生まれてはじめて精神的に自立できた実感がある。結婚当初は不安定で弱々しかった私も、気づけば図太くタフになっていた。

夫が実家に帰っておよそ1年半が経った頃、義父が亡くなった。最期は大腸の疾患だった。葬儀は、義母と夫と義弟と私の4人だけで行った。

義父が亡くなったことで夫は家に帰ってくるかと思いきや、「母が高齢だから一人にしておけない」と言い、引き続き実家で暮らすことを選んだ。義母はたしかに高齢だが、身体も動くし頭もしっかりしていて、介護が必要なわけではない。

「ずっと離れて暮らすの? 私はずっと一人なの?」

そう尋ねると、「嫌ならサキちゃんがこっちに来ればいい」と言う。私は週に数回は東京で取材があるから無理だ。モヤモヤしたまま、私たちは相変わらず離れて暮らすしかなかった。

温かい家庭を築きたかった。両親が築いてくれたような、季節ごとに行事を楽しむような家庭が理想だった。もともとお互いにフリーターだったから経済的に子どもは諦めていたけれど、犬を家族に迎えて、家族で末永く幸せに暮らしたかった。

なのに、なんで私は一人ぼっちなんだろう。どうして大好きな人と結婚したのに、幸せじゃないんだろう。


こんなに大好きな人と、別れるんだなぁ

義父が亡くなった年の年末、夫の実家に行った。

夫は私から「ワクチンの匂いがする」と言い出した。たしかに、私は新型コロナウイルスのワクチンを接種していた。夫はワクチン反対派なので、彼には秘密にしていたのだ。

夫の言う甘い匂いは、ワクチンの匂いではなく私の香水の匂いだと思われたが、彼は「ワクチン打ったでしょ」と迫ってくる。仕方なく「打った」と白状すると、「もう止めてね」と呆れたような顔をされた。それから、夫は義母と陰謀論めいた話を始めた。夫が実家に帰ってからというもの、陰謀論への傾倒が加速していることに気づいていたが、私はその現実から目を逸らしていた。

もう無理だ。

私は「眠い」と言い訳をして用意された客用布団にもぐり込んだ。その夜は悲しくて悲しくてなかなか寝付けなかった。

翌日、夫に「ワクチンとかに対する考え方が合わないから、自分の実家に帰りたい」と話した。夫は「そっか」と言ってタクシーを呼んでくれた。私は大急ぎで、実家のある札幌への航空券を予約した。

とりあえず、その日は東京の自宅に帰った。電車の中で、山小屋の友人に顛末をLINEした。そのLINEのやり取りの中で、はじめて私の中から「離婚」という言葉が出た。友人からの返信は簡潔で、過度に私の味方をすることはなく、かと言って離婚に反対することもなかった。友人とLINEをするうちにだんだん気持ちが整理されていって、自分が本当は離婚したがっていることに気づいた。気づいたらもう、涙が止まらなかった。電車の中だというのに、ぐしぐしと泣きつづけた。

結婚して10年。出会ってからは15年。

今まで何度も手をつないで散歩をした。しょうもない冗談を言い合っては笑った。私が寝込んでいるときは、優しい言葉をかけてそっとしておいてくれた。性的に触れ合うことはもう何年も前からなくなっていたけれど、だからこそ、一緒にいて心から安心できる相手だった。

こんなに大好きな人と、別れるんだなぁ。

その翌日は大晦日で、札幌の実家に帰った。年明け、ファミレスで集まった地元の友達に「離婚するかも」と伝えたときにはもう、涙は出なかった。

東京に戻ってすぐ、電話で離婚を切り出した。夫は「サキちゃんがそうしたいなら」とすんなり受け入れた。私は離婚後も彼の苗字を名乗りたいと考えていて、それを伝えると了承してくれた。マンションの名義は私に変更し、このまま一人で住みつづける。夫はそのまま実家で暮らすため、家財道具は私が所有することになった。彼は「迷惑かけたから、2人の共同の貯金はぜんぶサキちゃんのものにしよう」と言ったが、私は半分に分けることにした。

月末には彼が東京の家に戻ってきて、一緒に市役所に離婚届を出しに行った。その帰りにカラオケに行って、ホルモン焼きを食べた。夫は元夫になり、家から運び出した彼の荷物はレンタルした軽自動車に収まった。


彼と離婚して本当によかった

離婚直後はハイになっていたが、少し経つと落ち込んできて、毎日これでもかというくらい泣いた。自分しかいない家で「温かい家庭を築きたかったよ~」と言っては泣きじゃくる。まるで怨霊みたいだ。

あまりに私が弱っていたので、札幌の母が心配して1週間ほど来てくれた。母は「生き別れでよかった。死に別れだったら、あなたは後を追っていたかもしれないもの」と言った。母がいる間に桜が咲いて、やがて散った。

離婚から立ち直るのに、これといったきっかけはなかった。日々を過ごしているうちに少しずつ泣くことが減っていき、別離について考えない日のほうが増えていった。

離婚してからも、元夫とは月に一度くらいの頻度で会っていた。別に月に一度会おうと決めたわけではないが、なんだか自然な流れでそうなったのだ。私たちは友達として、カラオケやピクニックや花火大会に行く。夫婦だったときは彼が無職であることに腹を立てていたが、友達であれば無職でも別に気にならない。

今年の2月、辛いことがあって弱ったとき、元夫に電話をしたら彼はすぐに来てくれた(さすが無職はフットワークが軽い)。私は仕事が詰まっていたからゆっくり過ごすことはできなかったけれど、辛いときにそばにいてくれたことでずいぶんと救われた。親友って、こういう間柄のことを言うのかもしれない。

気付けば、離婚から2年が経っていた。この2年間は仕事にも友達にも恵まれて毎日が適度に忙しく、気力も体力も充実していて、人生で一番幸せだったかもしれない。そりゃあたまにはネガティブになるし、「私の人生ってなんなんだろう」みたいな気分にもなるけれど、基本的には日々を能動的に楽しんでいる。

彼と離婚して本当によかった。けれど、彼と結婚したことにも後悔はない。結婚して、離婚する。私の人生にはこの一連の流れが不可欠だったように思う。

元夫はというと、庭を畑にして野菜を育てたり、自然の中で食べられる野草を見つけてきたり、味噌や梅干しを作ったりと、やりたいことをやって毎日楽しそうだ。

彼はよく「サキちゃんに新しい恋人ができたら、僕はもう会いに来ないから安心してね」と言う。その日を想像したら、嬉しいのか寂しいのか、なんだかぐしゃぐしゃした気持ちになる。

ただ、この先誰かと関係を構築するとしても、一人で生きていくにしても、私は私の人生を後悔しない自信がある。ずんぐりむっくりで声がいいヘンテコな男との結婚と離婚が、私にその自信を与えてくれた。

もしもタイムリープして人生をやり直せるとしても、私はまた彼と結婚して、離婚する気がする。我ながら馬鹿みたいで呆れてしまうけれど、きっと、何度だって繰り返すのだろう。

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