嗚呼 草の応援団 第23話 ~「リーダー部長」兼「渉外長」に任命さる 篇~
続きから
とうとう、先輩たちも引退し、私たちはH高応援団の幹部となった。
この時を私は待ちに待っていた。 (他の同期がどう思っていたから知らない)
このマガジンの初期の記事で、私がなぜ「応援団」なる組織に身を置くことになったか書いたと思うが、そもそも私にとって「応援団」というのはどの部活よりも入りたくない部活でもあったし、高校では部活なんぞせずにもっとオシャレでポップ(!?)なハイスクールライフを送るつもりでいたのだ。(笑)
「応援団」に入ったのも、先輩たちから「昔と違って厳しくしない」とか「お前らが一番上の代になったら好きにして良い」というようなことを言われていたからでもあったのだ。
しかし、応援団に所属してみると、意外や意外にも、私自身「応援団の一員」であるという自覚や誇りのようなものが芽生えてきて、それなりに「応援団員」らしくはなっていったのだが、やはり元来が怠け者である私にとって、先輩たちの挙動に気を張ったり、服従を要求されるような状況から解放されるというのは、かなり嬉しい状況なのであった。
先輩たちが引退するときに、私たちが「幹部」になるにあたり、応援団においての「役職」を割り当てられることとなった。
まず、誰が「団長」になるかである。
同期の中で一番の長身で、またキャラもたっている団長候補であったO形。
彼が予定どおり「第十四代応援団・団長」に就任することとなった。
彼は、やはり私たちの同級生の間でも最も愛されキャラであり、正直、キャラの面からも容姿の面からも、また存在感からも、「応援団長は彼しかいない」という意見ははじめから完全に一致していた。
続いて「副団長」である。
副団長には、私の中学のときからのなじみであり、先輩からの勧誘によってあっけなく応援団に入部したK野が就任した。こいつが応援団に入ることがなければ私が応援団に入ることもなかっただろう、という人物でもある。
副団長というのは特にさしたる役目があるわけではないが、応援団の実質トップ2である。 野球の応援のときに相手側に応援団がいたりすると、団長と一緒に挨拶にいったりすることもある。そして、応援中は「H高校応援歌」を指揮するのは服団長の役目だ。
続いて、我が応援団には「親衛隊隊長」という役職がある。 そもそも我が応援団に「親衛隊」などという部隊があったのか!?と、めちゃくちゃ突っ込みどころがある役職なのだが(笑)、この「親衛隊隊長」には同期の中でも一番最後に入ってきたM田が就任した。
余談であるが、「親衛隊」とは、本来はある組織における本部直属の武装集団のことをさすことが多い。
応援団の世界における「親衛隊」について少し調べてみると、関西辺りの大学の応援団が発祥のようで、形態は様々であったらしい。下記のブログによると甲南大学応援団の例では、他の武道系部活動からの助っ人たちを束ねて「親衛隊」を組織していたらしい。また旗手が「親衛隊隊長」を名乗っていたところが多かったという。 ちなみに「嗚呼 花の応援団」の主人公青田赤道は、旗手であったが「親衛隊隊長」でもあった。とはいえ、「親衛隊」の形態も時代を経るにつれて変化し、いまでは「親衛隊」を構成する応援団はかなり少なくなったとのこと。
ちなみに我が団には「親衛隊」という部隊が「過去にあった」という話すらも聞いたことがない。
※参考記事
我が応援団の「親衛隊隊長」は、野球の応援などでは「Song Of The Navy(錨を上げて)」という紅白の手旗信号を織りまぜた我が校独自の応援を指揮する役職である。花形の演舞である。 きっと、家でも自主練をしていたM田の演舞のキレが見込まれたのだろう。
続いて、私の役職だが「リーダー部長」兼「渉外長(しょうがいちょう)」という役職に任命された。
「リーダー部長」というものが一体何を意味するのかもわからず、私からしたらただ単にそういう役職をもらったというだけで、「リーダー部長」だからといって何か特別なことをしたということもない。 一応、応援を主導していく人たちを「リーダー」というのでその中の長、という位置付けなのだろうか。
「渉外長」という役職に関しても、初めはそれがどういう意味かわからなかったし気にも留めてなかったのだが、ある夏の課外授業中、数学のT谷先生から
「吉田、おまえ役職は何になった?」と聞かれたので、「はい、『リーダー部長』と『渉外長』です」と答えた。
「おまえ、『渉外』の意味わかるか?」
と皆の前で言われたのだが、私は自信満々に
「わかりません!」
と答えた。
T谷先生は、そんなこともわからず「渉外長」を名乗ってるのか、と半ば呆れた感じで
「授業終わったあと俺のとこ来い」
と言った。
授業後のT谷先生
「『渉外』って漢字わかるか?」
私「いえ、覚えてないです。」
と自信満々な私。
T谷先生「『渉』は『交渉』の『渉』の字を書くやろ? 外部の人たちと交渉したり付き合いがある場合に出ていくのが「渉外長」や。」
なるほど!と思った。 ただ名目だけかと思っていた応援団の役職にも、一応このような役目が付与されているのだなと、無教養であった私は少しだけだが感心したのである。 まったくお恥ずかしい。。
ちなみに、私は後日、他校の応援団と付き合いのあるとき、「渉外長」という役職にこぎつけて団長に付き添っていったこともある。
そして、リーダーにはもう一人N濱という洋風な顔したギタリストでもある同期がいる。彼は「幹事長」兼「統帥長(とうすいちょう)」という役職を与えられていた。
当然、「幹事長」も「統帥長」も、やはりほとんど名目だけの役職であったようである。 「幹事長」も「統帥長」も、また私の役職である「リーダー部長」も、ネット上で調べてみると、どれも結局は「応援団のまとめ役」というようなことしか出てこない。
ただ、「幹事長」であるN濱には、飲み会のときなどは「幹事」をやらせたりした。そんなもんである。
つまり、応援団の役職といっても結局は団長・副団長以外は有名無実と化していたといっても差し支えないだろう。
応援団創設のときにはそれなりに役職に意味があったのかもしれないが、私たちの代になった頃にはそういうことも継承されていなかったのだから仕方がない。
そして、最後に、応援団きってのお調子者であるA野は、引き続きの「旗手」となった。幹部になると「旗手」から「旗手長」という役職に「格上げ(!?)」される。 もちろん「旗手長」の下に他の「旗手」がいるわけではない。
第十四代応援団幹部の役職は以上だが、「鼓手」であったO田先輩が引退したので、新生応援団では、新たに「鼓手」を任命しなければならなくなった。
私たちの代からは「鼓手」は選出しない方針でいた。1つ下の学年が6人もいるので、その中から一人選出するつもりであったのだ。
といっても、すでにもう「鼓手」候補はこいつしかおらんだろうというやつはいた。 Tというやつだ。
丸々太ったその体型から、将来リーダーとして活躍するのは難しかろうという意見で皆一致していた。 「鼓手」であるならば、その体型を鍛え上げることができれば、逞しく大きな身体にもなるだろうし、体重に乗せたデカイい音も出せるだろうとのことで、先輩たちの引退前から、彼を「鼓手」にすることでほぼ決まっていたのだ。
そういうことで第十四代応援団の「鼓手」はTに決まった。
あとは、一回生の残り5人がバックになる。
第十四代応援団は、このような構成でスタートすることになった。1999年の夏である。
