#0 文化に触れる「場」を歩くことから考え直してみよう。
この5年くらいずっと苦しんでいる。プライベートでは、50を過ぎたこと。体調が崩れて薬漬けの身体になってしまったこと。母が亡くなったこと。仕事では、コロナが来たこと。仕事場の方針が変わったこと。信頼していた仲間たちが多数、去っていってしまったこと。
一番良くないのは、アート活動の従事者なのに、アートに対する揺らぎが出てしまったこと。市場は活性化しているみたいだけど、私が求めていたアートによるアウトプットと違う気がする。だったら違う仕事でも始めたほうがいいのかな。辞めたほうが楽になれるのかな。ぐるぐる、ぐるぐると。
最近、大きな文化施設を巡って、とある話題が盛り上がっている。
ターゲットになっている某美術館の友人に20年ぶりだか30年ぶりだかに会ったので、サクッと本件について聞いてみたら、周りの騒ぎはよそに案外呑気に構えていて、「そうなったらそうなったで仕方ないよねー」なんて言っていた。心強くもあるけど、心折れないでほしい。経営は大事だが、つたえるべき大切なことはもっとほかにもあるはずだ。
私が子供の頃は、残念ながらふらりと簡単に訪れることのできる文化施設が周囲になかった。相当な田舎だったから。あったのは図書館とか青少年会館にあったプラネタリウムくらいか(町にはたくさん彫刻が転がっていたけれど https://sculpture-ubecity.com/)。
父と母は旅が大好きだったから、車に乗せられていろんなところに行ったけれど、そのたびに美術館に連れていってくれて、ワクワクした。美術館という箱の持つ力、作品から見えてくる時代やメッセージの力、そしてあふれる色彩や線の美しさそのもの。作家の人間性も。
大学生になって、そういう分野で仕事をしていきたいと思ってからはずっと「アート」「アート」と言い続けていた。就職活動時、とある外資のコンサル会社を試しに受けてみたが、まあまあ評価高くて最終面接に行った。「あなた、なにやりたいの」て問われて「アートですね」って言ったら落とされた。今からもう30年前だけど、早すぎた笑。まさか、アート市場がビジネスにも侵食してくることになるなんて、あのとき誰も思ってなかっただろうし(私も思ってなかったけど)。
実学寄りの大学だったから、「アート」とか言ってる訳のわからない人、と、周囲の友人は思っていただろう。突然絵を買ってきたと今でもネタにされる。そんな私にとって、「生活とアートの融合」を活動テーマにし、さらには「アートの社会へのアプリケーション」をいち早く打ち出したスパイラルとの出会いはヒットだった。美術館とかギャラリーとか展示を主体とする施設ならばたくさんあるけれど、その領域を超えて、まさにアートの本質であるところの自由さを謳歌するがごとく、立ち位置の自由さを表現に変換し、外へ外へと闊達に動く場なんてなかなかない!と思ったからだ。社会と美術をつなぐアートセンター、最高。場を都市のまんなかに有し、そこに従事する人びとは、組織を組みながら、ゆるくつながる。まさにコレクティブの走りみたいな状態だった。楽しかった。
というところで、いろんな事象を引き起こすことに一生懸命だった2000年代、その合間に子供も生んだから、仕事と子育てをパラレルにどれだけ上手に走らせるかで時間とお金を使いまくってた。海外との文化ネットワークを構築することに勤しんだ2010年代、そして、コロナでもがいた数年があったのちの、いわば空白。そうなってから、長い。そして今、これからなにをやるべきか決断しなくてはならない瀬戸際にいる。
話し相手がいないので、賢いAIに聞いてみた。そしたら「ちゃんと見て、書いて、発信しろ」と怒られた。当たり前のことだ。そういえば、ちょっと前まで雑誌「SPUR」でも4年くらい記事を書かせていただいていたが、
最近はそういうミッションもないので、手が動かなくなっている。ただ、雑誌のような媒体だと、マス向けや、雑誌の思惑にどうしても左右されるので、やるべきはやっぱり自主発信だろう。
「空間」から「場」に変える技術について、考えてみたい。構築済みのソリッドな都市の場というより、特には田舎のポテンシャルから都市の余白まで。田舎と都会の顔を両方持っている私に、適した距離感ではないか。
目的がなかったり、手入れがされていなかったり、そんな「空間」は狭い日本と言えど山程ある。だが、そこに愛情が加わったり、メンテがされたり、色彩や光やよろこびや動きが注がれると場になる。アートはそういうことに必ずや役に立つ。
そのことの現在地にいま一度立って、綴っていこうと思う。
