見出し画像

青い雨粒 #シロクマ文芸部

 青い雨粒が腿を伝った。
 濃紺のインディゴデニムのショートパンツが色落ちしていた。
 あっと思ったけれど、小さなバッグの中にはハンカチもティッシュもない。スマホと財布だけ。それでトイレを探した。
 雨の予報に、新品のショートパンツを履くのはためらったけれど、せっかく買ったのだからと履いてきた。急な豪雨にやられて近くの店舗の軒先に飛び込んだ。こんなにひどく色落ちするなんて聞いてない。

 安かった。確かに。セールで980円。そもそも元の値段が1980円だ。薄手というかぺらぺらで、1回履いたらだめになるような嫌な予感はしていた。
 ショッピングモールの比較的綺麗なトイレで、このまま脱いでゴミ箱に捨てたくなったけれど、さすがにそんなことはできない。どこかのショップで安い服を買って、濡れたデニムは袋に入れてもらおうかなとも考えた。家に帰って、単品で洗濯するか。

 でもさ考えてみ。コインランドリーで980円のショートパンツを単品で洗う?角のコインランドリーは10分100円、乾燥まですると30分はかかるから300円。この程度の雨で色落ちするくらいの衣類だから、きっと次も他の洗濯物と一緒にはできない。乾燥しなければいいのかもしれないけれど、濡れたショートパンツを持ち帰って部屋干しして?だいたい、持ち帰る間に他の何かに色落ちするのが嫌だ。ビニールに入れて持ち帰る?洗うだけなら単品もあり?悩む。ていうかもう、捨てたい。

 この服、不良品だよね。いまどきここまで色落ちする服なんて売っちゃいけないはず。腹が立ち、イライラしながらトイレットペーパーで白い腿と膝裏を這う薄青い筋をぬぐい、ショートパンツも拭こうとしたけれど、トイレットペーパーも青くなり、さらには紙がぼろぼろこぼれ始めたのでやめて、便器に放り込み、流す。出ようとして、やっぱり用を足していこうとショートパンツを脱いだら下着にも色が移っている。まさかと思ってインしていたブラウスの裾を見ると見事に色移り。
 マジか。最悪。そう思ってしゃがもうとしたとき、あ、と思った。
 なんとなくそろそろだと思っていたけど、今来たか。白い便器にひとすじの赤。
 しかも「来そう」って思っていたのに、ナプキンを持ってきてない。
 だってバッグの中にはスマホ(と財布)だけ。
 もう、帰る。うちに帰る。

 泣きそうになりながら、色移りした下着にトイレットペーパーを重ね、学校の絵具箱に入れっぱなしだったガーゼハンカチみたいによれたショートパンツを履き、何食わぬ顔でトイレから出た。
 トイレにはいつの間にか行列ができていて、何かに急かされるように手を洗ってハンドドライした後、トイレ入り口の横に立ってスマホを出した。
 ——ごめんなさい 今日行けなくなりました
 LINEはすぐに既読になって、相手からの返信も速攻だった。
 彼のアイコンはAI絵のイケメン。彼に、似ている。
 ——なんで どうしたの? 来る途中? 迎えに行こうか
 ——家に帰ろうかなって
 すると、一瞬の間が空いた。
 急激に暗黒に突き落されたように不安になる。スマホに触れている指が震えた。
 ——残念だなあ。でもドタキャンはないでしょ ずっと待ってたんだよ
 ——ほんとにごめんなさい マジで気持ち悪くて ごめんなさい
 ——ツムギちゃんが応援してくれないと 俺今日もナンバーワン取れないかもしれないな
 お腹が痛くなってきた。ショートパンツは濡れてるし、そのせいでお腹から下が冷えている。ショートパンツの下からも店内の冷気が這いあがってきた。
 ——ショウさん、ごめんなさい 今日は50万しか持ってきてなかったけど、明日だったら80万円渡せると思います
 ——そう? 待ってるからね 早く元気になってね ツムギちゃん大好き
  ありがとうございます、と送信したメッセージは既読にならず、そのままスマホをポーチにしまった。
 どうしよう、家に帰って着替えて、それからお店に行こうかな。
 やっぱり行けます、少し遅れますけど、とLINEしようと思ったけど、お腹がずうんと痛んだので、明日の為にも家に帰って着替えてから、職場にシフトの空きがないか聞いてみよう、と思った。それとも馴染みのおじさんに連絡してみようか。もう安い服はダメだ。おじさんにねだってみようかな。最近おじさんもお金を払うのが嫌みたいで、あまり誘いに乗ってくれない。別のおじさんを探したほうがいいのかなと思ったりもする。 
 やっとツムギさんからツムギちゃんになったけれど、ツムギって呼ばれるまではまだまだだ。それに、あとどのくらいお金を使ったら、ショウサン、じゃなくてショウクン、と呼べるようになるんだろう。ショウって呼び捨てにしているお姉さんたちみたいに、私も早く、なりたい。
 もっともっと我慢して節約すれば、もっとお金を作れるはず。
 ショッピングモールの階段を降りる。
 雨上がりの街で私は、迷子が母親を探すみたいにATMを探した。

#シロクマ文芸部