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あの夏のホイットニー #シロクマ文芸部

 砂浜で、バスタオルをひき、おぼつかない手つきで片方ずつ有線の黒いイヤホンを装着した。手に入れたばかりのこれまた黒いウォークマンに砂がつかないように気をつけながら再生ボタンを押す。カシャッという特有の音。波音のかわりに両耳に流れ込んできたのはホイットニー・ヒューストン。デビューアルバム『そよ風の贈り物』の一曲目は「恋は手さぐり」。
 この日の為にスクール水着以外で初めて買ったターコイズブルーの水着はあまり似合っていないしサイズもあっていない。スクール水着のほうがましだったと思うほど寂しい体つきをした私の脳裏には、スタイル抜群のホイットニーが白い水着を着て砂浜に立ち、海をバックに腰に手を当てて空を見上げているジャケット写真が浮かんでいる。

 16歳の夏、私はホイットニーと海にいた。

 レンタルショップでLPレコードを借りてカセットテープにダビングし、満を持して海に持ってきた。それがど田舎の名もない寂れた砂浜だろうが、部活の合宿で安宿に泊まっていようが知ったこっちゃない。
 それは私にとって、家族と過ごさない初めての海だった。
 美術部の合宿で、顧問の先生が懇意にしている日本海に面した温泉地に行くことになった。日本のどこかには湘南や葉山と言ったオシャレで素敵な太平洋の海があるのは知っていた。でも平成が始まったばかりの頃の田舎の女子高生にとっては湘南だろうがロサンゼルスだろうが別世界に変わりはない。そもそも海に行く、ということだけで満足で、しかも「写生をする時間」という実質何をしてもいい休憩時間がある。とても自由だった。

 顧問の先生はうるさいことを言わないおじいちゃんだった。よく描けると褒めてくれたし、適当に描くと茫洋としたようすで「きみは本当は絵が好きじゃないのかな」と言った。絵は骨格から書くんだよ、骨が大事なんだよ、と教えてくれたのも、線だよ、線はシャープじゃなくてはと教えてくれたのも先生だった。RCサクセションの歌に『僕の好きな先生』という歌があるけれど、まさにそんな感じ。学校での憩いは部活に行ってだらだら過ごすことだった。
 先生は自分が絵を描きたければ部室の奥の部屋に籠って出てこなかったし、出てきたら気まぐれに部員に声をかけた。来たければ来ればいいし、来たくなければ来なくていい、来ても描きたければ描けばいいし、描きたくないときは何をしていてもいいと先生は言った。先生の絵のタッチを、今でも覚えているけれど、その年だけで定年退職してしまったその後の先生のことは、何も知らない。翌年赴任してきた新しい顧問の先生は、おじいちゃん先生とは似ても似つかぬストリクトでスタボーンなタイプだったから、部活の憩いは失われ、私は幽霊部員になった。

 とにかくあの夏、私は海にいたのだ。ホイットニーと。
 砂浜でバカンスという「絵」に私は憧れていた。羞恥心などない。なぜなら閑散とした浜辺には部活のメンバーしかいないから。日焼けもどうでもいい。むしろサンオイルを塗るような時代だった。そしてなにより、みんな各々楽しんでいて、私のことなど見ていない。陸側には鄙びて人のいない海の家。目の前には日本海の何とも言えないジャパネスクな風景が広がるばかり。でも全然気にならなかった。そんなことはどうでもよかった。目を閉じればロスにいるから。いやそのジャパネスクな風景を写生しに来たんですけど?ということは置いておいて、私は目を閉じ、瞼の裏に太陽の光を感じながらちょっと手を額にかざしたりしていた。ヤシの木のそばにパラソルか何かがあるビーチを想像して。それからちょっと体勢を変えて見たり、うつぶせになってみたりした。何度も言うが誰も見ていない。でも私は私を見ていた。なんて素敵なのかしら。私は海にいる。ホイットニーと。

 あのころの夏はそこまで殺人的な日差しではなかったはずだが、それでも二曲目の「オールアットワンス」が終わるころには、私はもうその遊びに飽きていた。のそりと起き上がる。日差しを浴びて身体がだるい。「Greatest Love of All」を味わって聞いた。聞き終わるころ、今度はちゃんと、バスタオルに体育座りをして、目を細めて顔をしかめ、日本海の深緑がかった海と砂浜が終わったところから続く岩だらけの磯、その奥に見える岩の上に松が生えている島々を眺めた。
 ——つまり現実を眺めた。
 つらい現実だったが、それでも海は開放的で陽気な気分を私にもたらした。おあつらえ向きにそよと風もふいていた。その当時はまだハードコンタクトレンズだったので失くしたら大変と海には入らない。ただ、その時間をホイットニーと過ごした。まだ私の知らない「恋」を歌うホイットニーと。

 私の洋楽デビューは高校生で、当時は洋楽ブームでもあった。友達からレコードを借りて、たくさんの洋楽に触れ始めたばかりのころ。ホイットニーの透明でそれでいて重量感のある声は魅力的で、アルバムは繰り返し、繰り返し聞いた。夏と言えばサザンの時代。まだTUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」は出ていなかった。杉山清貴&オメガトライブと迷って、ホイットニーにしたのは正解だった。オメガトライブだったら、行ったこともない葉山や湘南の海と目の前の海との落差が大きすぎる。世界が違い過ぎて想像が追い付かないロスくらいがちょうどいい。どうしてかはわからないが、私の中でホイットニーはロサンゼルスの海にいた。

 調べてみたら、日本版のアルバム『そよ風の贈りもの』は、米国版と曲順が違っていたらしい。米国版は文字通り「そよ風の贈りもの」から始まっていたのだという。昔のアルバムはA面とB面があるドーナツ版だったので、日本版はそのA面とB面を入れ替えて発売していたのだと、さっき知った。知らなかった。私の思い出の中のアルバムは「恋は手さぐり」から始まっている。

 「TheVoice」と称されたホイットニー・ヒューストンといえば、その後の映画『ボディガード』の「I will Always Love You」のほうが有名なのかもしれないが、私は『そよ風の贈りもの』がやっぱり好きだ。そして「All at once」は最高だと思う。いつもなぜだか胸が締め付けられる。私がこれまでの人生で魂が震えると思った女性シンガーは、ホイットニーとミーシャとスーパーフライ。ホイットニーは一位の座から降りたことが無い。

 若くして残念な亡くなり方をしてしまったが、彼女の歌声を聴くと、あの夏のあの日がありありと蘇る。そして、曲に全くあっていなかった日本海の海を、カセットテープの回る様子を、あの日の日差しと風を、もう消息も知らない先生と部員のみんなを、まるで去年の夏のことのように思い出すのだ。

 あまりいい思い出がなかった高校時代のことは虫食いだらけで、いろんなことを忘れてしまったけれど、ホイットニーの歌と結びついたあの砂浜の思い出だけは鮮明だ。今振り返ればわたしは、あのとき彼女から「贈りもの」をもらっていたのかもしれない。あの夏描いた絵は塗りつぶしてしまったけれど、あの夏のホイットニーはいつだって思いだせる。すっくと立って空を見ている。


【追記】海carettaさんが、ホイットニー・ヒューストンの曲と記事を紹介してくださっています。「そういえば懐かしいけどどんな曲なんだっけ?」「ホイットニー・ヒューストン知らなかったけど、どんな曲なんだろう」と思われた方は、ぜひ、この記事にお立ち寄りください!




 小牧部長、宜しくお願いします。

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