第4章:託されたバトンと、引き合わされた「隣町」の背筋
初めて田口さんの工場を訪れた日の五感のすべてを、 鮮烈に覚えている。
畑や田んぼに囲まれたその場所の事務所に通されると、 そこは昭和の時代で時間が止まったかのような佇まいだった。
パイプ椅子に腰掛けるや否や、私は胸の中の熱量を 堰を切ったように話し始めた。 田口さんは「うん、うん」と、 終始穏やかな笑顔で聴いてくれた。
そして、ずっと私の心の奥にあった問いを投げかけた。
「田口さんは、佐々木さんの 『お師匠さん』にあたる方ですよね?」
「そんな、師匠なんて大層なものじゃないけれど。 佐々木くんは、もちろん知ってるよ」
やっぱり、この人がすべての源流だ。
工場を案内してもらった瞬間、 香ばしい、甘やかな焙煎された米糠の匂いが 鼻腔を満たした。 その瞬間、私の脳裏に、 幼い頃の実家の記憶が鮮烈にフラッシュバックした。稲刈りの天日干しのチクチクとした痒さ、 籾摺りの作業、 豚のエサとして米糠を混ぜていたこと。あんなに逃げ出したかった「農の記憶」が、 この工場の匂いと完全にシンクロした。
土壌菌を理解するためのバックボーンは、 すでに私の身体の中に埋め込まれていたのだ。

それから、私は田口さんに会いたい一心で、 毎月のようにその工場へ通うようになる。
しかし、そのうち電話をしても出ない。 メールをしても返ってこない。
「変なこと言ったかな...」「嫌われたのかもしれない」と 胃が引き裂かれるような不安に襲われる日々。
それでも諦めずにいると、ある日突然、短いメールが届く。
「何月何日の何時に、工場に来てください」
他の予定をすべて投げ打って「はい!行きます!」と車を飛ばした。
田口さんは私をテストしていたのかもしれない。
本気でこの菌を学ぶ覚悟があるのかどうかを…
しかし、その後もなかなかやり取りができない日々が続いた。
これ以上は迷惑なのかもしれない。 そんな諦めが、何度も頭をよぎる。
特に最後の方は、半ば強引に会ってもらうようにこちらから仕込んでいたため、「次に会うのが最後かもしれない」という予感すらあった。
連絡が途絶えてから、約3ヶ月。
もう、この連絡を最後にしよう。
もし返ってこなかったら、 これは縁がなかったものだと思って諦めよう。
そんな退路を断つような覚悟を持って、最後のメールを送った。
すると数日後、一通のメールが届いた。
いつも通り、短い指定だった。
「何月何日の何時に、工場に来てください」
その短い一言に、魂を震わせながら私は再び会いに行った。
田口さんのサプリメントを自ら毎日飲み続けて、便が明らかに変わったと実感してから丸1年が経った頃だ。
いつも通り訪れた工場のあの昭和の事務所で、 田口さんがいつもの椅子にゆったりと腰掛けながら、 ぽつりと私に言った。
「これ、あなたが売っていいよ」
ずっと願っていたはずの言葉だったはずなのに、いざ言われると、嬉しいというよりは、 やっとここまで来れた、という深い想いが湧き上がった。というのも、私は単にこれを売りたいのではない。
これをきっかけに、これほどまでに病んでしまった 日本人の健康、腸を、 日本人の食生活に光を灯したかった。
あとは、私がこれを広める番だ。
工場からの帰り道、私はひっそり車の中で涙をこぼした。
新幹線や高速道路の路肩でこぼした、 あのボロボロの涙とは違う。
喜びと希望に満ちた涙だった。
「よし、これからまたがんばろう」
それから数ヶ月後。
家に堆肥を運んでもらった日のことだった。
「中津川に午前中行ってるから、その帰りにおうちに寄れるよ」 と田口さんから連絡があり、我が家へ案内する際、道すがら話をした。
「うちの亡くなった父は、中津川出身で」
何気なく言うと、田口さんも同じ中津川出身だという。
気になって、「中津川のどのあたりですか?」と尋ねた。
ここでも、点と点が結ばれる、 出会うべくして出会ったのかと思う言葉が出てきた。
「うちの父は、中津川の福岡出身で」 そう言うと、田口さんは言った。
「ぼくはその隣町だよ」
その瞬間、感動とかそういう綺麗な感情じゃなく、 ただただ、驚いた。
今までもいろんな不思議な積み重ねがあったけれど、
「え、ちょっと待って……嘘でしょ……?」と、 本当に声が出なかった。
あれほど嫌悪して、逃げ出したくてたまらなかった実家の農家の血。
農業のことなんて全く興味関心もなかったが、たまたま婿養子としての嫁ぎ先が農家だった父。
それが、私が会社を飛び出し、 高速道路の路肩でボロボロになって泣いて、 すべてを失ってたどり着いたこの山奥の工場で、 まさかこんな形で繋がってしまうなんて。
父が仕組んだんじゃないか。
そう思わざるを得ないような、ちょっと怖いくらいの、 生々しい縁の引き合わせだった。
これは、綺麗事のビジネスなんかじゃない。 逃げ回ってきた自分の血筋に、 真っ正面から捕まえられてしまったような、 そんな凄みのある瞬間だった。
(第5章:土と腸は、繋がっている。へ続く。)
