ユメと私
第五章 フィルター越しの世界
「あー疲れた。」
冬限定のチョコレートにお茶、そして求人雑誌が入った袋をドサッと居間のコタツに落とすと、朝よりもずっしりと重たく感じるダウンジャケットをソファの上へ脱ぎ捨てた。1日の疲れが染み込んだ靴下も洗濯かごに放り込み、洗面台で手洗いうがいを済ませ、髪の毛をクルッと頭の上でお団子にすると、化粧と呼べるほどでもない薄化粧をサッと落とし、洗面台横の棚から綺麗に畳まれているタオルを一枚引っ張り出した。
「ふぅ~。」
タオルから香る甘いバラの柔軟剤の香りに脳がポワンと温まりそうだったのに、この冷え切った洗面所の床は、私に香りをゆっくり楽しむ時間なんて与えてくれない。
とりあえず化粧水という私の最低限の女子力を握りしめ、コンビニの袋が置かれたコタツの中に潜り込む。
「さむっ。」
電源の入っていなかったコタツに身震いが止まらない。
徐々に足元から温もりをくれるコタツに、私はとろけるように脱力し、ソファを背もたれにし天を仰ぎ、真っ白な天井の一点を見つめると、肺がゆっくりと酸素を吸い上げた。
「す~、はぁ~。」
別に見ても見なくてもいいテレビをなんとなくつけると、何年も前の再放送ドラマがやっていた。
ガサゴソと袋から冬限定のチョコレートの箱を開け、一口サイズのココアパウダーがたっぷりまぶされたチョコを口に放り込む。
「うん。やっぱり、美味しい。」
求人雑誌も取り出してペラペラとめくってみた。
「どんな仕事が向いているのか全然わかんない。どうしよう。ハァ~。」
*
今から一年前、同級生たちが大学受験の合格と華々しい大学生活を夢見て、参考書と真剣に向き合っている中、あの時の私も求人雑誌に助けを求めていた。
「どうしよう。。。接客業は向いていないと思うし、私に向いてる仕事って何?ね〜私にピッタリな仕事教えてよ。」と、途方にくれていた。
母には、「勉強はできるんだから、大学に行ったら?お金の心配はしなくても大丈夫よ。」と言われていたが、小さな頃から親戚にも近所の人にも、「宮本さん家は、お母さん一人で大変ね。早くお母さんに楽させてあげないと。」と言われ続けてきた私には、大学に行く選択をしてはいけないと思っていたし、『働いて自立する』一択しか無いと勝手に決めつけていた。
ここ数年は就職氷河期と呼ばれ、高卒にとって正社員枠での採用は、夢のまた夢のような話であったから、建設会社の事務のパートタイム採用でさえ大喜びだった。インテリアや家のデザインには興味があったし、真面目に働いていたら、正社員になるチャンスが来るだろうと勝手にワクワクして働き始めたものの、職場では、正社員の人がやりたくないのであろう雑用ばかり。こんな事をずっとしていて、いつ正社員になれるのだろうかと不安でしかなかった。
今のところ仕事を変える勇気は、まだないからこそ、求人雑誌を眺め、今よりもキラキラと働く自分の姿を妄想することが何よりも楽しいのだ。
「やっぱり、こんな有名な会社が私なんか雇ってくれないか。高卒だし。」と、現実の世界にすぐに引き戻される。
もしお父さんが生きていたら、みんなと一緒に大学生活楽しめたのに。
私に才能があったら。。。もっと美人だったら。。。
こんな筈じゃなかった。違う人生だったはずなんだ。
こんなに自信が持てない自分に臆病にならずに生きることが出来たのに。
私には叶えたい夢も無いし、何が好きで、得意なのかもわからない。
私はただの能無しじゃないか。あー、もう逃げたい。
全ての事から逃げ出したい。私には、こうして泣くしか能がないんだから。テーブルの上で組んだ腕に額を乗せると、ポタポタ流れる涙が腕を伝い、求人雑誌に落ちていった。
乱れていた呼吸がゆっくりと落ち着き始めると、冷えていた体がこたつの気持ちのいい温もりに包まれて、睡魔に意識を奪われた。

*
私は、パート先の薄汚れたグレーのデスクに座っている。でも、見慣れたオフィスはここにはない。窓の外は高層ビルが立ち並ぶ、外国のオフィス街みたいだし、オフィスの中だって、機能性よりもデザイン性が優先されたカラフルなソファやテーブルがあちらこちらに置かれ、壁も床もコーヒーカップまでイチイチおしゃれに装飾されている。
夢のようなオフィスに圧倒されていたが、周りを見渡す限りオフィスにはいるのは、私だけ。
ふと、後ろを振り返ると、映画撮影用の存在感のあるカメラが二台あることに気がついた。カメラの後ろで、フワフワの白いうさぎの耳が揺れている。
「エリーちゃん、こっちにおいで!このカメラを早く覗いてごらんなさい。」
私は「おばあちゃーん!」と言って走り寄って行った。
おばあちゃんは、私が生まれる一年前に亡くなっていて、もちろん会ったことは無いし、声も聞いたこともなかった。なのに、初対面のおばあちゃんがとても懐かしく感じた。
私の出産予定日が丁度おばあちゃんの命日だったから、親戚のおばさんは、会う度に、私はおばあちゃんの生まれ変わりだと言っていた。
おばあちゃんはカメラを覗き込んだまま話し始めた。
「エリーちゃんは、おばあちゃの運命の人。血縁で結ばれた、私たち先祖の命を運び繋げ、使命を受けたついだ人なんだよ。
使命って言うとなんだか、荷が重い重大なことだと思ってしまうかもしれないけれど、先祖はあなたに果たさなければいけない命令なんて下してませんよ。決められた道に進むだけの人生なんて面白みにかけて地球らしくないでしょ?エリーちゃんが受けた使命は、『あなたの命の光を使って、あなた自身にスポットライトを当てて生きること。』忘れていないかしら、エリーちゃんが主役なのよ。」と言うと、おばあちゃんはやっと私の方を振り向いた。
「これは『宇宙視点カメラ』で、あなたが主役の人生ドラマを記録しているのよ。思い出せる一番最初の記憶はある?その映像を想像してしてみてちょうだい。
どうだい?あなた自身がその映像の中にいる事に気づいたかい?
あなたの表情さえ、はっきりと見えるかもしれないね。
でも、変だと思わない?エリーちゃんの視線からは、自分の顔が見えないのに、思い出の映像には、あるんだよ。その秘密はね、俯瞰で撮影した宇宙視点の映像を見ているからさ。」とおばあちゃんは、なんだか自慢げに私の顔をチラッと覗き込んでから、隣にある別のカメラの説明をし始めた。
「そして、こっちにあるのが、『主人公視点カメラ』よ。あなたが今までに地球で経験して、手に入れてきた多種多様の知恵と知識のフィルターを搭載しているのよ。
いくつものフィルターを重ね合わせて作られた世界は、ただそこにあるだけの無機質の世界に、複雑なエフェクトを独断と偏見で作り上げている。原型を見失うほどにね。
地球にいる人みんなが違うフィルターを搭載しているんだから、物事の見方が全然違うってことは当たり前で、同じ様に見ようって方が難しい。同じ世界を見ているようで、全く違う世界を見ているんだからね。
だから、その違いを少しでもすり合わせるために、言葉だけでなくって、身振り手振り、顔の表情、声のトーン、視線の動きで相手と意思疎通を取ろうとする力が身についていく。エリーちゃんだって、本当は、みんな見ている世界が違うって言うことに気づいているんだろう?」
と言ったおばあちゃんが、急に私の目をジッと見たのでドキッとした。
「つまり、あなたの目で見て聞いて経験してみなければ、エリーちゃんにとっての正解はわからないって事さ!
その意味がわかるかい?とにかく、なんでもやってみたらいいんだ!
やってみて上手くいくかどうかは、わからない。でも、必ず未来に必要な知恵と知識のフィルターをそこで手に入れることができる。フィルターが多ければ多いほど、他人とコミュニケーションを取るときに、自分が持ち合わせている中で、相手が使っているフィルターに一番近いフィルターを用意して、その世界を見ることができるだろう?
それにね、フィルターをたくさん持っていれば、些細な悩みから、人生を左右する大問題、何かが起こったとしても、「この方法が使えなくても、私には別の方法があるんだ!」と不安から解放されて、もっと柔軟に考えられるようになるんだ。
経験を積んで、知恵と知識のフィルターをどんどん手に入れていくゲームみたいだけど、それが、不安の綱を安心して渡るコツ!」
おばあちゃんは「大丈夫よ」と言うように私の肩をポンポンと叩いた。
「でも、エリーちゃんは、一人しかいないから、出来ることもどうしても限られてしまうでしょ?だから、ときには『助けてもらう』と言う選択をしても良いんだよ。
あなたの周りには、エリーちゃんを手助けしたいと思っている人が実はたくさんいるのよ。
エリーちゃんも誰かの事を助けられたら嬉しくて誇らしい気持ちにならないかしら?ね?そんな風に、その気持ちを経験したいと願っている人はたくさんいるのよ。
だからさ、誰かが親切にしようとしてくれたならば、「人に迷惑をかけたくない」とか「人に借りを作りたくない」とかそんな気持ちは置いておいて、素直に親切を受け取ったら良いのよ、それは、あなたの弱さを見せることではなくって、他人を思いやる優しさよ!」
できない自分の弱さを認めるのが怖くて、人からの助けを拒み続けていた頑固な私の目から涙がポタポタと流れていた。
おばあちゃんは、私の背中をさすると「どれ、どれ。」と言ってカメラを覗き込んだ。
「エリーちゃん目線のカメラは、なんだかピントがあっていないのかしら。ぼやけているわね。複雑で乱雑に入り組んだフィルターを何枚も重ね合わせてしまって、どこにフォーカスしたらいいのかわからないのね。
エリーちゃんの気持ちがモヤモヤっとするならば、全てのフィルターを取っ払ってみてみたら良いんじゃないかしら?きっと、そこに映し出されるものは、ただ『ある』っていう事実だけ。その事実が見えたなら、無いもの探しばかりしなくて良くなるわね。
それに、宇宙目線のカメラを覗くのも良いわよ。俯瞰して自分自身をみてみごらんなさい。あなたはもうすでに素晴らしいって事がわかるわよ。おばあちゃんが撮影してるんだから間違いない!ねっ?」
と、おばあちゃんがニコっと私に微笑んだ瞬間、周りが急に明るくなったことに驚いて目が覚めた。
「あら、エリーいたの?電気がついてなかったから、テレビつけっぱなしで仕事に行っちゃったのかと思った。もー、また、こたつで寝ちゃって。風邪ひくわよ。あっ!ちょっと、ちょっと、窓の外見てよ。すごいわよー!大きな満月!」と、仕事帰りの母親が興奮気味に言ったけど、私の目線から見えるのは、ただの真っ暗な空だけだった。
