時代小説「放浪の果てに」第七話
作:yoshi
第七話:天災との闘い天地返し
それから三日後の四月十八日に、私とおちよさんは伏見屋を発った。
辺りはまだ暗かったが宿場の朝は早く、もう箱根を目指す旅人の姿もあった。
ご主人と話が決まって酒を酌み交わした後、ご主人は早速おちよさんに一色村行きの話をしたという。
しかし、おちよさんはなかなか承諾してくれなかったらしい。
おちよさんには、これまで育ててくれた恩義もあるし、たとえ両親の墓参りとはいえ、私用で仕事を離れることなど、考えられないことだった。
それでも、ご主人の篤い説得で渋々了承したらしい。
出立の際は仏壇のお義母さんの位牌にじっと手を合わせていた。
三嶋大明神様の鳥居の前で手を合わせて旅の無事を祈り、道の真ん中に鎮座する大石を横切って下田街道への道に入っていった。
辺りは夜明け前で家々はまだ暗い帳の中に沈んでいた。しかし、人の往来はすでに始まっていた。ちよさんは私に付かず離れずの距離で歩を進めていた。
宿場から少し歩くと、すぐに人家がまばらになり、満月の明りに照らされた、灰色の平地や山が不気味に浮き上がって見えてきた。
四半時歩いた頃左側の山の稜線あたりが白んできた。時間が経つにつれて周りの異様な景色がはっきりしてきた。私たちの両側は田圃の様だった、しかしいちめん灰色の泥に覆われているようだった。
いつもなら、田圃は蓮華の花やかな色で覆われている頃なのだが。
その田圃では朝早くから人々が出て普請をしていた。
宝永噴火の火山灰や軽石がこの中島村や大場村辺りに三寸から六寸程積もったと聞いている。
田圃の火山灰を天地返しと言う方法で取り除いても、山に降り積もった大量の火山灰と軽石が大雨の度山からこの平地に土石流として流れ下って、せっかく天地返しで掘り起こした田圃をまた元の灰色の、のっぺりとした不毛の地に戻してしまう、そんな繰り返しがもう六年もの間続いている。
経済力の乏しい小作農家は僅かなお金と引き換えに土地を手放し、地主の下で働くようになった、体力のある地主だけが土地を買い取って、さらに大地主へと成長していった。
しかしながら、この苦難がいつまで続くのか、農民には土地が全てで、この土地をもとの肥えた土地に戻すまで、この苦難はあとこの先どれ程続くことだろう。
幕府も技術支援の役人の派遣や年貢の免除、義援金、義援米など支援してきたが、それも数年で無くなり、後は農民が自力で復旧を行うこととなった。
普請している中には子供もいた、取り除いた泥を入れた菰を馬に引かせて、深く掘った穴に捨てていた。
そんな光景をおちよさんは暫く黙って見ていた。
暫く行くと川に掛った簡易な木の橋を渡った。見ると、川は灰色の砂と白い軽石で埋まっていた、その上を濁った水が流れていた。
その橋を渡った所に標識があって真っすぐ下ると下田街道で、左に折れると熱海方面と標されていた。
ここは、間宮村らしい。外はすっかり明るくなって、箱根から伊豆に連なる箱根連山から朝日が出て来た。後ろを振り返ると三島宿の方向に富士山が白い雪をたたえて白く聳えていた。
この時間になって、下田街道はさらに人や馬の往来が多くなってきた。
そこから暫く歩くと道の両側にこんもりと盛られた塚が見えて来た。
おちよさんは「あれ、一里塚ですね」と言った。私は「おちよさんは、見たことあるんですか」と聞いた。「三嶋宿の近くの伏見村に行った時見ました。私がおとっつあんの処へ来たとき、ここを通ったと思うのですが覚えていません」と言った。
私は「そうだな、五歳の時じゃ忘れてまうよな」と言った。そう言うおちよさんの旅姿は、宿の服装とほぼ同じ、姐さん被りに小袖の着物に襷掛け、その上に袖のついた合羽をひっかけ、手には手甲、足には足袋の上に脚絆を着け、さらに菅笠と杖を持っていた。
暫く行くと道の両側に家が多くなってきた、時は辰の刻になった頃だろうか。まだ先は長い、夕暮れまでには宿に着きたいが。何せ、一度も通ったことのない街道だから勝手が分からない、と言って、おちよさんの足を考えると無理も出来ない。しかし、さすがにおちよさんは宿の娘だけあって、道中案内を持ってきていた。それにより、大体の道のりや宿の状況の把握はできた。
街道は相変わらず人や馬を引いた人の往来が続いていた。そんな中、下田側から二本差しの役人らしき男を真ん中にこちらに向かって歩いて来る一行があった。街道を歩いていた人々はそれに気づいて、道の端に避けて一行が前を通り過ぎるまでお辞儀をしていた。
私たちも、一行が近づいてきたので道の端に避けてお辞儀をした。私は頭を低くして菅笠で顔が見えないようにしていた。役人らしき男の先導の二人が通り過ぎて三人目の二本差しが私たちの前に来たとき、その足がひたと止まった。
その男は徐にこちらに向きを変えると「その方、面を上げろ」と言った。
おちよさんが顔を上げると、おちよさんを見て「お主、たしか伏見屋のちよであろう」と声をかけて来た。
私は頭を下げたままの姿勢で、その声が先日伏見屋から出て来た役人のものと同じことに気づいた。
第八話に続く
尚、本作は、歴史上の事実や伝承をベ
ースにしつつ、史料の「空白」の部分を作者の想像で埋めた歴史エンターテインメントです。史実とは異なる展開や独自の解釈が含まれますが、江戸時代の息遣いを感じる物語としてお楽しみいただければ幸いです。
