父との往復6時間。家族ゆえの「許せない」感情を、自分の中に閉じ込めないために
「ハイ、オーライ。オーライ」
青信号になるたび、あるいは右折や左折をするたび、助手席の父の大きな声が車内に響きます。たとえ車が来ていても、危ない状況でもお構いなし。その通りに動いたら事故になるような場面が何度もあり、私はハンドルを握りながら肝を冷やしていました。
この時、私を襲ったのは二つの疲労感でした。一つは延々と続く干渉への疲れ。そしてもう一つは、「この判断状況で、今もなお近場とはいえ運転を続けている父の『日常の危うさ』を突きつけられた恐怖」です。
先日、父を連れて地方裁判所まで、片道3時間の道のりを往復してきました。
「待てない」という老いと、2時間前の到着
今回の道中、特に私を翻弄したのは父の異常なまでの「せっかちさ」でした。 裁判所の時間は午後2時。余裕を持って出たはずなのに、父は朝9時から「準備ができたから行くぞ」と落ち着きません。
あと10分で着くという距離になっても、「こっちは遠回りだ」と1分も変わらない道順にまで口を出して急かしてくる。思わず、「2時間も前に着くんだから、何をそんなに急ぐ必要があるの?」と強い口調で言い返してしまった自分。30年以上のキャリアを持つ専門職であっても、実の親との密室では、冷静でいることは不可能です。
結局、予定より2時間も前に到着し、ただただ時間を潰すことになりました。「高齢者はこんなにも待てないものなのか」という驚きと、急かされ続けた後の虚しさが、どっと押し寄せた瞬間でした。
叔母たちの真心を踏みにじる、父の放言
裁判所には、祖父や伯父の年忌(法要)のために、これまで一生懸命動いてくれた叔母たちが待っていました。そんな彼女たちを前に、父はハッキリと言い放ったのです。
「自分が死んだら焼けば終わりでいい。親父や兄貴の年忌とかはどうでもいいんだ」
父自身の死生観に留まらず、故人への供養までも「どうでもいい」と全否定してしまった。その言葉に困惑する叔母たちの姿を見て、私は申し訳なくて、いたたまれなくて……。親族としての敬意さえ持とうとしない父を、本当に情けなく思いました。私が「せめて納骨堂で線香をあげたい」と願った気持ちさえ一蹴する父に、心の中で「だから、あなたは嫌われてしまうんだよ」と呟かずにはいられませんでした。
「悪口」で終わらせない葛藤
noteや音声配信を見聞きする人はごく少数とはいえ、実の父のこうした姿を発信することには、私自身、大きな葛藤があります。「これは悪口ではないか」「一種のハラスメントに近いのではないか」と、これまでも何度も思いました。
それでもあえて言葉にするのは、介護者がこうした「どす黒い感情」を一人で溜め込み、共倒れになることだけは防ぎたいと思うからです。これは父への攻撃ではなく、私自身が、そして同じ境遇にある皆さんが、自分自身を守るための対処法の共有であり「心の避難」でもあるんです。
高齢者の心理理解、家族だからこその距離感、個人の価値観の違いなど、共感できることもあれば、違いもあるからこそです。
溜め込まず、外へ逃がすことの重要性
もし今、行き場のない怒りやモヤモヤを抱えているなら、どうか自分の中に閉じ込めないでください。
誰かに聞いてもらう: 信頼できる人に、今の気持ちをそのまま話してみてください。
書き出す(ジャーナリング): タイミングが合わないときは、日記やスマホのメモに今の怒りを書き殴ってみてください。こうして配信するのではなく、書き出していくことで、客観視できる良さがあります。
文字として外に出すだけで、心にほんの少しの隙間が生まれます。今日、私もこうして発信することで、ようやく自分自身の呼吸を取り戻せています。
完璧な息子になろうと思わない自分。父を許せない自分。親子の「お互いさま」はどんなだろうかと考えながら・・・。
声で聴く:のんびり気ままなもとチャンネル
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