「自分以外全員他人」 西村亨 著 ちくま文庫
主人公の柳田譲は、生真面目な性格です。「人に迷惑をかけないようにしよう」、「人の役に立ちたい」と思って暮らしている、中年にさしかかった独身男性です。
彼は、マッサージ店で働いています。コロナにならないように、自分が知らないうちにコロナにかかっていてもお客様にうつさないようにきちんとマスクをしています。
しかし、そんな緊張したコロナ禍なのに予約なしマスクなしで店にやってくる女性客の林がどうしても許せませんでした。
そして彼は、「『いつもありがとうございます』とか『またお待ちしております』とか、思ってないのに言えない。最低限のマニュアルを口にするのが精一杯で、それすらも奥歯に物が挟まってるみたいにたどたどしくなってしまう。噓をつくのが気持ち悪い。噓をついてる人が気持ち悪い。(p.41)」と感じます。彼の信念が揺らぎ始めます。
「人の役に立ちたい、人から感謝されたい、そんな思いで始めた仕事だったはずなのに、なぜそんなことを思っていたのかすら、今はもう分からなくなっていた。(p.42)」という気持ちになっていきます。
「人の役に立ちたい」という言葉は、2000年代の初頭あたりから耳にするようになりました。当時、僕は大学で週2日臨床心理学を教えていたのですが、その関係で、大学生の入試面接に駆り出されるようになりました。臨床心理学科だけではなく、理学療法、作業療法、言語聴覚士、福祉関係などさまざまな学科の面接を担当しました。
その時、受験生たちが異口同音に「私は、人の役に立ちたいと思い、◯◯学科を志望しました」と言う意味のことを言うのです。僕は、「あぁ、誰かに『そう言え』と言われているんだな?」と思い、受験生たちがかわいそうになりました。
非難されるのを恐れずに言いますが、僕は、「人の役に立ちたい」って、嘘っぽいと思ったのです。
柳田は、母に自分は死にたいと言うことを伝えます。その時の母の答えが、「もしやるにしても私が死んでからにしてよ(p.73)」です。
母は続けます。
「子供に先立たれることがどれだけ辛いことか、あんたには分からないのよ(p.73)」
柳田は絶望的な気持ちになっただろうと思います。「死にたい」と本気で思うほど追い詰められていたのに、自分を差し置いて母親が被害者になってしまいまったからです。
母は自分の子供を愛していたのでしょうか?愛している自分に酔っていただけなのでしょうか?本当は「愛」とはどんなものか、知らなかったのではないのでしょうか?
柳田は、母をはじめとする周囲の人たちに反対され、付き合っていた夕子という女性と別れます。
その夕子について、柳田は、
「彼女のぎこちない笑顔が、私は好きだった。寂しげに澄んだ瞳も、起き抜けに両手で目をこする時の仕草も、誕生日にプレゼントを貰うことを知らなかったことも、人に何かをしてもらってもありがとうと言えなかったことも、食器を流しに溜めてしまう癖も、お菓子を食べながら楽しそうにテレビを観ている姿も。
そんな彼女が不幸になるのを見るのが、私は怖かった。自分なんかが幸せにできるなんて思えなかった。(p.76)」と言っています。
愛も幸せも、実は、ほんの些細なことの中に隠れているのではないのでしょうか?

