「野中広務 差別と権力」 魚住昭 著 講談社文庫
野中広務は、異色の政治家です。部落出身で親譲の資産も学歴もなく、57歳という歳で初めて代議士になりながら、影の総理と呼ばれるまでの権力者になり、総裁の座を狙える地位まで上りつめた人です。
「部落出身」という彼の出自は、彼の人生に影を落としますが、野中はそれに負けず、むしろそれをバネにしてのし上がっていきます。
部落とは、特定の職業(皮革加工、屠畜、刑場の仕事など)に従事する人々が住む社会のことです。彼らの仕事は、「ケガレ」と結びつけられました。中世の人々が、「病気や天変地異などの災いがケガレによって生じる(p.9)」と信じていたことから、差別が始まりました。
この全く理不尽な差別意識は、現代社会にも影を落としています。
この本によれば、野中は、そうした差別のある中でのし上がっていきました。
徹底的な情報収集により相手の弱点を的確に掴み敵を一気に祭り去るという、必殺仕掛け人のような人だったようです。自社さ連立政権と社会党の村山総理の誕生にも、自公の連立にも、加藤の乱にも、野中が中心的役割を果たします。
2001年に森喜朗内閣が退陣表明をした時、野中が時期総裁候補となり立候補すれば野中総裁誕生の可能性が高かったにも関わらず、野中は「私は自分が総理総裁の器でないことはよくわかっていた。私にふさわしいのはナンバー2で上の人間を助ける仕事である。(p.327)」と言って、出馬をしませんでした。
しかし、実は、こんなこともありました。
*****
自民党代議士の証言によると、総裁選に立候補した元経企庁長官の麻生太郎は党大会の前日に開かれた大勇会(河野グループ)の会合で野中の名前を挙げながら、 「あんな部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」 と言い放った。(p.328)
*****
こんな時代遅れの有力議員が当時の自民党にはたくさんいたのでしょう(今もいるのかもしれませんが)。
例え、野中が総裁選に出馬し総理総裁になったとしても、身内から足を救われることになったでしょう。
野中は、自身の引退前の最後の発言として、このことに触れています。
*****
「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」
野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。(p.334)
*****
そして、それから何年か経ち、麻生太郎は総理大臣になり1年で退陣しました。しかし、彼は、いまだに自民党内で強い影響力を持っています。
著者は、野中について、『もともと野中は元郵政省幹部が的確に指摘したように「潮目を見る」政治家であって、潮目をつくり出す政治家ではない。利害や思想の異なる集団同士の「調停」では突出した能力を発揮するが、かつての田中角栄のように大きなスケールで国家の将来像を創出する力はない。(p.304)』と言っています。
そうかもしれません。でも、その頃でも、今でも「田中角栄のように大きなスケールで国家の将来像を創出する力」がある政治家はいるのでしょうか?
むしろ、
「私は、いま日本は国の内外を問わず危険な道をひた走っていると思います。小泉総理や日本のマスコミは景気が良くなったとか言っていますが、絶対に! 良くなっておりません。今も一日百人の日本人が自分の意思で自らの命を絶っている。ホームレスや失業者が街にあふれています」
「イラクに自衛隊が行ったとき、犠牲者が出なければ日本人は気がついてくれません。正当防衛としてイラクの人を殺すことになる。日本は戦前の道をいま歩もうとしているのです。そこまで言われなければ気がつかないのかなあと思うと、一つの時代を生きてきた人間として本当に悲しくなります」(p.332)
と主張していた野中広務は、長期的で多角的な視点を持っていたのではないかと思います。
野中広務に、じっくりと「大きなスケールで国家の将来像」を考えてもらったら、どんなビジョンが出てきたか、聞いてみたかったです。

