他人に期待しすぎないことと関わりを分散させること
note4日目
なんとか三日坊主を脱却した、すばらしい
といっても書くことがポンポコ思いつくかどうかはまた別の話
そうやって今日も特に脈絡もない話を書いてみる
リハビリ期間とはそういうものだ
いきなり完璧なものを書こうとして筆が止まるくらいなら、何か適当でも書いてみたほうがいい
というわけで最近思うこと
親切心がいつのまにか「私をほめて」に変わっていく
昔から私は周りの人が喜ぶのを見るのが好きだ
というと偽善者っぽい気もするが、これは結局「喜んでいる=自分が役に立っている」と人に自分の評価を委ねているため
元々自己肯定感が地の底まで沈んでいた私は人からの評価を心のごはんにして生きていくしかなかったのだ
だからこそ人からの些細なほめ言葉にすっかり浮かれてしまうし、逆にちょっとしたネガティブなリアクションにめちゃくちゃ影響を受ける
さらに周りの雰囲気や空気管を感じやすい性格なので、特に負の感情は増幅される
何ともけったいな生き物である
で、そんな性格で生き続けているとだんだん周りに過度で勝手な期待をするようになる
例えば「私がこんだけ手伝ったんだから、きっとお礼を言ってくれるはず、何なら友人にも私の親切さを言ってくれるはず」とか
そして友人が何も言ってくれなかったら「なんで何もしてくれないの?こんなに自分は労力を割いたのに」とへこむし、勝手に恨む
こう書いてみるとなかなかヤバいやつである
だけどそう思いがちな性格であることも否定はできない
まぁその分、周りの人に何かをしてもらったとき、私はその恩をずっと覚えている
その意味では「人からの親切さをずっと忘れない人」と言えるのかもしれない
表裏一体だ
特定の居場所にこだわると執着が強くなる
本題に戻る
周りの人を手伝ったら「必ず」何か恩恵を受ける
この考え方が基本的によろしくない
ではなぜそう思ってしまうのか
あくまで個人的な考えだけど、自分が関わっている人や組織が集中しているからだと思う
ぶっちゃけた話、いろんな人と関わって、いろんな組織やコミュニティに参画してたら、個々でどんなことをしていたかなど覚えていない
一方で何か特定の人や組織にしか関わっていなかったら、必然的にその人、組織を考える時間は長くなる
そうして、だんだんと「こんなに自分は労力を割いているのに何で見てくれないの」と心がよからぬほうに向かっていく
仕事「だけ」に集中しすぎると職場の人に対して過度な期待を招くし、狭い人間関係の中「だけ」にいると、その人の一挙手一投足が気になる
それだったら弱くてもいいから複数の人や組織とつながっておいたほうがいい
noteのようなSNSもその一つ
直接コメントをしていくタイプじゃないけれど、タイムラインに流れた記事やフォローしている人の記事を何個か読んでいるだけで弱くつながっている
「なんとなく考えが似ているな」とか「こんな人がいるんだ」とか
あとは発信した記事にリアクションが来るとなんだかんだでうれしい
「誰かが読んでいる」ということが分かるからだ
※とはいっても、上で書いたような「私はこんなに時間かけて記事作ったのに何でリアクションくれないの!」という良からぬ方向にはさすがにいかぬ
そもそもそんな時間かけてないし
ということで今後も弱いつながりをネットや現実世界で作っていくのだろう
ただ、外に出るのが面倒だ、と思ってしまう自分が最大の問題である
これから暑くなるし、何とかラクにつながりたいものだ
