悲観的な思考のクセをどう使う?
私は余計なことばかり考える
しかもだいたい悪いことばかり
「さっきの会議であの人がこんなことを言ったのは私の発言がまずかったからだ」
「時間使って考えた計画だけど『こんなのうまくいかん』と一蹴されたらどうしよう」
まぁネガティブである
子どものころからずっとこんな感じ
よく「生まれたばかりの子は怖いもの知らず」と言われる
でも私は怖いものばかり知っている
先日の帰省で母親に聞いてみたら、赤ちゃんの頃から慎重派だったらしい
20代のころまで、このネガティブさが私の思考リソースを奪っていた
「こんなことしたらAさんにどう思われるかな」
「今Bさんが機嫌悪い(ように見える)のは、私が昨日あんなことを言ったからだ」
余計なことばかり考えて思考も行動も止まる
このネガティブシンキングと繊細さんの感受性の高さはとにかく相性が悪い
周りのちょっとした表情の変化、雰囲気の変化、声色の変化
全て悪いほうに捉えたうえに「全ての原因は私だ」と思うのである
まぁ面倒くさいやつである
だけど最近はこういった「自分はこう見られているはずだ」という謎の思い込みが減ってきた
原因はよくわからない
年齢を重ねたことで「そんなに周りは自分のことを見ていない」と自覚できたのかも
あとは周りを冷静に見る余裕が出てきたのかも
一方で悲観的な考えのクセ自体は変わらない
ただ、大きな変化はある
一つ目は「本当にこんなことが起こったらどう動くか」という建設的な考えになったこと
二つ目は自分と似てる人の考えをちゃんと聞けるようになったことだ
まず一つ目
計画を立てていると頭の中で色々とネガティブな出来事は浮かぶ
でもまぁ言ってしまえばリスク管理みたいなもの
本当に起こるのか、起こるとどれくらいヤバいのかを考えて対策が必要ならば対策を打つ
ネガティブだけど建設的、というのは自分の特徴だと思う
想像は悪い方へ悪い方へと行くけれど、それも物事を進めるうえでは重要な観点の一つだ
幸か不幸か転職していきなりプロジェクト事務局になった
そうなると広い観点でリスクを考える必要がある
そんなわけでネガティブな思考のクセも案外仕事に効いてくるのだ
で、二つ目である
自分と似てる人の気持ちが分かる、というか少なくとも話をちゃんと聞くことはできるというか
私自身の体感としてあるのが悩みを言った後に「そんなの考えすぎだよ」と言われること
いや、まぁ考えすぎなのは否めない
だけど自分の悩みを言うときくらいは聞いてほしいのだ
というか「考えすぎ」なことを自覚して治せるなら苦労しないのだ
意外と「考えすぎ」な人のお話をちゃんと聞いてくれる人は少ない
※個人の感想です
でもだからこそ、似たタイプの人の話を私自身がちゃんと聞こうと思えてきた
似てるからこそ、「あー、分かるわそれ」と思うことも多々
もちろん「わかってない」のに「わかる」というリスクもあって諸刃の剣なのだけど
ただ、ネガティブなことってなかなか人には言いにくい
だからこそ本当に分かってくれる人がいるととてもうれしい
だったら昔よりは心に余裕が出てきた私自身、ネガティブなクセを活かしてちゃんと人の話を聞こうと思ったのだ
まぁあまりにネガティブで、かつ建設的でもないと「もうええわ」と投げ出しちゃうけど
その点は修行が足りぬ
とにかく、ネガティブ思考も使いどころだと思う
思考のクセ自体はなかなか変わらない
かといって、自分の思考リソースをいたずらに消費するのももったいない
それだったらネガティブさも何かに活かせればと思うのだ
