うれしい話をしたのに、少し寂しくなった。
「これ、本当に楽しかったんだよね」
先日、うれしかった出来事を人に話した。
いつもより声が少し大きくなる。思い出しながら、自然と笑顔にもなる。
けれど、返ってきたのは、
「へえ、そうなんだ」
という短い言葉。
否定ではないし、聞き流されたわけでもない。
それなのに、胸の中に小さな「あれ?」が残る。
もう少し笑ってくれると思っていた。
「それ、いいね」と、一緒に喜んでくれる気もしていたのだ。
話す前まであれほど楽しかった出来事が、相手の反応を見た瞬間、少しだけ色を失ったように感じる。
こんな気持ちになるなら、言わないほうがよかったのだろうか。
会話が終わってからも、そんなことを考えてしまう。
気づけば、わたしの中で、
「へえ、そうなんだ」が、
「その程度の話なんだ」
に変わっていた。
相手は、そんなことを一言も言っていないのに。
うれしいことは、誰かに話すと大きくなる。
ずっと、そう思っている。
同じところで笑ってもらえた日は、うれしさが何倍にも膨らむ。
だから、話すことと一緒に、相手の反応まで待つようになっていた。
うれしい話をするとき、心の中には二つのボタンがあるように思う。
一つは、「この気持ちを伝えたい」。
もう一つは、「同じように喜んでほしい」。
わたしは気づかないまま、いつも二つを一緒に押している。
二つ目のボタンを強く押すほど、返ってきた反応で、話してよかったかどうかまで決めてしまう。
「それはうれしいね」
「すごいじゃん」
そんな言葉が返ってきて、初めて喜びが完成する。
心のどこかで、そう思っていたのだと思う。
でも、同じ話を聞いても、心が動く場所や温度は人によって違う。
短い返事だけで、興味がないとは決められない。
何より、相手の反応が想像と違っても、わたしがうれしかった事実までは変わらない。
反応が薄ければ、少し寂しい。
その気持ちは、無理になかったことにしなくていい。
ただ、「話さなければよかった」と、自分のうれしさまで引っ込める必要もない。
相手と同じ温度になれなくてもいい。
一緒に笑ってもらえたら、もちろんうれしい。
静かに聞いてもらうだけで終わる日があってもいい。
喜びを分けることと、同じ反応を求めることは、きっと少し違う。
あの会話には、今も少し寂しさが残っている。
もう少し一緒に喜んでほしかった。
今も、そう思う。
それでも、うれしかった出来事そのものを思い出せば、自然と笑顔になる。
返ってきた言葉が短くても、楽しかった一日は、楽しかったままでいい。
