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【オトナになることのうた】佐野元春 その2●「ぼくは大人になった」、でも<いつだって/じれったい>

いろいろお声がけしてもらったり、お仕事を振っていただいたりする日々。そんな中ではスケジュールというか都合がうまく合わない事案があったりで……残念ね。
うまくいくといいのにね。20年も生きてきたのにね~♪は「メイン・テーマ」。


えーと、雑誌『音楽と人』でベンジーの取材をしています。読んでくださいませ。今度のベストアルバムを起点に話をしながら、還暦を迎えた気持ちについてなどを聞いています。

そうそう、スーパーでパールライスを見かけるようになりました。とはいえ、数的にはまだまだですが。
近所の店では先週、5kgで3790円(税別)のがあって、購入。その数日後には同じようなのが3490円に。パールライスはJA全農の商品ですね。
それらには、今後旨い…じゃないわ、混合米と書いてあるので、おそらく放出された備蓄米が回ってきているのではと推察。普通に炊いたら硬めだったので、水を多くしています。そしてお米で大事なのは精米してからの日数で、収穫からそこそこ時間が経っていても、まあ問題なし。
ただ、さっきのような価格はほんの一部で、大半は5kgだと4000~5000円ぐらい。まったく、お米が贅沢品の時代が来るとは。農政は何をやってるのかね。仕切ってるのも、どうせお米を収穫することはおろか、研いだこともないような人らなんでしょう。


僕は在宅しているのが多いこともあり、食材の買い物にはよく行くので、値段には敏感なんです。この1年の急激な高騰で、いったい誰が儲けているんでしょうね。中間業者だと、よく言われてますが。

ではではそんな中、佐野元春の2回目です。

初期の佐野元春を捉えた映画『Film No Damage』


「ガラスのジェネレーション」(1980年)、そして歌詞の<つまらない大人にはなりたくない>という一節は、佐野の初期の作品においても、とりわけインパクトを残すものになった。この曲を出したデビュー初年の1980年から2作目『Heart Beat』(1981年)の時期は、楽曲がまだ多くの聴衆の元に届いてはいなかったものの、のちに彼というアーティストが知られていき、諸作品が浸透していく過程で、だんだんと認識されていったのだと思う。
80年代前半、日本の音楽シーンにおいて、佐野はそのぐらい重要な存在だった。


前回書き忘れたが、僕がそのデビューした年に佐野のことを意識したのは、沢田研二のアルバム『G.S.I LOVE YOU』に3曲を提供していたのがきっかけだった。といっても本アルバムのリリースは1980年の12月で、年が終わる直前だったのだが。
ここから1年ちょっとで、佐野はすっかり時の人となった。


その象徴であるヒットアルバム『SOMEDAY』(1982年)で世を席巻した佐野だが、1983年の春、彼は意を決してニューヨークに渡る。この詳細については、ここでは省かせてもらう。


その際に発表されたのがコンピレーションアルバムの『No Damage』、続いてドキュメンタリー映画の『Film No Damege』だった。
編集盤『No Damage』は佐野の入門編的な作品で、ここから彼の音楽の魅力に取りつかれたというファンも多かったはずである。


そして映画『Film No Damege』には、27歳当時の佐野の姿が収められていた。


以下のインタビューは、今からちょうど10年前に『Film No Damage』がデジタルリマスターされ、あらためて公開されたタイミングで行われたものだ。

インタビュアーは能地祐子氏(能地さん、お元気でしょうか~)で、この記事の中には「ガラスのジェネレーション」を軸にしながら、80年代初頭当時の佐野自身を振り返りながら、その頃の「大人」や「子供」への見方が語られている箇所がある。

まずはこのインタビューの(3)からの抜粋。

――私は頭悪い子だったんで、当時はきゃーきゃー言ってただけなんですけど。そのときに佐野さんの歌で聴いた言葉というのは、10年、20年、30年……じわじわ、何かあるたびに当時観たステージとか、たとえば「つまらない大人にはなりたくない」といったフレーズとかが思い出されて。歳をとって、自分が「つまらない大人」になったかどうかを考えさせられたり。何か、自分にとってのモノサシみたいなものを、80年代の佐野さんにもらったまま生きてきた感じがします。

初期の僕の作品にとっては、ラインがいろいろとありますよね。自分も覚えています。今、能地さんが指摘してくれたのは「ガラスのジェネレーション」、その最後のライン“つまらない大人にはなりたくない”。これは、まぁ、言ってみれば多感な世代のキッズたちに“武器”をもってもらいたかったんです。彼らにとってのいい武器であったらな、と。何に対しての武器かっていうと……大人、ですよね。

僕も小さいころよく、教師や親に怒られたんですね。自分がいくら間違ったことをしていなくても、大人たちから「だめ」って言われたらもう、ぐうの音も出ない。なぜならば、僕は言葉をもっていなかったから。大人たちはいっぱい言葉を知ってた。だから、言いくるめられちゃう。それが悔しかったんだな。で、ずいぶん早いうちから学校の図書館行っていろんな本を読んで、大人たちに負けないような言葉を覚えたり、知ったり。そんな子どもだった。なので、初期の僕のポップ・ソング、ロックン・ロールの中で、僕とおなじ思いをしたキッズたちにね、言葉がおぼつかないためにいつも大人からやられっぱなしの子どもたちにとっての“武器”をあげたかったんだよね。“つまらない大人にはなりたくない”、このラインは大人に投げつける最高の武器になったんじゃないかなと思いますね。


反抗の歌「ガラスのジェネレーション」は、子供たちが大人に対抗するための武器になる、そんな歌だった。佐野自身の認識である。

続いては、インタビュー(4)から。

――このフィルムを観ると、懐かしいのと同時に、今の自分は、30年前の自分が希望していたような大人にはなれなかったなぁという、ちょっとほろ苦い気持ちもよぎります。

ロックン・ロール・ソングやポップ・ソングは必ずしも、まぁ、ニュースのように事実ではないですから。やっぱりそこにはファンタジーがある。ファンタジーがあるから、人びとはそこに何かを求めて聴いてくれる。この構造は昔のポップ・ソングも、今のポップ・ソングも変わりはないと思うんだよね。で、たしかに、昔は“つまらない大人にはなりたくない”って思っていたのに、今の自分を見るとなんとなく“つまらない大人になっちゃったのかな”なんて思うひともいるのかもしれないけど。でも、それは当然のことだと思う。成長、ということですよね。でも、それに気づくということが素敵なことじゃないかなって僕は思いますね。ロックン・ロールやポップスができることは、そう大それたことではないけれども、都市で生活していて、とくに、多感なころから大人へと成長していくなかで、音楽が果たす役割っていうのは、昔も今も変わらずとても大きいのではないかと思います。


この取材が行われた2015年当時、佐野は58歳。語っているのは、つまらない大人になってしまったのは当然で、それは成長であり、しかもそれに気付くのは素敵なこと……という話。
ここには成熟した大人になった彼の視点があるように思う。

過去の自分におさらばするための「ぼくは大人になった」


先ほどのインタビューは2015年のものだが、この佐野の話を聞いて、そう意外だとは思わなかった。というのは、ここに至るまでの30年以上の時間の中で、彼は自分が大人になったことを自覚していると表明していたからだ。

その最たるものは楽曲「ぼくは大人になった」である。
1990年11月に出た7作目のオリジナルアルバム『Time Out!』の収録曲。翌1991年の4月にリカットという形でシングルになったナンバーだ。


ただ、この歌には、ちょっと読み取りきれないところもある。安直にこういう歌だ、と断定しにくい。
なにせ曲を聴いても、うーん元春、どこが大人になったんだい? という印象だって強いくらいである。

この曲について佐野は、2006年発表のベストアルバム『THE SINGLES EPIC YEARS 1980-2004』の「自身によるライナーノーツ」で、こんなふうに述べている。

(前略)
しかし当時の日本ではまだまだきらびやかで華麗なサウンドがもてはやされていた。僕には違和感があったけど、当時の日本はバブルの絶頂期だから仕方がなかったのかもしれない。僕は当時の流行のものとは真逆のアナログ・レコーディングを行った。


みんなが気に入ってくれた“ボーイ・ミーツ・ガール”の佐野元春とはおさらばさ。そのために「ぼくは大人になった」というシングルがふさわしいのではないかと半ばヤケ気味でシングル・カットしたのかもしれない。80年代にいろんなことを試し、新しいことに挑戦し、そのために邁進してきたことに対して少し疲れてしまっていた。この頃の僕の行動や思考には、自分で作り上げたもの、そのためにしてきた行為に対する徒労感が出ているような気がする。


ここでの「疲れてしまっていた」とか「徒労感が出ているような気がする」という表現は、やや意外な気もする。しかし考えてみれば、それもムリもない話だとも思う。
たしかに佐野はそれまでにあらゆるサウンドや音楽上の表現に挑んできた。ことに1984年の『VISITORS』は日本のロック史上に残る野心作にして傑作である。その後の2作も非常にクオリティが高く、作を重ねるごとに彼独自の表現へのアプローチを続けている事実が強く感じられる。


しかしこの歌「ぼくは大人になった」、そしてアルバム『Time Out!』はその流れから少し解放されて、自由な感覚で音を鳴らしているように思える。

「ぼくは大人になった」はそんなサウンドもさることながら、歌詞においても明確にこれ、と言えることが少ない。ここで佐野は、子供から成長して、卒業して、ついに大人になったとか、そういうふうには唄っていない。タイトルの<ぼくは大人になった>というようなフレーズも、それに準じたような言葉も、どこにもないのだ。
むしろ<くりかえしてる><いつだって/じれったい><震えが止まらない>という表現は、佐野自身の変わっていないところ……子供や少年の頃から抱えながら、大人の年齢になっても何ひとつ解消されない部分を告げているように感じられる。

さっきの本人の言葉からは、過去の自分のイメージや築いてきたものにとらわれてしまうことを忌避しようとした意識が読み取れる。さらに「半ばヤケ気味でシングル・カットしたのかもしれない」という言い方には、どこか勢い任せというか、捨て鉢気味な姿勢さえ匂う。

僕は思う。この曲は、歌詞にしても、そのニュアンスというより、タイトルを「ぼくは大人になった」と掲げることがポイントだったのではないだろうか、と。これによって佐野は、それまでの自分と今の自分とを切り離したかった。そんな気持ちがあったのではないだろうか。
だって歌の中での彼自身は、若い時分と大きくは変わっていないのだから。

ただし……大きく変わったわけではないものの、一方で確実に歳はとっていて、確実に過去の像ではない人間に、アーティストになろうとしている自分も存在している。
僕は佐野元春のことをつぶさに追っていたわけではないので、あまり無責任なことは言えない。しかしこの頃の彼には、そんな心情があったのではと推察する。


この1990年の秋の時点で、「ガラスのジェネレーション」を世に問うてからちょうど10年。佐野は34歳になっていた。押しも押されぬ大人の年齢になっていた。


<佐野元春 その3 に続く>


カフェ・ハイチ 新宿サブナード店にて
ハイチ風ドライカレー、
コーヒー付きで1540円。
ひさびさのハイチだけどこの店舗には初めまして、
その苦めの味わいのアダルト感たるや

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