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【オトナになることのうた】米津玄師 その3●少年時代の自分との対話、「ピースサイン」

ザ・ピロウズの解散が発表されました。驚きました。

残念です。だけど本当に長らく踏ん張ってきたバンドなので、相当な思いがあってのことなのはわかります。
これは夫婦や家族の間でもそうですが、バンドやグループ、ユニットだって、外からはわからないことがたくさんあります。だから僕は、その人たちがお別れするという結論に至ったことをどうこうは言いません。長い間ありがとう、お疲れさま。というところですね。
ピロウズは、僕も何度か取材してきました。ネット上に残ってる記事はこのあたりです。

次のインタビューでは、山中さわおが「今の30なんか若手だよね(笑)」と言っています。

ともかく、これからの3人が幸多いことを祈っています。

今週の自分は仕事のスケジュールがバッティングして、片方をキャンセルせざるをえない事態がありました。日程がこの前でも後でも、あるいは同じ日のうちでも数時間ズレれてればどっちもOKなのに、ピッタリぶつかっちゃったなあ、という。
まあ、そういうのがあらゆる人同士や場面ごとに、無数に発生し続けながらこの世は動いているわけですよね。ただ、かち合わなければ新しい出会いや何かが生まれた可能性があったと思うと、やっぱり惜しかったし、悔しかったわ。またいいめぐりあいがありますように。そして仕事を振ろうとしてくださった方には感謝しています。

最近観たライヴでは、ヘルシンキラムダクラブが良かった! 今度がますます楽しみなバンド!


それと昨夜はソニー系列で育成中のバンドが集うコンベンションライヴに行きました。若いバンドマンのみなさんに期待しています。


それでは米津さんの3回目。

「orion」--無知という青春を失った瞬間に大人になる


2016年に入り、僕は米津のライヴを観た。会場は、今ではなくなってしまったZepp Tokyoで、その時期の彼は大型フェスへの出演もすでに経験済み。本当に堂々としたパフォーマンスを見せてくれた。

そして米津はこの後、ソニーミュージックに移籍する。

その第1弾である「LOSER」はめちゃくちゃヒットして、街中やテレビなどで何度も聴いたのはもちろん、しばらくあとには中学校の行事でも耳にしたほどだった(教育の場でこの歌詞はいいのか、という懸念も少々)。少し前まで引きこもりだったようなアーティストがあそこまでポピュラーになる歌を書いて成功したことにはビックリするばかりだった。


自分たちの世代は、「LOSER」と言えばやはりBECKを連想する。その見方を通しても、米津というアーティストの特異なあり方をいっそう感じたものだった。


さて、2017年の初め。米津はホームページ内の日記に「記憶」と題したテーマでのテキストを掲載している。

「大人になりたい」と願うのは子供の専売特許で、大人にはひっくり返っても出せないもので、そういうものは美しい。願えば願うほど、背伸びすればするほど、どこか可愛らしく滑稽な自分が浮き彫りになってしまうことに当人は気がつかない。気がつかないからこそ大人になりたいと願うのであって、およそ大人と子供の境界線があるとするなら、無知という青春を失った瞬間に大人になってしまうのかもしれんですね。そういう類はどうしても不可逆なもので、一度失えば二度と手に入らないので仕方がない。あるいは絵や音楽や言葉で何かを表現するというのは、形骸化してしまったあのころの背伸びをホルマリンに漬けて保管しておく行為なのかもしれない。自分はどうだろう。考えるのをやめる。

これは部分的に抜粋したもので、ほかには自分が酔っぱらったことを書いていたりして、寂しがり屋のような側面を見せてもいる。

そして先の文章の「無知という青春を失った瞬間に大人になってしまうのかもしれんですね」という見方には、実体験が大きそうな匂いを感じる。何度かされている「背伸び」という言い方は、前回で取り上げた「雨の街路に夜光蟲」の歌詞にもあった。


2017年の米津は25歳から26歳になる段階。ダンスをしたり身体を鍛えたりで、かつて引きこもっていたとは思えないほど肉体性を高めていたようだ。

そして……彼はここまででも、子供の頃や少年時代、10代の時の気持ちを思い出し、反芻し続け、それと今の自分とを照らし合わせながら、どんな人間だったか、どんな人生を歩んできたのかを見つめ、作品を重ねてきた感がある(歌のテーマは、もちろん少年期や大人になることだけではないが)。
いずれにしてもこうした言葉たちからは、評価や人気が高まり、アーティストとしてかなり期待される存在になっても、心の中で自分への問いかけをひたすら続けている印象を受ける。

この日記のすぐあとに、2017年の最初のリリースとして届いたのが「orion」である。


この作品については、リアルサウンドのインタビューが秀逸だ。先ほどの日記で言及されていた内容と重なる言葉がある。


米津:やっぱり桐山零(※『3月のライオン』の主人公)くんですよね。彼自身がすごくヒリヒリしているし、どんどん深いところに潜っていく。その視点からじゃないと始まらないなと。彼が追求しているのは対戦相手のいる将棋で、こっちは音楽だから、少し形は違いますけど、共通しているものが確かにある。将棋盤の上の駒からいろんな可能性が広がっていて、そこからひとつひとつ、自分が思う美しいテーマを模索しながら進んでいく——将棋はまったくやったことがないのですが、そういう部分には心覚えがあります。零くんの心理と、自分に共通する部分が重く含まれているんだろうなって。

——音楽を作っていて、ある種、将棋の対局のようにヒリヒリする感覚は、10代の頃からありましたか?

米津:そうですね、むしろ何もわかっていなかった10代のほうがあったと思います。もちろん、今でもわかっていないことなんて腐るほどありますが、やりたいこととか、やらなきゃいけないことがあって、当時はそれがうまくできない自分に対して絶望を抱くこともあったし、だからこそ、音楽に深くのめり込んでいくことになった。それはきっと零くんも同じで、自分の資質や周囲の環境に苛まれながら、もがき苦しんでいて、だからこそどんどん将棋にのめり込んでいくんです。

 10代の頃と比べると、今は俺も25になって、生きることがうまくなってきたと思います。まだ全然ムチャクチャなところもあるけれど、表向きな顔を作って、何かをいなすということは、昔からするとものすごく上手くなった。そして、それによって死んでしまうものというのは、確かにあるなと思っていて。10代の青春という状態を経て、みんな大人になるわけで、通過したらなくなってしまうこと自体は、別にそれでいいんです。でも、自分のなかにはまだ、子どもの頃の自分がものすごく強くいて、子どもの頃の自分にお伺いを立てながら音楽を作っている、という感じがあるんですね。

——子どもの頃のご自身との対話というのは、とても面白いですね。

米津:25歳の俺が「こんな感じでどうですか」と言うと、「今のお前は好きなのかもしれんけど、12歳の俺はそんな好きじゃねえ」って言われたりするんですよ。少なくとも自分にとって、音楽を作るというのは、“ヒリヒリしていた青春期の自分を形に残す”ということなのかなって、最近になっていろいろと思うようになりました。

——なるほど。確かに「orion」という曲は、米津さんが持っているいろいろな世界のなかでも、すごく純化されたものが込められていて、10代のリスナーにも響く曲になっていると思います。米津さんの青春性が凝縮されているというかーー。

米津:まず冬の曲を作ろうと考えて、自分のなかで冬のイメージを広げると、小学生の時に、ふと見上げた星空が浮かんだんです。冬の空は澄んでいるから、星がきれいに見える。そうして見上げると、星が3つつながっていて、「あれはもしかしたら、オリオン座じゃないか」と思ったんです。それが人生で初めて、星座というものを自分の力で見つけた瞬間だったんですよね。そのことにいたく衝撃を受けた記憶が強く残っていて。これも、子どもの頃の自分に誠実にものを作る、という部分が出てきたんだなと思います。


非常に興味深い対話が続いている。米津にとって、幼い頃、子供の頃の原風景や体験がかなり大きいもので、それが作品の世界に深く根付いているのがわかる。

先の日記の言い方にしてみると、青春までが無知。それ以後は、知っていくこと、わかっていくことが重なっていく。それゆえに大人になれるし、なっていくし、子供ではなくなっていく。そういうところだろうか。

同じ記事の後半も、さらに引用する。

——「ララバイさよなら」というタイトルはストレートです。

米津:そうですね。自分がそもそもすごく皮肉屋な部分があるんで、そういうところがよく出たタイトルだなと思います。

——皮肉や毒という、何かに対する怒りのような感情は、10代の頃から変わらず自分のなかにあるという感覚ですか? それとも、やはり少しずつ変わってきているのか。

米津:どうでしょうね、それも昔に比べたらなくなったかもしれません。昔はもっと皮肉屋でした。皮肉を言うのは、いろんなものに期待しているからなんですね。期待していなければ、皮肉を言う必要もない。皮肉というのは「自分を愛してほしい」ということの裏返しで、そういう部分は昔のほうがものすごく強かったです。

(中略)

米津:自分がまともだった瞬間はもう過ぎ去ってしまったんじゃないか、という感覚ですよね(笑)。今も25歳なりの青春なんだろうけれど、10代の頃の青春とは違う。『ベンジャミン・バトン』って映画、ご存じですか?

——はい、80歳の状態で生まれた男が、年をとるごとに若返っていく。

米津:そうそう。ある女の子と恋愛関係になっていくんだけど、二人が年齢的にクロスするのは一瞬で、その後はもう過ぎ去っていくばかり。それと同じように、俺にとってのまともな時間って、もう遠くに過ぎ去っているのではないか、と思ったりします。

——そういう感覚のなかで作った音楽が、不思議な明るさ、抜け感を持っているのがおもしろいと思います。

米津:結局、そういうことを思いつつも、自分の中にいる子どものころの自分を“信仰”しているから、救われるんです。あまりにも毎日がつまらないから(笑)、この子に救ってほしい、と思った。だったら、希望に満ちあふれているあの頃の自分に対して恥じないような音楽を作るべきであって、ワーワー言うててもしょうがないな、と。


自分の中にいる子供の頃の自分を“信仰”している、とは。
これは信仰というか、米津が世界を、人生を、生きる上でのさまざまな価値観や思考を捉えるにあたり、その「子供の頃の自分」が何らかの絶対的な基準になっているということではないだろうか。少年時代の自分の感覚、というか。
そしてこの時期の彼は、それから遠ざかっていく、大人になっていく自分を強く感じていた。そういうことではないだろうか。

“少年ジャンプみたいな歌”「ピースサイン」、そして米津における少年性について


続いて2017年の6月、米津はニューシングル「ピースサイン」をリリース。
カップリング曲の「Neighbourhood」ともども、彼の中の少年性が深く関わっているシングルである。


「ピースサイン」は、アニメ『僕のヒーローアカデミア』のテーマソングとなった。

――原作については、どの点に惹かれて読んでいたんですか?

米津:そもそも(同作が連載している)『週刊少年ジャンプ』が好きで、小学生くらいからずっと読んでいるんです。『NARUTO -ナルト-』や『ONE PIECE』みたいな、王道の少年マンガは、自分のルーツでもあって。『僕のヒーローアカデミア』はそういう作品の血を受け継いでいるというか、王道を担っていこうという気概のある作品だと勝手に思っていて、そこに共感するというか。

――少年ジャンプの王道といえば、「友情・努力・勝利」ですね。そういうものは、米津さんの作品に直接的に表現されているというより、エッセンスとしてより深いところに入っている、という感じでしょうか。

米津:自分としては少年ジャンプみたいな音楽を作りたい、と思っていて、それは昔から一貫しているんです。ただ、いまとなってはよくわかるのが、そういうふうに受け止められていなかったんだろうなと。印象に残っている話として、『diorama』を作り終わったあとのタイミングで、「お前の音楽は、マンガで言うと『アフタヌーン』だな」と言われたことがあって。自分が捉えている自分の音楽と、外から見える自分の音楽には、そういう誤差があるんだな、というのを初めて知った経験でした。

――今回の楽曲は、もう一度そういう少年・少女たちに歌いかけるように作ったのかな、という気がしました。

米津:そうですね。昔の自分に向けて歌っている曲です。昔から、少年マンガを原作にしたアニメの主題歌が好きで、なかでも一番強く印象に残っているのが『デジモンアドベンチャー』という作品なんですよね。うちらの世代でアニメの話をすると必ず出てくる、金字塔的な作品で、その主題歌が「Butter-Fly」(2001年/和田光司)という曲だった。王道ロックテイストの曲で、すごくエモーショナルで、自分のなかに深く根付いていて、人格形成にもすごく影響を及ぼしていると思う。当然、自分が今回のような作品の主題歌を作るというときに無視して通れないし、それくらい強いものを作りたかったんです。

――なるほど。米津さんにとっては、『デジモンアドベンチャー』という作品と「Butter-Fly」という楽曲が不可分なものになっているんですね。今回の制作においても、作品の内容を踏まえて歌詞を書いていった部分があるのでしょうか。

米津:そうですね。昔の自分とともに、『ヒーローアカデミア』の登場人物、主人公のデクくん(緑谷出久)とか、かっちゃん(爆豪勝己)とか、そういう子たちとの対話というか、リンクしている部分を探していく感覚で。これは『3月のライオン』のときもそうでした。

――“対話”するときの米津さんは、子ども時代に戻った米津さんですか、それとも今の大人になった米津さんですか。

米津:大人の自分、ですね。自分のなかに、大人になった自分と子どものころの自分が両方いて、例えば12歳の自分に対して、26歳の自分が「こういう曲ができたんだけど、どう?」って提示する。それで、「26歳のお前はいいのかもしれないけど、12歳の俺はそんなにいいと思わないよ」と言われたり。

米津:最初に冒頭の4行ができて。<いつか僕らの上をすれすれに 通り過ぎてったあの飛行機を 不思議なくらいに覚えてる 意味もないのに なぜか>って、これは実際に経験した出来事なんですよね。子どものころ、本当にうるさいジェットのエンジン音が聞こえて、パッと見たら、飛行機がすげえ近いところを通っていて。「orion」のパッと見上げたらオリオン座が見えた、というのと似たような経験なんですけど、そういうふうに、なんでもないのにすごく記憶に残っている映像ってあるじゃないですか。そこに意味を探しても、納得のいく答えが浮かび上がりそうもないくらい、どうでもいいような記憶。でも、26歳の自分が客観的に眺めてみると、あらためて印象的な光景だなと思うんですよ。スレスレを飛んでいく飛行機を下から見上げている少年、という構図自体に、すごく意味があるような気がしてくる。そこから始まって、本当にマンガを描いていくような気持ちで歌詞を書いていきました。

――明確に物語ができているわけですね。

米津:<さらば掲げろピースサイン 転がっていくストーリーを>というサビのフレーズが重要で、最後に印象的な言葉を持ってきたいと思ったんです。マンガだとしたら、最初のコマには飛行機が飛んでいて、それを見上げる少年……というふうにコマが流れていって、最終的に、サビの一番最後のところで、見開き2ページでピースサインを掲げる少年の後ろ姿がドーーン!と。そのイメージを言葉にし直していったら、こういう歌詞になった感じです。映像から音楽を作る、というのは毎回やっていますが、ここまでマンガというプランに基づいて作ったのは初めてですね。

たしかに少年マンガ雑誌……とくに『ジャンプ』などは少年性の集積のように感じる。
もっともそれも、今ではどうだろう。僕の推察だが、現在、タイトルに「少年」という言葉が入っているマンガ誌でも、実際の購買層は少年世代ではないと感じることが多い。と言っても今の自分はその手の雑誌をまったく読んでいないのだが……表紙やグラビアを飾るアイドルたちの年齢がけっこう上であること、それに連載マンガの中身も、かつてほど無邪気でまっすぐではない作品が多いことが、そんなふうに思わせる。今の10代が、街中で少年マンガ雑誌を持ち歩いているような光景は、昔ほど見ないし。

さて、さらにリアルサウンドの記事を。ここではカップリングの「Neighbourhood」にもしっかり触れている。

「Neighbourhood」は<お前が許せるくらいの 大人になれたかな>という一節が心に残る曲である。

――さて、子ども時代の自分との対話、という意味では、カップリングの「Neighbourhood」に、より純化した形で現れていると思います。

米津:そうですね。「ピースサイン」で対話しているのが、マンガやアニメに一喜一憂して、ワクワクしたり、悲しんだりしながら生きている自分だとすれば、「Neighbourhood」はそれとは違う、もっと日々の生活に近い部分での子どものころの自分というか。

――<煙草の煙で満ちた 白い食卓だ>というフレーズが印象的でした。“白い”というクリーンなイメージのある言葉が、別の意味で表現されていて。

米津:これ実話なんですよね。学校から帰ってきて、居間の扉をバッと開けると、真っ白なんです。“白い食卓”としか形容しようがない。

――そういうリアリティが反映していると。<耳に残るバーバラアレン>のバーバラアレンというのは、スコットランドの民謡ですね。

米津:そうですね。徳島から出てきて初めて知った曲でもあるんですけど、僕はジュディ・コリンズのバーバラアレンがめちゃくちゃ好きで。「蛍の光」などもそうですが、スコットランド民謡って、すごく郷愁を感じるじゃないですか。故郷も「しょうもない場所だったなあ」と思う反面、思い出というのは年をとるほどまやかしに包まれていって、苦しかった出来事は削ぎ落とされていく。クソみたいな環境だったけど、それはそれでよかったんじゃないか、友だちと遊んだり、幸せを感じた出来事もあっただろうと。そういうものだけを抽出して夢に見たり、あのころの友だち、何しているかなと思ったり。そういう郷愁というのは、重要なテーマでした。

――ネットでボーカロイドを使った音楽を発表していたときは、小学生や中学生に向けて作っていたのに、自分で歌うだけで違うものに捉えられて、という話もありました。米津さん自身は子どもたちにも、大人にも刺さる曲を作ってきたと思うのですが、「誰に向かって歌うか」というときに、いまはやっぱり10代の子たちを大切にしたい、という思いが戻ってきているのでしょうか?

米津:それもまた、愛憎入り乱れる、みたいな話で、自分のなかにはいろんな自分がいるなあと思うんです。10代の子どもたちの感性が好きな自分もいるし、その反対にいる大人たちに向けて音楽を作りたいと思う自分もいる。「もう10代に向けて作んなくてもいいよ」と思う瞬間もあるし、日々のバイオリズムで全然違うんです。自分はそれを別に隠そうとは思わないし、気分に振り回されながら右往左往してるところが、音楽にも現れているなと。『Bremen』以降、自分がやってきたことを振り返ってみると「すげえ支離滅裂だなぁ」と思う瞬間もあって、客観的に見るとそう思われても仕方がない。そこで、自分って一体何なのか、と考えたときに、最後に残るのはやっぱり、「普遍的なものを作りたい」ということなんだろうなと思うんです。誰かを愛したいとか、友だちとずっと一緒にいたいとか、そういうことって、国籍人種関係なく、誰しも思い描くものじゃないですか。そういうものをちゃんと射貫きたいという思いはすごく強くて。


以上は、いま僕も書かせてもらっているリアルサウンドの当時の記事からの引用だ。インタビュアーはその代表である神谷弘一さんで、【オトナになることのうた】的な視点からすると、どれも非常に示唆に富んだ、読み応えのある内容になっている。神谷さん、すごくいいです(お会いしたことないけど。しかも、この取材から何年も経った今になって)。

そんなわけで、記事からの引用が多くて、申し訳なかった。が……。

26歳になった米津は、こうした対話の内容にもかなり深みが出ていて、うなづける話も多い。見方を変えれば、それだけ何度も内省しながら自分自身を成長させてきたアーティストではないかと思う。
また、そこで自分だけの世界に閉じこもらず、この時期はライヴをやってメンバーたちと触れ合ったり、あるいはいくつものコラボを経験したりして、何かを他者とともに作り上げていく修練を積んできたはずだ。
米津はこうして数々の作品を残し、ヒットさせていった。このあたりから彼の動きは日本中、いや、国境を越えて、世界中のファンが注目し、待望するようになっていく。

そのひとつがDAOKOとの「打上花火」だった。


この歌の<あと何度>という言葉には、主人公が物事の終わりを見据えていることを感じる。そこでのイノセンスが、せつない。

そして次に待っていたのは、菅田将暉との邂逅だった。
その歌は、「灰色と青」。


心象風景をストレートに描いたようなこの歌のことも含め、米津は菅田の『オールナイトニッポン』に出演した際に、こんな会話をしている。

菅田は、「嬉しかったのが、酔っぱらいながらも本音だと思ったのが、ビートたけしさんの映画が好きとか、ちっちゃい頃とかにあった熱量とか、今は変わってしまったのかもしれないっていうものを表現したい、って言ってくれたときに、僕も16歳で上京してるから、部活とかを途中で辞めた人間としては、あの頃の続きがやっとできるのかなっていうことは感じた」と語る。

「あの曲は、そもそも『キッズ・リターン』ていう北野武さんの映画があって、高校生ふたり組が、お互いがお互いの道を選びながら進んで行って、最終的にふたりともダメになっちゃって、冒頭の校庭に戻るっていう映画なんだけれども、そういう音楽をどっかで作りたいなってずっと思ってて。それは、どこなんだろう、いつなんだろう、どういうかたちなんだろうっていうのをずっと思っていて。それが2017年になって、菅田将暉っていう人間が、なんか気がついたら脳裏にちらつく、度々出会う、この人は一体なんなんだっていう。自分は音楽家であって、菅田くんは俳優であって、全然表現方法は違うけれども、俺が勝手に思い込んでるだけなんだけど、なんかどっかで共通してる部分があるんじゃないかなっていう思いが、どうも頭の中から離れないな……気づいたら、『あ、これは曲になる! 今だ!』って思って、バッてつくって、バッてかたちになったら、ああいう曲になったっていう」と、米津は熱く語った。

「このアルバムは、今までの中で一番幅が広いというか、頭の中で昔の自分と対話をしながら作ることが多くて、小学生とか中学生の自分と今の26歳の自分で対話しながらあれこれ作って、小学生の頃の自分に従ってつくった曲もあれば、今の自分しかわからないような音楽も入ってて、ものすごい幅があって。だから、すごいいびつなアルバムになったなって自分では思ってて。でも通して聴くとものすごく美しいアルバムになったなと思ってるんで」と、ニューアルバム『BOOTLEG』に込めた思いを語り、番組を後にした。

2017年11月1日 、米津は4作目のアルバム『BOOTLEG』をリリース。それまででもすでにメジャーなアーティストとして認知されていたが、彼はこの作品の大ヒットによってその座を確かなものにした。


今回はこうして『BOOTLEG』までを書いてきた。が……それにしても、ここまでの米津による自身の少年時代への強い意識には、すさまじいエネルギーというか、執着を感じる。自分の奥底に今もある大切なものを裏切りたくない、あざむきたくない。そのぐらいの思いを寄せているのがわかる。

そして、思ったことがある。

僕はこの【オトナになることのうた】を始めたばかりの頃(といっても数ヵ月前だが)、山下達郎の、自らの少年性への執着について書いた。彼が30代から始めたその追求は、決してたくさんの作品で表されたわけではないものの、20年以上にわたってこのアーティストの歌における重要なテーマのひとつとなっていった。

とくに、達郎の<その3>で書いたように、僕はそうした少年性というものの正体が何なのかについては結論を出さず、棚上げにしている。

今はこうして米津玄師の歌の世界を旅していて、僕には再び、この命題が視界に入ってきている。
いや、達郎と米津、それぞれが歌を通じて表現しようとしていることが共通しているとは思っていない。近いとも、似ているとも、考えてはいない。
ただ、とくに男が、大人に……なったと言ってもいいような、いわば大の大人がこうしてこだわり続ける少年時代の感受性や価値観とは何なのか。彼の思い出や記憶、それらが自身に植え付けたもの。逆に、怖がらせたものとは? などなど……。それらが人格形成に与えた影響は、おそらく相当に大きいはず。

少年性とは、何なのか。いいものなのか、キレイなものなのか。そうではないのか。
ただ、米津が描くそれは、先ほど書いたように、彼にとって絶対的に重要な存在で、純度が高いものであると思う。
でも、この場合の純度は、「キレイ」という意味ではない。そのまんま、子供の頃のまんまの、もしかしたらタチの悪いものかもしれない。しかも、どことなく、トラウマ的な部分もあるように思えてならないのだ。

米津玄師、一筋縄ではいかないアーティスト。そそられる。非常に魅力的な存在である。

<米津玄師 その4 に続く>


とんかつ さくたろう 神楽坂店にて、
ランチの熟成豚らっきーとーん
ロースかつ定食150g、980円。
この界隈ではめちゃリーズナブルで、
塩でもソースでもおいしい!
ここでは、同じランチでも
もっと上のグレードのものを
食するべきであろうと思いました

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