【オトナになることのうた】THE YELLOW MONKEY その1●大人になって老ける前に「楽園」へ
んとですね、疲れましたわ。今月ここまでは。
なんだか例年の年末進行と違う感じがあってですね。ただ、どの仕事もなんとかセーフの状態で進んでるようで、良かった良かった。
編集者および編集担当のみなさん、ありがとうございます。
それにしてもクリスマスのことを、なぜか昔はメリー苦しみマスというギャグか何かわからない言い方があったですね。あれは何だったんでしょう。そんなどうでもいいこと書いてしまうくらいポワンちゃんな青木です。愛ある限り戦いましょう。それはポワトリン。
今週はアジカンを観て来ました。バンドは最高だし、ライヴハウスの熱気たっぷりだしで、いい夜だった。
で、いまアジカンと言えば「リライト」をフィーチャーしたM-1(日曜開催)とのコラボビデオが異常に熱い。です。
そうだ、サザンオールスターズの公式ページで、このバンドの全アルバムレビュー企画が始まってました。僕は2枚目のアルバム『10ナンバーズ・からっと』の<もしもレビュー>で参加しています。だいぶ前にアップされてたんですが、ぜひご一読を~。
で、サザンは今日から書くバンドと、(ほんの)多少のつながりがあってですね。
THE YELLOW MONKEY(以下、時々イエモン)です。
サザンとイエモンってとくに関係はないんじゃ?と思う方も多いでしょう。実はこの9月、ひたちなかでのROCK IN JAPANで少しだけ共演しました。となると、この日の全バンドが共演したことになりますが(笑)……つまりトリのサザンのアンコール、「勝手にシンドバッド」でその日の出演アクトが出てきて、全員で一緒に盛り上がったんですね。もちろんイエモンのメンバーたちもいて、吉井和哉さんは桑田佳祐さんに肩を組まれたり、曲を終わらせる合図をするよう指示されたりしていました。
で、翻ること、その日の昼過ぎには、同フェスのバックヤードでイエモンの4人がサザンの楽屋まであいさつに行って、吉井さんと桑田さんは会話をしたようで。
そしてイエモンの演奏中、吉井さんがMCで、アマチュア時代に初めて組んだバンド(バイト先仲間の遊びのような感じだった模様)でサザンの曲をコピーした話を明かしていたんです。
だからその話の直後にイエモンが演奏した「JAM」を聴きながら、この歌にはサザンの影響があるのか?なんて思いを巡らせながら観ました。
そんな感じで、自分は最近、イエモンの昔と今について調べたり考えたりライヴを観たりしています。
ただ、それとまったく別に、この【オトナになることのうた】でもイエモンの曲については取り上げようと思っていました。
彼らは来週、12月28日に恒例の武道館公演が控えていて、そのライヴビューイングが全国で行われますね。
では。
「JAM」「SPARK」を大ヒットさせた1996年
THE YELLOW MONKEYについては、この【 #オトナになることのうた 】の前身となる【 #年齢のうた 】でも紹介している。バンドの楽曲で2回取り上げたし、その前にはヴォーカリストでありメインのソングライターの吉井和哉のソロ曲についても2回ほど。
ちなみに上のリンクにある「フリージアの少年」の回は、今年の僕のnoteで最も読まれ、最もいいねをもらった記事となった。読んでくださったみなさんにはお礼を申し上げる。本当にありがとうございます。

そんなわけでここではだいぶ常連ぽいバンドだが、彼らには大人になることを唄った歌もある。
そのひとつが、「楽園」である。
「楽園」がリリースされたのは1996年の後半。当時のファンハウス(現在のソニーミュージック・レーベルズ内のアリオラ)に移籍してからの第1弾シングルである。バンドにとっては、通算で11枚目のシングル。
この頃、彼らはすでに大人気バンドだった。僕は日本コロムビア/TRIADの時代からこのバンドのライヴを観ていて、会場の規模や本数が大きくなっていくのを感じていた。
TRIADにはザ・コレクターズやピチカート・ファイヴ、1996年にはミッシェル・ガン・エレファントなど自分に近いバンドがいくつか在籍していて、それもあってレーベルのスタッフたちとよく話をしたり、時に飲んだりをしていた。
そんなアーティストたちの中でも、THE YELLOW MONKEYの人気は断トツだった。あのカルトな趣向を持つバンドがあそこまでデカくなるんだ、と驚きながら見つめていたものだ。
そのカルト・バンドの風向きが変わったのを感じたのは、1995年1月のシングル「LOVE COMMNICATION」だった。いや、バンド自らが風向きを変えた、のだ。それができる人たちだったということである。
やがて1996年の後半に決まったファンハウスへの移籍。僕はこの仕事を始めてまだ数年だったが、ちょうどその頃、彼らに限らず、アーティストがレーベルを移籍するのをよく見るようになった。そうした別れは、きっとレーベルのスタッフにとって寂しいことも多いのだろうなと思ったりしたものだ。
船出する思いを唄った「楽園」
今回、「楽園」に関する当時のメンバーたち、とくに吉井のインタビューや発言をいくつか探して、読んでみた。事実関係をちょっとだけ振り返っておく。
まず、1996年の序盤、まだTRIAD在籍中。発売までにはすったもんだがあったが、結果的にTHE YELLOW MONKEYが世間に広く認められることになるシングル「JAM」がリリースされ、これが大ヒットを記録。
このあとバンドはTRIADのディレクターから次のシングル曲の候補を求められ、吉井は「SPARK」と「楽園」を提出したが、「楽園」のほうは地味だという意見を受けたとのことだ。そのため同レーベルにおける最後のシングルに選ばれたのは「SPARK」のほうで、これもヒットする。
以後は、ファンハウスに移ってからの話になる。
新天地となるこのレーベルからの最初の楽曲「楽園」の歌詞には、その時の心理が表れているという。
また、この歌は、最初は覚醒剤についての歌にしようと思っていたこと。直後に取りかかったアルバム『SICKS』は吉井自身が思う通りに作ることができたこと。などなどが、当時語られている。
ただ、今の僕が関心を持つテーマからすると、もう28年も前になるそれらの活字の中には芯を食った話が見つけられなかった。そのため、自分の考えを述べることにする。
「楽園」という曲は、新しい場所へ、楽園へ行こうと唄う、スケールのデカいロック・ナンバーだ。船出についての、より大きな海へ乗り出そうとする表現が、野心を表現している。
今までの環境、それまで関係のあった人たち。そこから離れていく、旅立っていく自分。主人公が直面しているのは、そうした別れと、新しい土地での新たな出会いへの期待感だ。そこには、いくばくかの不安感も、おそらく。
そして一番のサビの最後に、こんな言葉が出てくる。
<いつか僕らも大人になり老けていく/MAKE YOU FREE 永久に碧く>
いつしか自分たちが大人になって、老けていくこと。
その一方で、君自身も自由になって。それも永久に、碧く……ずっと青いままで、ということか。
となると<YOU>の対象は、別れることになった人たちなのだろうか。
ここで吉井が唄っている内容で、推察できる点がある。
まず、現在の自分たちはまだ大人ではなく、まだ老けてはいない、(しかしいずれはそうなっていく)という心理だ。
この裏側には……チャレンジできる、トライできる、やりたいことが自由にできるのは今のうちじゃないのか。そうだろう?
そんな気持ちがあるように思うのだ。
思えば「楽園」が発表された1996年11月は、吉井が30歳になったタイミング。彼が20代の最後のあたりで書いた歌だと言い換えても良さそうだ。
今の自分たちと、これからの自分たち。このどちらも見つめながら、僕は大海に出ていくよ、という気持ちを唄っているように感じる。
そうしてみると、ここには29歳だからこその気持ちがあると思える。そろそろ、もう若いとは言えなくなってきている年齢。だけど、大人というには、まだまだだ。だったら今は挑戦するほうに……新しい楽園を目指して、ここから出ていくほうにベットしたい。そうした思いではないだろうか。
そんなふうに、僕は思った。
人間って、周りから大人だと思われるような年頃になってくると、思い切った判断、決断は、なかなかしづらくなるものじゃないだろうか。というのは、長く生きていれば、それだけ責任や義務が増え、背負うものが大きくなる。だから大胆な決心をしたり、若い頃ほど思い切りがつかなくなっていたりする。
それでも、ここで船出を決意した。
「楽園」の歌詞ではそこまでは描写されてはいないが、背景を裏読みすれば、そんなところではないだろうか。
そうしてみると、1996年当時の彼らのリアルな気持ちが描写されていると思う。
こうして彼らは「楽園」もビッグヒットさせたあと、1997年の年明けに待望のアルバム『SICKS』をリリース。
THE YELLOW MONKEYは、ここで絶頂期を迎えた。
<THE YELLOW MONKEY その2 に続く>

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