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【オトナになることのうた】斉藤和義 その4●大人の像が複雑な色合いで浮かぶ『45 STONES』

このところは野鳥の鳴き声に敏感になっています。しかし、しょんぼりです。何かと連敗が続いていて……お~いお茶も、バイトルも負け。涙。
意味わからんですね。すみません。
しかし詳細は言いますまい。古い言い方。

巷では冬の五輪が連日ニュースになってますな。僕はそんな詳しくないし、とくに肩入れもしてないけど、うちはカミさんが国際試合が好きでして、情報がどんどん入るんです。

ドナ・サマーの曲を使った選手がいたことも知っています。フィギュアのアリサ・リウ選手でした。金メダルおめでとう。
原宿でヘアカットモデルになったことのある人だそうで。


わたくしの近況としては、原稿を書いたり、ちよだ猫まつりに行ったり、ぐらいですね。

そうか、2月22日、にゃんにゃんにゃんの日が目前なのか。
わが家もみんなネコ好きです。あ、犬も好きよ。

では、やはりネコ好きで知られる斉藤和義についての4回目です。

『45 STONES』に込められた45歳時点のリアル


前回までも触れているが、斉藤和義は2010年4月発売のシングル「ずっと好きだった」をヒットさせる。このCDシングルは、彼のキャリアの中でも屈指のセールスを残した。

同じ年にはアルバム『ARE YOU READY?』をリリース。これ以前から安定的に高い売り上げを出すようになっていた彼においても、非常にいい時期を迎えていた。

しかし、明けて2011年。3月11日に東日本大震災が起きてしまう。この大きな災害は、世間のあらゆる常識や通年までも変えていった。

当時を思い出せば、東北を中心に、津波が日常生活を奪ったこと。またその後には原発事故が引き起こした放射能汚染の恐怖、さらに電力不足の不安など、この春はあまりに異例の事態が続いていった。この時を経験している人なら、その複雑な状況については、おそらく記憶の中にあると思う。

音楽界でもリリース予定の作品が延期になったり、とくに春先のライヴやツアーが延期、もしくは中止になったりした。ミュージシャンや関係者の間からは、東北に物資を送ったり、支援活動に参加したりという動きが起こった。
その時、斉藤和義は何をしていたかというと、生配信を始めていた。この時期、配信のためのツールとして一般化していたUSTREAMを介して、クローズドなライヴを敢行。そこで発信しながら、彼はスタジオで歌を唄った。

そこでとりわけ注目を集めたのは「ずっとウソだった」という楽曲だった。自身の「ずっと好きだった」を改題し、替え歌にして、当時の気持ちをストレートに唄ったのだ。

ただ、同曲の映像は、公式には残っていない。だから紹介できるのは、このような記事に限られる。


この時はほかの曲も映像がなく、そのかわりライヴ音源の一部はのちのアルバムの初回盤に付属した。
当noteの本分ではないので、このあたりを詳述はしない。しかしこの時期の「ずっとウソだった」が、斉藤自身の怒りやモヤモヤを反映した曲には間違いなかった。
あえてこじつけると、どうしようもない大人が多い事実と、それによる矛盾した状況が厳然と存在していた。そのことは僕も実感したものだ。そして斉藤は、そうした虚偽や欺瞞に対して、歌を通じて怒りを見せたのだ。

この4月、斉藤は、リリー・フランキーが音頭をとった日比谷野音でのイベント「ザンジバルナイト」に出演している。この時は僕も観に行っていて、神聖かまってちゃんやももクロ、難波章浩といったアーティストたちが出演。トリの斉藤のステージにはスチャダラパーのBOSEが参加し、「いたいけな秋」で共演した。件の「ずっとウソだった」は唄われなかったが、会場の雰囲気は「時の人」になりつつある斉藤を支持するムードがあったと記憶している。

また斉藤はこの時期、その憤りを抱えた中で新曲を作り、配信でも唄っている。「ウサギとカメ」、それと「雨宿り」。


自分的には、とくに「ウサギとカメ」の苦い味わいが痛烈に残っていて、この年に限って夏に開催されたARABAKI ROCK FEST.(通常は4月開催)で彼が唄ったこの歌は、とても印象深い。また、この歌については、この何年か前の歌詞から見られていた「勝ち」や「負け」という言葉の使い方が、とてもシビアな意味合いになっていると感じた。やや皮肉っぽく、辛辣なイメージなのである。

ただ、こうして原発に反対するムードの中に斉藤がいた印象はあり、そこでの彼の動きには否定的な声も聞こえていた。それでなくとも音楽界隈に対して「原発反対って、電気がないとギターも音が出せないくせに」みたいな言い方を突きつける向きがあったほどだ。当時はそのぐらい殺気立っていて、僕個人もツイッター(現X)上で反原発の動きを支持する投稿をしたら、それを揶揄するリプをもらったぐらいである。

やがて10月。斉藤の新しいアルバムが発表される。
タイトルは『45 STONES』。『35 STONES』から10年が経ち、斉藤は45歳になっていた。


このアルバムを語るにあたっては、45歳になった斉藤のリアルと、先ほどのような震災後の空気のことを含めないわけにはいかない。

「ウサギとカメ」「猿の惑星」のように、人間を動物にたとえた歌のシリアスさ。

ドラマー・中村達也とのMANNISH BOYSによる楽曲「オオカミ中年」では<NO NUKES!>と真正面から反原発を掲げる。オオカミ少年という言葉は昔からあるが、それを中年と言い換えることで、大人にはろくな奴がいねえ、と言わんばかりの憤怒の念が伝わってくる。

そしてアルバムの終盤。ズバリ「おとな」という曲では、<カバン>を持ち、<タブー>を気にする大人像が描かれる。ここでも根底にあるのは、大人とされる存在への怒りだ。そう、斉藤和義のエネルギーは怒りから表現されるケースが多々ある。

ただ、そんなアルバムの最後をウクレレの音色も優しい「ギター」という曲で締めるのもまた斉藤らしいと思う。<大人にだって 晴れた夜を 子供にもっと まぶしい扉を>という歌詞がなんと心に刺さることか。

なお、彼はこの前の年、結婚から15年が経って初の子供(男の子)を授かっている。そして原発や放射能の問題を発端とする怒りや憤りの根っこには、小さい子を育てている親としての不安があったことを、のちのインタビューで明らかにしている。

「大人のふりをしているけど、自分はずっと子どもの延長にいるような気がする」


物議をかもすこともあった2011年の斉藤。ところがこの年の終盤に出たのは、先のアルバムだけではなかった。
この直後にシングル「やさしくなりたい」がリリースされ、またもヒットしたのである。


ドラマのタイアップ曲でもあって、前年の「ずっと好きだった」をしのぐほどの脚光を浴びたこの歌。ビデオもまた、あの曲に続いてのビートルズオマージュである。

また、僕がこの時期に忘れられないのは、これまた「やさしくなりたい」の直後の12月に出たSMAPの「僕の半分」という歌のこと。これは斉藤が書き下ろした曲で、当時のSMAPの人気もあって売上チャートの1位を獲得したのだが。この光景を見ていて自分は、春から世間的に取り沙汰され、孤軍奮闘してきたる斉藤を、かのSMAPが気持ち的に後押しているような印象を感じた。
あくまで個人的な見方だが。

斉藤は先ほどのMANNISH BOYSの活動も並行させながら、自身の活動を続けていく。シングル、アルバム、タイアップの曲、そしてライヴ、ツアー。コンスタントな動きが継続されている。

そんな中の2012年、斉藤和義はサッポロ黒ラベルのCM企画「大人エレベーター」に出演した。そこでナビゲーターの妻夫木聡とは、こんな会話を交わしている。

斉藤 デビューする前の2、3年は、「もう早くどうにかなってくれ」って気持ちも強かったから、やっばリツラかったんだろうね。本当に先が全く見えなかったし。勘違いが上回ってたから頑張れてはいたんだろうけど。

妻夫木 その時から比べると自分は大人だと思います?

斉藤 あのね、俺の場合、仕事も趣味のような遊びのようなって感じじゃない。だから、大入って言われてもあんまり今まで意識したことがないのよ。年が年だから、大人のふりをしているけど、自分はずっと子どもの延長にいるような気がするな。

妻夫木 ああ、そっか。

斉藤 だから……大人とは、サンマの内臓食える人くらいしかイメージがない(笑)。肉より魚派とかね。


斉藤、45歳の時である。

『大人エレベーター』の書籍は
2014年の刊行

翌2013年10月には、オリジナルアルバムを2作同時にリリース。そのうち『和義』のほうには「それから」という曲がある。この歌には、歌詞に<こんにちは さようなら くりかえし 大人になっていく>との一節がある。


それから2015年の楽曲「攻めていこーぜ!」。こちらは、ちょっとだけ斜めからの視線で<落ちついて見える立派な大人は/よく見りゃほらただ疲れてるだけさ>なんてフレーズを書いている。


<大人>という言い方をするケースが減ってきて、使う時にしても軽やかさが出てきていた。『35 STONES』の頃はシリアスだったのに。

斉藤和義は50代に突入しようとしていた。

<斉藤和義 その5 に続く>


ガスト九段下店にて
ゴーゴーカレー監修
ガストブラックカレー、934円。
ゴーゴーカレー、なるほど!な
漆黒の味わい

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