残された家族の悲しみは終わらない 木下惠介監督『衝動殺人 息子よ』
普通に暮らしていた人が、何の前触れもなく犯罪に巻き込まれ、命を奪われる事件が後を絶ちません。
「むしゃくしゃしていた」
「誰でもよかった」
「人を殺してみたかった」
そんな理不尽な理由で大切な命を奪われた人の無念と、残された家族の悲しみを思うと、いつもいたたまれない気持ちになります。
事件が起これば、加害者は法律に基づいて裁かれ、その経過は新聞やテレビで報じられます。けれど、被害者や遺族がその後どのような生活を送り、どれほど深い悲しみや困窮を抱えているのかについては、あまり伝えられません。
家族を失った悲しみに耐えながら、働き手を失ったことで生活に困り、暮らしを一から立て直さなければならない人もいます。悲しんでいるだけでは生きていけないという現実まで、遺族は背負わされるのです。
現在、日本には犯罪被害者や遺族を支える給付制度があります。しかし、その制度は初めから存在していたわけではありません。
犯罪によって一人息子を奪われた父親が、同じ悲しみを抱える人々を訪ね歩き、国に救済制度の必要性を訴え続けた長い運動が、その成立へとつながっていきました。その軌跡をもとに作られたのが、木下惠介監督『衝動殺人 息子よ』(1979年)です。
父の本棚には、映画の原作となった佐藤秀郎のノンフィクション『衝動殺人』がありました。映画化されていることを知った私は、高校生の頃にレンタルビデオでこの作品を観ました。
それ以来、理由のない殺人事件が起こるたびに、この映画のことを思い出してきました。最近、配信で久しぶりに観る機会がありましたが、年月を経ても、その衝撃と悲しみは少しも薄れていませんでした。
《スタッフ》
◎製作:松竹・東京放送(TBS)
◎監督:木下惠介
◎製作:飯島敏宏、杉崎重美
◎脚本:木下惠介、砂田量爾
◎原作:佐藤秀郎
◎撮影:岡崎宏三
◎美術:重田重盛
◎音楽:木下忠司
◎編集:杉原よ志
《キャスト》
◎川瀬周三:若山富三郎
◎川瀬雪枝:高峰秀子
◎川瀬武志:田中健
◎坂井三郎:尾藤イサオ
◎坂井和代:高杉早苗
◎田切杏子:大竹しのぶ
◎平山敏夫:田村高廣
◎北村洋子:中村玉緒
◎中沢工務店主:藤田まこと
◎松崎徹郎:近藤正臣
◎中谷勝:加藤剛
◎柴田保子:吉永小百合
京浜工業地帯で小さな町工場を営む川瀬周三は、長年の溶接作業によって視力が衰え始めていました。
一人息子の武志は父を心配し、勤めていた自動車工場を辞め、家業を継ぐために父の工場で働き始めます。
これから親子で力を合わせ、工場を守っていくはずでした。ところがある夜、武志は友人と釣り堀へ出かけた帰り道、見知らぬ少年に突然刃物で刺されます。「仇はとってくれよ」そう父に言い残し、武志は周三の腕の中で息を引き取るのでした。
犯人は、暴力団員に近づこうとしていた少年でした。「大きなことをしろ」とけしかけられ、誰でもよいから殺そうと考えたというのです。
あまりにも理不尽な犯行でした。周三は息子を失った衝撃から工場を放り出し、食事も取らず、墓へ通い続けるようになります。
やがて裁判を傍聴した周三は、隠し持った包丁で犯人に襲いかかろうとします。しかし妻と甥に止められ、「伯父さんまで人殺しになってはいけない」と諭されるのです。
犯人は未成年で、判決は懲役五年から十年の不定期刑でした。息子の命が奪われたというのに、あまりにも刑が軽いのではないか。
周三の怒りは収まりません。
無料法律相談を訪れた彼は、当時の制度では、犯罪によって命を奪われた一般の被害者や遺族に対し、国が十分な補償を行う仕組みがないことを知ります。
「法律の方が間違っているのではないか」そう考えた周三は、法律書を買い集め、独学で勉強を始めます。さらに彼は、同じように家族を通り魔に殺された遺族を訪ね歩くようになります。
初めのうち、周三は自分の悲しみしか見えていませんでした。他の子どもが残っている遺族に対し、「自分には一人息子しかいなかった」と口にして、相手を傷つけてしまうこともあります。しかし、多くの遺族と向き合ううちに、周三は少しずつ変わっていきます。
子どもを失った親、夫を失い幼い子どもを抱えて生きる妻、働き手を奪われ経済的な苦境に立たされた家族。それぞれが背負う悲しみに、軽いも重いもないのです。
そのことに気づいた周三は、自分の息子だけではなく、すべての犯罪被害者と遺族のために立ち上がるのです。
工場を売却した資金で全国を回り、遺族の声を集め、署名活動を行い、国会に請願書を提出する。その頃、周三の視力は失明寸前まで悪化していました。
それでも彼は、妻の雪枝に手を引かれながら活動を続けます。テレビに出演し、国会で証言し、ついには政府を動かしていきます。しかし、その直後、周三は心筋梗塞で倒れ、武志が亡くなったのと同じ病院で生涯を閉じるのでした。
この映画は、犯罪被害者をめぐる制度の問題を訴えた社会派作品です。けれど、作り手の主張だけを声高に叫ぶような堅苦しさはありません。
絶望の底へ突き落とされた一人の父親が、息子を失った悲しみを抱えながら、やがて同じ苦しみを持つ人々のために立ち上がり、社会を動かしていく。その過程が、夫婦の愛、親子の絆、そして彼を支えた人々の姿とともに、実に丁寧に描かれています。
木下惠介は、この物語を徹底して被害者と遺族の側から見つめています。犯人にも複雑な家庭環境があり、犯罪に至った背景がありました。しかし、この映画は、加害者の事情を中心には描きません。
なぜなら、突然愛する人を奪われ、生きる希望さえ失った遺族の怒りと悲しみにこそ、まず寄り添うべきだという強い意志があるからです。
犯罪者や暴力を魅力的に描くこともありません。理由もなく人の命を奪う行為に、格好よさなど存在しない。木下惠介の揺るぎない姿勢が、作品全体を貫いています。
署名を求めても他人事のように通り過ぎていく人々。国民が声を上げても、なかなか動こうとしない政治。信念を持って活動する人が、かえって偏見や批判にさらされてしまう社会。この映画は、そうした世の中の冷たさにも厳しい眼差しを向けています。
それでも周三は諦めません。自分一人の力では何も変えられないかもしれない。それでも声を上げなければ、何も始まらない。その不屈の精神と、正しいと信じたことを貫く難しさが、観る者の胸を強く打つのです。
そして、この作品の根底にあるのは、何よりも深い親子の愛です。突然、愛する我が子を奪われた親の悲しみが、どれほど深いものなのか。父と母が武志をどれほど大切に育て、どのような未来を思い描いていたのか。その記憶が回想場面を通して丁寧に描かれるからこそ、失われた命の重さが、私たちの胸にも迫ってきます。
周三を演じた若山富三郎は、本作で数々の主演男優賞を受賞しました。若い頃は時代劇や任侠映画で豪快な役を演じることの多かった俳優ですが、市川崑監督『悪魔の手毬唄』の磯川警部をはじめ、後年は優しさと哀愁をたたえた役柄でも忘れがたい姿を残しています。
『衝動殺人 息子よ』で演じた周三は、その集大成ともいえる役ではないでしょうか。息子を見つめる温かな眼差し。その命を奪われ、世界のすべてが意味を失ってしまったような絶望。怒りと悲しみに耐えながら、残りの人生を息子の無念と犯罪被害者の救済に捧げる父親の姿。若山富三郎は、その心の変化を、大げさな演技ではなく、全身からにじみ出るような表現で見せています。
妻の雪枝を演じた高峰秀子にとって、本作は最後の映画出演となりました。数多くの名匠に愛され、日本映画史に残る作品へ出演してきた彼女は、演じているのではなく、その人物として画面に存在しているとしか思えない俳優でした。
本作でも、夫の活動を支え、失明へ向かう彼の手を引き、息子を失った悲しみを胸の奥へ抱えながら生きる雪枝そのものに見えます。
多くを語らず、夫のそばに立ち続ける姿。そして、抑え続けてきた悲しみが一気にあふれ出す場面。その慟哭には、子どもを奪われた母親の思いのすべてが込められているようで、何度観ても胸を揺さぶられます。
木下惠介は、戦後の日本映画を代表する監督の一人です。
貧しさや戦争の傷がまだ残っていた時代、人々はその作品に自分たちの暮らしや悲しみを重ね、登場人物とともに泣き、笑い、心を慰められてきました。
しかし、日本が豊かになり、時代が軽さや格好よさを求めるようになるにつれて、木下作品の率直な感情表現は、次第に古いものとして扱われるようになりました。真剣に悲しみを見つめ、弱い立場の人に寄り添おうとする姿勢は、時に「重い」「古い」と敬遠される時代もあったのだと思います。
けれど木下惠介は、世の中の流行に合わせて自分を変える人ではありませんでした。誰かが声を上げなければならない問題を見つけた時、映画という表現を使って、真正面から社会に問いかける。『衝動殺人 息子よ』は、そんな木下惠介の信念から生まれた作品です。
時代が変わっても、理不尽な犯罪はなくなりません。通り魔事件だけでなく、ストーカーによる殺人や子どもへの虐待など、何の罪もない人が命を奪われる事件は、今も繰り返されています。
事件が報道されるたび、私たちは犯人の動機や判決に目を向けます。けれど、その陰には、大切な人を突然奪われ、その後も長い人生を悲しみとともに生きなければならない家族がいます。
周三の運動によって制度が作られ、犯罪被害者を支える仕組みは少しずつ整えられてきました。それでも、給付金や法律だけで、失われた命が戻るわけではありません。残された家族の悲しみが、完全に消えることもないでしょう。だからこそ、私たちはその痛みを忘れてはいけないのだと思います。
『衝動殺人 息子よ』は、悲しみに沈んだ父親が、息子への愛を胸に、同じ苦しみを抱える人々のために立ち上がった物語です。
一人の人間の声は、あまりにも小さく、無力に見えるかもしれません。けれど、その声が誰かの心を動かし、やがて社会を変える力になることもあります。
息子を失った悲しみは、周三の生涯から消えることはありませんでした。それでも彼は、その悲しみを自分一人のものにせず、同じ痛みを抱える人々を救うための力へと変えました。
その姿を通して木下惠介は、悲しみに寄り添うことの大切さと、人を思う心が社会を動かすことを、静かに、しかし力強く訴えています。
だから私は、この映画をもっと多くの人に観てほしいと思います。
事件が起きた時、加害者の言葉だけではなく、その背後で声を失っている被害者と家族の存在に、私たちが目を向けるために。
そして、理不尽に奪われた一つ一つの命が、決して忘れ去られることのないように。
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