編集者になれず平成に捨てた夢を、令和のわたしが拾いに行く
小学生のころ、少女漫画が大好きだった。単純で欲深い小さなわたしは「天才少女漫画家になって世間をざわつかせよう」と企んでいたが、横顔がうまく書けずその夢をあっさりと手放した。
高校生になり進路を考えるころ、周りの友だちが夢を語るのがうらやましくて「自分にも一言で提示できる夢が欲しい!」と夢探しを始めた。相変わらず漫画や雑誌ばかり読んでいたので「本をつくる編集者ってかっこいいかも」と専門学校に見学に行ったりもしたが、家庭の事情によりその夢をあっさりと手放した。
わたしの夢は、夢というよりはただの思いつきだ。アイデアである。自らあきらめたり、あきらめざるをえなかったり、でも本気で追いかけるほどの決意はなくて。「叶わない夢を持つなんてむなしい」とさえ思っていて、夢は見ない・持たないをスローガンとして生きてきた子ども時代だった。
そこから何年も経って、そこそこの大人になった今。去年末になんとなく訪れた文学フリマという本の即売会がきっかけで、本づくりにハマることになる。
自分で書いた小説や漫画を自主製作本として形にし、即売会で販売する。そういった活動が存在すること自体は知っていた。でもそれは才能がある限られた人々の特別な趣味であって、自分とは無関係なものだと思っていたのだ。
でもいざ会場に足を踏み入れると、年齢も性別も趣味嗜好もバラバラな大勢の人たちが、好きなテーマで好きなように書いた本をたくさん並べていて。「本をつくりたいからつくったのだ」というシンプルな動機に、誰だって本をつくっていいのだという自由に、とんでもなく心を掴まれてしまった。
本をつくるのは、楽しくて奥深い。
まずはテーマを決める。なんでもいい。当時のわたしは仕事や働き方で悩み挫折し社会復帰を目指す最中だったので、仕事をテーマにしたエッセイ本を書こうと決めた。
本のタイトルは、noteの下書きに残していた「明日わたしが会社にいなくても」を採用。いつか書きたいと思っていたエピソードだった。内容に合わせて、表紙は残業をテーマに夜空とオフィス街にしよう。
次はひたすら書く。書いたものを整える。この整える作業が予想以上に大変だった。誤字脱字のチェック、表記の統一、文章の始まりは一字下げる、いい感じのところで改行する、など。やるべきことがありすぎて、朝を迎えるまでパソコンに向かった日もあった。
なんとか完成したPDFデータを専用サイトで入稿する。当初予定していた印刷所は早々に受付を締め切っており、慌てて別の印刷所で注文することになった。大型連休前は注文が殺到するため、早々に注文すべきだという常識を知る。
人生で一度もやったことのない作業ばかりだし、知らないことだらけだった。要領は悪いし、スケジュールの自己管理もひどいものだった。でも、自分の手で、指で、言葉で、ひとつのものができていく過程はものすごく楽しい。こんな世界があったなんて、こんな感情になるなんて知らなかった。
印刷所から本が届いたとき、うっかり泣いてしまいそうなほど嬉しくて。仕事でボロボロになってしまったわたしの人生も、本という形にしたらなんだかすべての過去に意味があったのかもしれないとさえ思えた。
そういえば遥か昔、編集者になりたいなんて思っていた時期があったな。きっとあのときからずっと、本をつくってみたかったのかもしれない。当時想像していたものと形は違えど、こうして「本をつくりだす」ということをやりきれた。
平成にいた小さなわたしがなかったことにした夢を、時を越えて令和のわたしが叶えることもあるのだ。そしておとなになった今だからこそできることもあるのだと、そこそこ人生を生きてきたわたしは知っている。
捨てたと思っていた「好き!」や「やりたい!」は、もう一度拾い集めて大事に持っておくことにした。今じゃなくても、未来のわたしがどうにかするかもしれないから。
今年は3冊の本をつくり、即売会や通販で販売した。いくつかの書店さんにも置いてもらえることになった。これからは「つくる」のその先である「届ける」にも、もっと力を入れていきたいと思っている。
ゼロからものづくりをすることは、とんでもなく楽しい。自分の脳内から生まれたものが目で見える形になること、手で触れられること、これからもその存在が残っていくことがたまらなく嬉しい。
そして来年は絵を描いてみたい。iPadを買って、イラストツールを使って、デジタルイラストを描く。本の表紙に自分の描いたロゴやイラストを載せられたらいいかも。そしていつか漫画を描いてみたい。天才少女漫画家にはなれなくても、漫画を描いて公開することならできるはずだ。
「叶わない夢を持つなんてむなしい」という子どものわたしに「後は大人のわたしに任せておけ」と伝えたい。

