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大好物の牛皮のおやつ

犬がおしえてくれるもの

本能と欲求

うちの柴犬2歳の画像です。実は動画で貼りたかったのですが、noteではそのまま載せることができなかったので、Instagramに掲載しました。

うちの犬は食べることに大変貪欲で、ごはんもおやつもあげたら一瞬で完食します。あまりに早食いなので、ゆっくり食べるように、障害物のついたお皿であげたほうがいいんじゃないかと思うくらい、あっという間にたいらげます。

ですが、唯一の例外が上の写真にある牛皮のおやつです。
消化に悪そうなので、あまり頻繁にあげるわけではありませんが、ゆっくりと家にいて、手持ち無沙汰なようなときにあげます。

すると、まずくわえて家じゅうをウロウロします。そして、自分のベッドの下や、ソファーのクッションの下にまず隠すのです。
それも単純に置くだけではなく、鼻先でなにかをかき集めてくるようなしぐさを一生懸命します。

基本的に犬は真剣で真面目なので、その一生懸命さが可愛くて、こちらも飽かずに見守っているのですが、ちょっと埋めてみて、また気に入らないのか場所をうつして同じことを繰り返すようなことを、何度もします。

そしてその後お散歩に行ったりして、もう忘れているのかな?と、取り出して別のところに置いておいたりすると、帰ってきて必死に探していたりします。覚えているんだ…と思って、返してあげると、慌てて食べだしたその瞬間です。

あまり深くも考えずに、牛皮をあげると必ずそういう儀式をするんだな・・という程度の認識でいたのですが、その認識が一変したのが、SNSに流れてきたある映像をみたときでした。

中国の奥地に住む女性が、みなしごになっていた野生のオオカミの赤ちゃんを救い、食べ物を与え、家族として迎え入れます。

仲良く暮らしていたのですが、女性は都会に働きに行く決心をして、家族のように育て、成長したオオカミを野生の群れに返そうとします。

当然そこにはいろいろな困難や失敗があるのですが、オオカミはなんとか群れになじむことができ、群れのリーダーにまでなります。

そして離れて暮らすのですが、ある冬、女性はそのオオカミを訪ねます。するとオオカミは女性を覚えていて、甘えたしぐさをみせたりするんですね。

そして、食べ物が少なくなってきたときに、落ち葉の下に隠していた、狩りでしとめたウサギを掘り出して、テントに届けに来てくれるのです。

その映像のなかでは、ウサギを狩るシーンも、落ち葉を鼻先で集めてきて埋めるシーンも、穴から掘り出して乾燥したウサギを取り出してくるシーンもあったのですが、うちの犬が出演しているのかと思うくらい、そのシーンはいつも目の前に展開されているしぐさと同じでした。

柴犬は、系統的にもっともオオカミに近い犬種であるといわれています。
人間と共に生き、ペットとして飼われていても、もともとが狩猟犬であるので、しっかりと運動量を確保しないといけないことは、「柴犬の飼い方」みたいな本には必ず書いてあります。

うちの犬は、三重県のブリーダーさんからお譲りいただいた犬で、自然豊かな場所ではあるものの、母犬や父犬が狩りのお供をしていたりはないですし、誰かから学習したわけではないでしょう。

後天的に学ぶことなく、本能として備わっていて、本能に突き動かされて、牛皮をもらうと、保存できると判断し、隠そうとするわけです。

これは、私にとって、結構な衝撃でした。
本能とはかくも強いのかと。自分でも制御できないほどに、衝き動かされてしまうものなのかと。

人間の動物的本能

指圧院にいらっしゃる患者さんのことでいうと、一番に強いと感じる本能は防衛本能です。

自己保存本能ともいえるし、生存本能ともいえると思いますが、今の自分を守ろうとする本能はとても強いものです。

肩や背中が凝っていて…といらっしゃる患者さんに触れると、よろいかぶとを着ていらっしゃるかのように感じる…なんてことは指圧師あるあるです。

単純に、身体が硬直している場合もあります。急激な負荷に耐えられず、筋骨を固めることでその場をしのごうとする(それが一時しのぎであっても)身体の知恵だったりすることもあります。

でも、たいていは、なにか守りたいもの、柔らかい、またはすぐに壊れてしまいそうなもろいものがこころの奥にあって、それを守ろうとする象徴的な身体的表現としてのよろいかぶとだったりすることも多いのです。

犬が自分の行動を本能からの衝動と認識していないように、人間だって自分の行動が、本能に根差すものだと認識はしていません。

でも、ここは安全安心な場所であると、脳の旧い部分が認識しないと、よろいかぶとは脱げません。

はじめていらっしゃる患者さんのほぼ100%のかたのお身体には力が入っていますが、力を抜いて下さい・・・といっても、そんなに簡単に抜けるわけがないのです。

場所への信頼、施術者への信頼、そしてなによりも自分への信頼がないと力は抜けないし、よろいかぶとは脱げません。

「ここは安全な場所だし、施術者も悪いひとではなさそうだ。さぁ、力を抜こう」と、頭で…または意識でそうしようと思っても、太古の人類が危険だと本能にやきつけられたアラームが解除されない限り、自律神経は交感神経にスイッチされたまま、リラックスなんてできるわけがないのです。

自己への信頼

場所や施術者への信頼ということは、私が努力できる部分ですし、今までそこは意識して「ならまち月燈」は築いてきました。

私の院に通ってきて下さる患者さんは、私と氣が合うから通ってきてくださるのだし、合わない方は離れていかれるという非常に有難い適者生存の法則が働いて、何年も通い続けて下さる患者さんが何人もいて、私はその方たちのそばに一生いさせていただけることを、とても幸せなことと思っています。

私自身は毎日とても幸せで、来ていただければ来ていただくほどに、信頼感は高まるように思っていました。

でも最近、ご自身の信頼感には私はあまりお役に立てていないのではないかと思うことがあります。

どういうことかというと、自分のことが好きではない、ご自分の評価が低い、なにかあると自分が悪いから…と原因を自分に求めてしまう患者さんが複数いらっしゃるということです。

誰よりも自分を信頼する

たとえば、そういう女性のエピソードとして、Aさんのおはなしをしましょう。

Aさんは、40代のシングルマザーです。とても美しい方で、6年前に開業したばかりのときに初めてお越しくださったときは、離婚されたばかりで、疲弊はされていたものの、小柄で華奢なお姿は誰が見ても思わず走り寄って守ってあげたくなるような容姿でした。

結婚してもキャリアを手放さず、企業内専門職として、高い技能をお持ちだったこともあって、この6年間順調に出世もされ、役職にもつかれました。

お子さんも二人とも中学生になられ、ホッと一息というところです。

うちの院ではお着替えをして頂きますし、指圧だけでなく、鍼やお灸もするので、素肌を直接診せていただきます。

彼女ははじめていらしたときから、とても綺麗な白い肌をされていました。
身体に澱みがあったり、血流が悪くなっていると、肌は赤黒くなりますし、毛穴が開いたままになって、いわゆる肌理の粗い状態になりますが、彼女は身体の不調にかかわらず、とても綺麗なお背中だったので、
「とてもきれいなお背中ですね」と申し上げました。

「いえいえ、そんなことはないです。綺麗じゃないです」
「ご自分のお背中を見たことがありますか?」
「ないです。」
「じゃあ、なんで綺麗じゃないってわかるんですか(笑)?」

実は、こういうことはしょっちゅうあります。
私は別にほめているわけではなく、事実として言葉にしているだけなのですが、「足のアーチが綺麗」とか、「足のかかとがきれい」とか、不調であれば、崩れやすいところが整っていると、積極的に評価するのですが、即応して「そんなことないです」と言われることがよくあります。

謙遜されているのかなぁ・・とも思いますが、お話を聴いていると、「褒められるに値しない私」が根底にあることがあります。

Aさんもそういうところがあり、ご自分でも認められます。
こんなに綺麗で有能で素敵なのに、そんな風に思えない。
そして年をとって、自分の魅力は失われていく…と思っておられる。

そんなAさんが、最近、職場の妻子持ちの上司に言い寄られ、頑張って仕事をしてきて、男女関係なく働いてきて、やっと50を目前にして、もうセクハラの対象にもならなくなったと思ったのに、またこれかとがっかりしたと仰る。

なににがっかりしたかを問うと、そんな下世話な対象にまだ自分がなるかと思うと、今までの自分の努力が水の泡になったように思うと。

私は、柴犬の本能の話をしました。
その上司は、このジェンダーフリーやセクハラ禁止の世の中の波にもメゲず、社会的な制裁がどんなに怖いかを熟知しながらも、素敵な女性の魅力に抗われず、オスの本能に衝き動かされてアプローチしてしまったということじゃない?
あなたの気持ちを害したのはもちろん悪いことだし、不倫うんぬんのそしりは免れないけど、あなたが自分におちこむことはないんじゃないの?
あなたが人間として魅力的であり、女性として魅力的であり、魅力的ですよって、告白されたと思ったらいいんじゃない?っていうか、私だったらそう思うけどなぁ…。

う~ん…と、彼女は考えこみ、「私、もう二度と結婚したくないんです。だから、もう誰も好きになりたくないし、好きになられるのも怖いんです」

と、仰った。
彼女の結婚生活も離婚した理由も詳しい話を聴いたことはありません。
でも、そう思うにいたった理由が、そう思うに存分な辛い思いが過去にあったのでしょう。

そんな彼女にどんな指圧ができるでしょうか。

自分の無力感を感じる瞬間でもあります。

でもわたしは、なにかを信じて手をあてつづけるし、彼女もまたなにかを信じてわたしのもとに通ってきてくださっているのだと思います。

自分でもコントロールできない感情や本能。

思い通りにはなりませんが、犬であっても人であっても、とても愛おしいし、その物語がわたしのこころをいつも激しく揺さぶります。




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 ならまち月燈/こころとからだをつなぐあかり 最後まで読んでくださって有難うございます。読んでくださる方がいらっしゃる方がいることが大変励みになります。また時々読みに来ていただけて、なにかのお役に立てることを見つけて頂けたら、これ以上の喜びはありません。