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妄想…河合隼雄倶楽部


河合隼雄『で』語り合おう

物語を生きる

ずっと河合先生のことを・・というより、河合先生が表現されているようなことを、誰かと語り合いたいと思っていました。

でもそんな機会は、リアルでは全くなく、街の書店で「著者河合隼雄」を見つけることは少なくなり、少しづつ遠のいていました。

まず私の身辺からは、誰かとなにかについて語り合うような場がなくなっていました。

わたしは、こころとからだのつながりのところに興味があって、指圧鍼灸師になりました。

まず、からだ観というものを身につけたかったからです。

東洋医学の心療内科みたいなイメージでいました。

でも、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師の専門学校に40歳を超えてから入学してみて、びっくりしました。

学ぶ領域では解剖学、生理学といった西洋医学にかなり大きな分量があり、心理学なんて科目はもちろんありませんし、東洋医学科目についても経絡や経穴、概論に重きをおいて、こころを直接の対象にはしていないし、先生も生徒もそういったことには、あまり興味がないようだったからです。

大学病院では、鍼灸は物理療法といわれるように、計測できるもの、科学的に扱うもの、目に見えるものを扱うものでした。

いくつかの学会で学んでみましたが、こころとからだ・・なんてあいまいなところに興味がある人とは、一人も出会いませんでした。

肩こりを治す、頭痛や腰痛や膝痛や…とにかく痛みをとるには、どのツボなのか、どの経絡を?一本刺すの?たくさん刺すの?といった議論なら、いくらでもしてくれたでしょう。

みんな真面目なのです。真剣なのです。目の前の患者さんを治す。
治療家になる。そういう思いでいる人がほとんどでした。

わたしもはじめはそう思っていたかもしれません。

今は未熟だけど、施術が熟練してきたら、神の手といわれるようなミラクルをおこして、杖をついてきた人が、杖を忘れて帰るくらい楽にして差し上げることができるんだろうと思っていました。

残念なことに、卒業して9年になりますが、いまだにそんなミラクルはなかなかおきません。

「氣のせいかもしれないんですけど、楽になった氣がします・・」とは仰っていただくことが多いです。

滞っていた氣を流すように施術するので、まさに『氣のせい』でいいんですが、勘違いかもしれない・・とか、錯覚かもしれない・・と患者さんが思っていらっしゃることは、一様に首を傾げていらっしゃることでわかります。

たいしたことをしてるわけじゃありませんからね、そう思われても当然です。

手をあてて滞っているところを流すように圧したり按じたり、お話を伺って、笑ったり泣いたりしていただきながら、呼吸が深くなるように、背骨が弾力を取り戻すように、氣の満ち引きを見ているだけです。

でも試行錯誤を繰り返しながらの臨床の場に立ち続けて、なんとなく私はこれでいいのだという感覚はつかみつつあります。

わたしが一番お役に立ちたいと思っている方、こころとからだのつなぎめのところで、迷い、悩んでいらしてくださる方がとても多いからです。

なので私自身の現場において、相談したいと思ったり、他の方がどうしていらっしゃるかを聴きたいと思うときにその対象は、鍼灸師や指圧師ではありません。

目にみえないなにかを大切にしている人。

エビデンスのない、再現性のない、万人に共通しない体験をそんなこともあると受け入れられる人。

その人固有の物語や世界観をそのまま受け入れ、ジャッジせずに包容できる人たち。

そういう人たちと出会えると知ったのが、ここnoteです。

はじめは、指圧の私塾をはじめるにあたって、東洋医学のこころとからだ観はこんな風だよ…という紹介をしたいと思って始めた場でした。

でもそういう目論見から外れ、私がこころ惹かれ、面白いと思うことに素直に近づいて行ったら、全く畑違いの人たちと知り合うことになりました。

今、ここで物語を生きているひとたち。

物語と日本人の心

そしてその方たちとは、日常生活で接する人、家族であるとか、職場の同僚であるとか、学生時代の友人とは話さないことを、いきなり前置きなしに深いレベルで対話できることに気づきました。

自己開示を含めて、ネット上の人間関係で気をつけないといけないことは、わたしも一応、気をつけています。

特に私はリアルな店舗の屋号と同じアカウントにしているため、ネットとリアルが地続きです。

実際に遠方の方が、noteで「ならまち月燈」を知ってご予約いただいて、お会計の時に実は・・と仰っていただくこともとても多くなりました。

それはそれは、とても有難いことなのですが、お互いにフォローしあって、記事を読み合い、コメントを交わし合った方と全くのプライベートでお出会いするのは、また別格の喜びです。

初めて会うのだけれど、わたしはその方の背後にどんな豊かなものがあるのかを、あらかじめ知っています。

お互いの物語を知っていて、今まさに紡がれようとしている物語に自分も含まれていくのです。

河合先生がよく取り上げられるような、神話や昔話に代表されるような、集合的無意識をそういう方とは濃く深く共有しています。

なので、ツーといえば、カー。
そうそう!私も今それを言おうと思ってた!!!
みたいなことが頻出します。

仏教が好き

そして、そういう方々はたいてい仏教が好き。

宗派仏教ではなく、仏教的なものといえばいいのでしょうか、仏像や曼荼羅や仏教的な世界観を愛している。

奈良が仏教都市であることは、反論の余地はないと思います。

世界遺産になるような大寺はもちろん、民間信仰の拠点であるお地蔵さんにいたるまで、奈良は仏教的なものに溢れています。

そして河合先生のご自宅があるのも、最期をお迎えになったのも、お墓も奈良です。

河合先生は京都大学の名誉教授ですし、京都の桂にある日文研の所長でもありましたし、最晩年は文化庁長官として、東京や各地を忙しく行き来されていたので、京都にお住まいになれば、どんなにお楽だったかと思うのですが、奈良西大寺にお住まいになり続けられました。

そのことの意味を、今も時々考えます。

枝瀬先生に、「奈良は河合隼雄倶楽部の聖地です」と仰って頂いたことがあります。

聖地を聖地たらしめるものはなにか?

もちろん、聖地の本家本元総本山はこちら。

でも、あまりに偉大な方々で構成されていて、畏れ多くて、わたしなどとても気軽に遊びに行けない…と思っていました。

気軽に遊びに行ける?

気軽に河合先生によって呼び覚まされたなにかを分かち合える場?

わたしは、自分自身が臨床心理士でないのに、河合先生についてのなにかを発信することをおこがましいとか、語る資格がない・・とか勝手に恐れていました。

枝瀬先生に河合先生についてのなにかを始めたい・・とご相談した時も、失礼のないように・・とか、おまえごときがとか、僭越だとかの批判を受けたくないという謎の被害者妄想が結構邪魔していました。

からだの世界は、医師を頂点としたヒエラルキーがあるように私は感じていて、統合医療の学会であっても、東洋医学会であっても指圧師が医師を差し置いて意見をいうなんてありえない・・みたいな認識があります(お医者さんが実際どう思ってるかに関係なく、勝手に卑下する自分の問題だと認識しています)

それと同じくこころの世界において、精神科医、臨床心理士、公認心理師のような専門職以外の人間が発言することは、よしとされないのではないのではないかと自重してしまうのです。

なので、日本の臨床心理学という世界のトップスターである河合先生についてなにか、証拠が残る形で(!)文章にするのに、ずっとためらいがありました。

でも半年間、ここで知り合えた仲間と、「河合隼雄『で』語り合う」楽しさを知ってしまった私は、ここで宣言します。

河合隼雄俱楽部の部室をつくります

もともと、今はテナントである「ならまち月燈」を、移転する計画がありました。

2年前に近所で土地が売りに出されたので、後先考えずに購入し、プランニングしていたものの、うんともすんとも、なにをやってもうまくいかず、去年の夏から、投げ出して諦めかけていた土地です。

今年の春から、また少しづつ前に進み始めています。

まだなにがあるかわからないけど、極小の狭小地に3階建ての建物が建ちます。

2階は既存の女性専門の身心臨床「指圧鍼灸マッサージならまち月燈」が入ります。

3階は、こころやたましい、いのちについて学び合い、語り合い、触れ合う場を創りたいと思っていました。

そのライブラリーに河合隼雄文庫をつくって、部室にします。

って書いたとたん、元気になったので、しばらくこの方向性であがいてみます。

河合隼雄倶楽部は、ネットとリアルとのハイブリッド、いつでも気軽に好きなように出入りできる場です。

いつでも部員募集中です!


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 ならまち月燈/こころとからだをつなぐあかり 最後まで読んでくださって有難うございます。読んでくださる方がいらっしゃる方がいることが大変励みになります。また時々読みに来ていただけて、なにかのお役に立てることを見つけて頂けたら、これ以上の喜びはありません。