サルタヒコ最古の神社 忍山神社の御由緒―元伊勢、式内社
忍山神社の御由緒
三重県亀山市野村4-4-65
忍山神社は、はじめから一つの神社だったわけではありません。もともとは、猿田彦大神をお祀りする「忍山神社(白髭神社)」と、天照大神をお祀りする「忍山神宮」という、性格の異なる二つの社が、この地に並び立っていました。
導きの神・猿田彦大神
猿田彦大神 最古の神社
第10代崇神天皇7年(紀元前91年)9月、伊香我色雄命(いかがしこおのみこと)は勅命を受け、猿田彦大神をお祀りする神社をこの忍山の地に創建しました。
猿田彦大神は、天孫・邇邇芸命が高天原から地上へ降り立つ際、その行く先を照らし、道を切り拓いた神さまです。迷いの多い分かれ道に立ち、先に立って進むべき方向を示す。
忍山神社は、「導き」の神をお祀りする社として始まりました。全国に猿田彦大神をお祀りする神社は数多くありますが、忍山神社は、その中でも最も古い由緒を持つ神社と伝えられています。
日の神・天照大神が留まった地
それから時を経た第11代垂仁天皇14年(紀元前16年)9月。皇女・倭姫命は、天照大神をお祀りする新たな鎮座地を求め、奈良を発ち、各地を巡る旅の途中で忍山の地を訪れました。倭姫命は、この地に約半年間留まったと伝えられています。その御跡を畏み、天照大神をお祀りする神社として忍山神宮が建立されました。その場所は、現在の忍山神社の北東、愛宕山であったのではないかと考えられています。
二つの社が、おなじ境内に
戦国時代、豊臣秀吉による亀山攻めにより、忍山神宮は大きな被害を受けました。やむなく、忍山神宮のご神体は白木山、布気林へと移され、やがて猿田彦大神をお祀りする忍山神社の地へと落ち着きます。
江戸時代に入ると、忍山神社は亀山藩から手厚い保護を受けました。江戸前期に記された『忍山神社記』によれば、当時は猿田彦大神をお祀りする本殿とは別に、天照大神をお祀りする祠が境内に建てられていたといいます。導きの神と、日の神。性格の異なる二柱が、この地で並び立ち、やがて一つの社として祀られるようになりました。それが、現在の忍山神社です。
忍山神社という「重なり」
忍山神社は、一つの神さまだけを語る神社ではありません。道を示す神と、世界を照らす神。進むための導きと、生きるための光。その両方が重なり合う場所として、忍山神社は今もこの地に鎮座しています。
参拝とは、答えをもらうことではなく、自分の進む道を静かに見つめ直すこと。忍山神社は、そんな「立ち止まり」と「一歩」を許してくれる社なのかもしれません。
