リモコンが教える「計画的陳腐化」入門
我々は気づかぬうちに、電池メーカーの優雅な罠にはまっている。
その最前線がリビングのテーブルに転がるリモコンたちである。
ある日突然の「カチッ」
テレビのリモコンが反応しなくなるあの瞬間、あなたは何を思うだろうか。
「ああ、また電池か」と溜息をつき、引き出しの奥に眠る単三電池を探す。
見つからない。
コンビニへ走る。
498円。
この一連の流れ、実に美しい経済サイクルではないか。
私の家には現在、10個のリモコンがある。
テレビ2台、エアコン3台、照明4つ、それにオーディオ。
彼らは決して一斉に電池切れを起こさない。
まるで申し合わせたかのように、数ヶ月おきに順番に「カチッ」と沈黙する。これを「電池切れ交響曲」と私は呼んでいる。
なぜ彼らは一斉に尽きないのか
ここで興味深い事実がある。
同時期に購入した機器たちが、なぜか絶妙にずれて電池切れを起こすのだ。統計学的には、ある程度同時期に切れてもおかしくないはずなのに。
答えは簡単である。それぞれの消費電力が微妙に異なるからだ。
テレビのリモコンは頻繁に使う。
エアコンは夏と冬だけ。照明は毎日だが押す回数は少ない。
つまり、使用頻度と消費電力の掛け算が、絶妙な「定期購買サイクル」を生み出しているのである。
電池メーカーは笑いが止まらないだろう。
家庭に10個のリモコンがあれば、年間を通じてコンスタントに電池が売れる。
在庫の波も平準化され、小売店も安心して棚に並べられる。
完璧な「リピート購買モデル」の完成だ。
充電池という救世主は、なぜ普及しないのか
ここで賢明な読者は思うだろう。
「充電池を使えばいいじゃないか」と。
その通りである。
私も10年前、エネループを8本購入した。
初期投資は痛かったが、長期的には絶対に得だと確信していた。
結果を言おう。
現在、そのエネループは引き出しの奥で永眠している。
なぜか。
答えは「面倒くさい」の一言に尽きる。
充電するという行為が、人間の怠惰性を完全に見誤っていたのだ。
リモコンの電池が切れた瞬間、我々が求めるのは「今すぐテレビが見たい」であって、「4時間後に見られるようにしよう」ではない。
コンビニまで5分。
充電時間は4時間。
人類は迷わず前者を選ぶ。
これこそが、使い捨て電池の本質的な強みである。
即時性。
コンビニエンス。
そして何より、「考えなくていい」という究極の怠惰への奉仕。
実は我々は「電池を買いたい」のかもしれない
ここで少し視点を変えてみよう。
人間は定期的に何かを買うという行為に、実は安心感を覚えるのではないか。毎月の電池購入は、季節の風物詩のようなものだ。
「ああ、また冬が来たな」と感じるのが灯油の購入なら、「ああ、また2週間経ったな」と感じるのが電池の購入である。
近所のコンビニで「いつもの」を買う。店員との軽い会釈。498円というちょうどいい価格帯。高すぎて躊躇することもなく、安すぎて価値を感じないこともない。これは一種の社会的儀式なのかもしれない。
経済学者は「サブスクリプションモデル」を現代の主流だと言うが、電池こそが元祖サブスクではないか。
月額498円で「リモコンのある生活」を維持する。解約する選択肢はあるが、誰もそれを選ばない。
なぜなら、リモコンなしでテレビの前に立ち上がり、ボタンを押すという行為は、現代人のプライドが許さないからだ。
この交響曲は永遠に続く
結論を言おう。
我々は電池メーカーの手のひらで踊っているが、それでいいのである。
IoT化、スマート家電、音声操作。
技術は進化しているが、リモコンは不滅だ。
なぜなら、人類は「手元で完結する操作」を愛しているからだ。
スマホアプリを開くより、リモコンのボタンを押す方が早い。
音声操作は家族の前で恥ずかしい。
つまり、リモコンが存在する限り、電池切れ交響曲は演奏され続ける。
2週間ごとに誰かのリモコンが「カチッ」と鳴り、誰かがコンビニへ走る。
この美しいサイクルは、まるで潮の満ち引きのように、我々の生活に組み込まれている。
あなたの家のリモコンは、今日も静かに電池を消費している。
次に「カチッ」と鳴るのは、おそらく2週間後。
その時また、あなたは498円を握りしめてコンビニへ向かうだろう。
そして私もまた、同じ道を歩む。
これが現代社会における、最も洗練された「計画的購買誘導システム」なのである。
あなたの家には、何個のリモコンがありますか?そして最後に電池を買ったのは、いつですか?
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