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「セール品投資家」 ~30%オフで買った服が一度も袖を通さない不良債権に~

「30%オフ」の文字列が網膜に焼き付いた瞬間、私の理性は死んだ。
赤い値札に踊る数字を見つめながら、「これは投資だ」と自分に言い聞かせる。
だが、クローゼットの奥で眠り続けるあの服たちを思い出すたび、私は気づく。

私は投資家ではない。

ただの不良債権コレクターなのだと。

「お得」という名の麻薬

セールという言葉には、人間の脳内物質を狂わせる魔力がある。

定価8,000円のシャツが5,600円。
計算機を叩くまでもない。
2,400円も浮く。
この2,400円で何ができるか。
ランチ3回分。
映画1本と珈琲1杯。
あるいは、また別のセール品が買える。

私の脳内では瞬時に「節約成功」の文字が点滅する。
購入ボタンを押す指は、まるで世界を救うヒーローのように力強い。
レジで財布を開く瞬間、私は経済的合理性を体現した賢者である——はずだった。

だが、その服は今、クローゼットの最深部で化石化している。

タグはまだついている。
袖を通したことは一度もない。
5,600円は、空気中に溶けて消えた。

いや、正確には「いつか着るかもしれない」という幻想の維持費として、クローゼットという名の倉庫に支払われ続けている。

「いつか着る」という永遠の夏休み

セール品購入の最大の言い訳は「いつか着る」である。

この言葉の恐ろしさは、完全に論破不可能な点にある。
「いつか」に期限はない。
明日かもしれないし、10年後かもしれない。そして、その「いつか」が来ないまま人生が終わる可能性については、誰も語らない。

私のクローゼットには、少なくとも5着の「いつか着る」服がある。

ベージュのリネンシャツ(3年前の夏物セール)。
「来年の夏、海辺のカフェで颯爽と着よう」と思ったが、来年の夏は来なかった。
正確には来たが、私は相変わらず無地のTシャツを着ていた。

グレーのウールコート(2年前の冬物セール)。
「大人っぽく着こなせる日が来る」と信じて購入。
だが、その日は訪れず、私は今年もダウンジャケットを羽織っている。

こうした服たちは、クローゼットの中で静かに私を糾弾する。
「お前は俺たちに袖を通すつもりがなかったんだろう?」と。

セール品投資の収益率を算出してみた

冷静に考えよう。
投資の基本は「リターン」である。

定価8,000円のシャツを30%オフで購入し、5,600円を支出。
これを10回着れば、1回あたり560円。まあまあ合理的だ。だが、私の場合は0回。
つまり、1回あたりの単価は「∞円」である。

数学的に言えば、ゼロ除算。
哲学的に言えば、虚無。
経済学的に言えば、完全な資本の死蔵。

さらに悪いことに、セール品は往々にして
「微妙にサイズが合わない」
「色が思ったより派手」
「生地が思ったより薄い」
といった問題を抱えている。
それでも「30%オフ」という魔法の言葉は、そうした欠陥を覆い隠す。

結果として、私は「70%の価格で、50%の満足度の商品」を手に入れる。投資としては、明らかに失敗である。

セール品投資家の心理学

なぜ人はセール品を買ってしまうのか。

行動経済学の世界では「損失回避バイアス」という概念がある。
人は得をする喜びよりも、損をする苦痛を強く感じる。
セールの値札は、私たちにこう囁く。
「今買わなければ、この割引を失う」と。

つまり、私たちは「得をする」のではなく「損を回避している」つもりなのだ。

さらに「保有効果」も働く。
一度購入した商品には、実際の価値以上の価値を感じてしまう。
だから「いつか着る」と信じ続ける。
5,600円を無駄にしたと認めるより、「これはまだ活用可能な資産だ」と信じる方が、精神的に楽なのだ。

そして極めつけは「サンクコスト」の罠。
すでに払った5,600円は戻ってこない。
だが、その服を捨てることは、5,600円をゴミ箱に捨てる行為に等しく感じられる。
だから、クローゼットに残し続ける。

こうして、私のクローゼットは「心理的防衛機制の博物館」と化していく。

本当の「お得」とは何か

ここで、少し建設的な話をしよう。

本当の「お得」とは、安く買うことではない。
「使う」ことである。

定価10,000円の服を10,000円で買い、100回着れば、1回100円。一方、5,000円の服を買って1回も着なければ、コストは無限大。
算数である。

セール品を買う前に、自問すべきはこうだ。

「これを定価でも買うか?」

答えがNoなら、それは「欲しい服」ではなく「安い服」だ。そして「安い服」は、往々にして「着ない服」になる。

もう一つの質問。

「明日これを着るか?」

答えがNoなら、「いつか」は永遠に来ない。

セール品投資家からの卒業

私は最近、一つの決断をした。

クローゼットの奥に眠る「いつか着る」服たちを、フリマアプリに出品することにした。
結果は惨憺たるものだった。5,600円で買ったシャツは、1,200円で売れた。損失率78%。

株式投資なら破産レベルである。

だが、不思議なことに、心は軽くなった。

あの服たちは、もはや「資産」ではなかった。
「罪悪感」だった。クローゼットを開くたび、私に「お前は無駄遣いをした」と告げる、小さな検察官だった。

1,200円で売れたことで、私はその検察官から解放された。
そして、5,600円という授業料で、大切なことを学んだ。

「安いから買う」は、理由にならない。

クローゼットという名の鏡

今、私のクローゼットはすっきりしている。

残っているのは、本当に気に入って、繰り返し着ている服だけだ。
その多くは、セール品ではない。
定価で、あるいはそれ以上の値段で買ったものだ。
だが、着用回数を計算すれば、これらこそが「お得な投資」だったことがわかる。

セール品投資家を卒業した今、私は思う。

クローゼットは、自分の購買判断を映す鏡だ。そこに並ぶのは服ではなく、自分の「欲望」と「理性」のバランスシートだ。

あなたのクローゼットには、何が眠っているだろうか。

そして、その服たちは、あなたに何を語りかけているだろうか。

「30%オフ」の赤い値札を見つめる前に、一度、自分のクローゼットを開いてみよう。
そこには、あなたの「本当に欲しいもの」のヒントが、きっと眠っている。

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弱虫ウルフ🐶 もし「この文章、なんか刺さったな…」と感じたら、チップで気持ちを表現してくれると、調子に乗ってもっと書きます。