見出し画像

みんなが同じ音楽を聴かなくなった時代に。

レコメンドアルゴリズムと「共通の歌」の消滅

Spotifyは、あなたの「好き」を完璧に知っている。
しかし、あなたの「隣の人」のことは、何も教えてくれない。この快適な孤独、一体何なのだろうか。

月曜の朝、世界一パーソナルな孤独が届く

「Discover Weekly」が更新された。

誰も教えてくれなかった30曲が、月曜の朝8時ちょうどに静かに着弾する。

確かに「私の好み」だ。
なのに聴き終えたあとに、薄い霧のようなものが残る。

この感覚、うまく言語化できないまま数年が経った。
最近ようやく気づいた。

私はこのプレイリストについて、誰とも話したことがないのだと。

「あの曲知ってる?」が死んだ日

かつて音楽には、「公共性」というものがあった。

大晦日、紅白の視聴率が80%を超えていた時代。

「Thriller」が世界同時多発的に人々の耳に刺さった時代。

平成の教室に、スピッツとMr.Childrenが鳴り響いていた時代。

「あの曲知ってる?」という7文字が、人と人を接続する呪文だった。
音楽を「聴く」ことは、個人の体験であると同時に、集合的な記憶の形成でもあったのだ。

今、その呪文はどこへ向かって発せられるのだろう。
同じ教室に座る十代が、まったく異なる音楽的宇宙の住人として存在している。
重なりがない。
交差点がない。
共通の話題の「足場」がない。

Spotifyの哲学は、正直すぎるほど正直だった

Spotifyの創業者ダニエル・エクはこう語った。
「適切な音楽を、適切な瞬間に届ける」と。

Discover Weeklyは、その哲学の結晶だ。
四億人超の聴取データが交差し、「あなただけ」のために設計されたプレイリスト。
押しつけもなく、商業的な思惑もなく、機嫌の浮き沈みもない。

完璧に、あなただけのために。

……そう、あなただけのために。

フランスの社会学者デュルケームは、人々が同じ対象に感情を高揚させる瞬間を「集合的沸騰」と名付けた。

宗教的儀式の話だが、紅白が視聴率80%を叩き出していた時代の大晦日も、まさにそれだったのではないか。
同じ歌手の歌声に、同じ瞬間に、全国が揺れていた。
音楽は娯楽である前に、社会の「接着剤」だった。

アルゴリズムは「内側」を最適化するが、「あいだ」は作れない

日本には「間(ま)」という概念がある。
人と人の「あいだ」にこそ、意味や関係性が宿るという考え方だ。

共有された歌は、その「間」を生み出すものだった。
会話の触媒。記憶の媒体。世代を越えた連帯の象徴。

アルゴリズムは、個人の「内側」を驚くほど精密に最適化する。
しかし人と人の「あいだ」は、最適化できない。
そこには「あなた」も「私」もいない。ただ偶発的な接触と、予期せぬ感動の共有がある。

Discover Weeklyには、それがない。

「集合的沸騰」は、消えたわけではない

ここで立ち止まる必要がある。
「共通の歌」は本当に消滅したのだろうか。

TikTokで一夜にして世界中の若者が同じ15秒を口ずさみ、同じダンスを真似る。
あの曲がバズった瞬間、無数のスマホの中で、確かに何かが同時多発的に起きている。
K-POPのファンダムはもっと組織的だ。
同じ時間に同じMVを再生し、同じハッシュタグを打ち、同じ声で推しの名前を叫ぶ。

これもまたデュルケームの言う「集合的沸騰」の一形態と呼べるかもしれない。

ただしその熱狂の性質は昔と違う。

紅白は「全国民」という単位で沸騰した。TikTokやファンダムの沸騰は、無数の小さな「部族」の中で起きている。
隣の教室では、まったく別の曲が同じように盛り上がっている。

沸騰そのものは消えていない。
おそらく、沸騰する単位が「国民」から「部族」へと分裂しただけなのだ。

そしてその分裂こそが、Spotifyのレコメンドが体現する個人化と、地続きの現象なのかもしれない。

懐古主義と断罪する前に

もっとも、「昔は良かった」と言いたいわけではない。

かつての「共通の歌」には、別の暴力性があった。
テレビと音楽産業の共謀によって、ある音楽だけが可視化され、マイノリティの趣味や辺縁の文化は「存在しないもの」として扱われた。

みんなが同じ歌を「知っていた」時代は、みんなが同じ歌を「強いられていた」時代でもある。

Spotifyが実現したのは、ある意味で解放だった。
インディーのアーティストが世界に届き、マイナーなジャンルを愛する人が「自分の音楽」を見つけられる。

これは、本物の豊かさだ。
批判するには惜しすぎる豊かさだ。

問いは、対立ではなく、葛藤として立てるべきなのかもしれない。

あの月曜の朝の、薄い霧のようなもの。
私はまだそれに名前をつけられていない。

Spotifyは私の「好き」を完璧に知っている。
でも「知っている」ことと「つながっている」ことは、どうやら別の話らしい。

完璧に最適化された宇宙の中で、私たちは何かを、おそらく、他者との偶発的な接触を…少しずつ手放しているのではないか。

あなたは今週、誰かと「同じ歌」を聴いただろうか。

いいなと思ったら応援しよう!

弱虫ウルフ🐶 もし「この文章、なんか刺さったな…」と感じたら、チップで気持ちを表現してくれると、調子に乗ってもっと書きます。