見出し画像

生成AIは「猫も杓子もクリエイター」にした


生成AIについては世界中で様々な議論がされているが、いくつか意見を引用してみます。

ボタンをクリックするだけで何でも欲しいものを呼び出す能力は創造性ではありません。電子レンジで調理できる料理を作ったからといってシェフになれるわけではありません。

https://quotejungle.tumblr.com/

ろうそくを作る人が損をしないように、電球を禁止すべきだったのでしょうか? 写真が発明された当時、人々は写真についても同じような議論をしていました。

https://quotejungle.tumblr.com/

アーティストは、許可を与えているはずなのに、なぜ企業が自分たちのアートを盗んで AI ツールをトレーニングしていると文句を言うのでしょうか? すべてのソーシャル メディア サイトには、アップロードされたすべてのものに対して無制限のライセンスが付与されるという条項が利用規約に含まれています。

https://quotejungle.tumblr.com/

将来、大量のゴミのような AI 作品が作られるだろうということは私も同意しますが、アートの良いところは、気に入らないアートを消費する必要がないことです。情熱と才能を持ち、AI ツールを使用して、現在誰も予測できない方法で創造性を加速させるクリエイターは今後も存在するでしょう。 同じことが、Unity のようなツールが登場したときにビデオ ゲームでも起こりました。Unity によってゲームの作成がはるかに簡単になり、その結果、多くのゴミゲームが生まれました。しかし、そうでなければ生まれなかったであろう優れたゲームもいくつか生まれました。

https://quotejungle.tumblr.com/

おそらく写真が発明された時に画家が反発したであろうことは想像に難くない。実際に写真発明の発表に際して「写真は画家を脅かすものであり即刻廃止せよ」という抗議デモがあったそうだ。

「十九世紀の中頃に、ヨーロッパに写真が登場すると、画家たちは、物を見た目そっくりに描くという仕事から、だんだん追放されていく」と悲壮感が漂っていた。

しかし現在の絵画と写真の価値を比べたら心配は杞憂だったと言える。

衒学的な名探偵であるファイロ・ヴァンスは「グリーン家殺人事件」の終盤で絵画と写真の違いを滔々と述べた。

「絵画に描かれた対象物はことごとく、はっきりとした意図のもとそこにあり、隠れた構成パターンに合致する特定の位置に配されている。画面上に無意味なものはいっさいないんだ。細部にすら無関係なものはないし、つながりのない対象物は描かれないし、色の明暗も考えなしに配置されてはいない。形と線はことごとく互いに依存し合い、どの対象物も――それどころか筆の運びひとつひとつが――決まったパターンのうちで的確な場所を占め、所定の機能を果たしている」

https://amzn.to/49Iv1Rs

「写真はボタンを押すだけだから芸術ではない」
「写真には余分な要素があるから芸術性は低い」

など写真を貶そうと思えばいくらでも言いようがあるが、現在では写真は撮影した後にいくらでも加工できて絵画並に手間を掛けて芸術性を高める事は可能である。

生成AIもまだ始まったばかりなのでこれをどのように利用するかは試行錯誤が続くのだろう。しかしいずれは「使うのが当たり前」のモノになるのは間違いない。



いいなと思ったら応援しよう!

MIR-AI 頂いたお金は恵まれない私の為に使われます